レビュー

編集だよりー 2007年7月4日編集だより

2007.07.04

小岩井忠道

 普通の男性では到底出せない高音を歌わせるために去勢してしまう。カストラートと呼ばれる歌手がかつて欧州で活躍していたらしいとは、そんな映画があったという以上の知識はなかった。だが、ロッシーニが、このカストラートに手こずったという話を初めて知り、急に身近に感じられるようになった。

 イタリア・スポレート歌劇場の「セビリアの理髪師」を東京文化会館で聴く。中学時代、ロッシーニが作曲した「ウィリアム・テル序曲」のレコードを音楽の授業で何度も聴かされたおかげで、いまでもすぐわかる旋律はいくつかある、はずだ。しかし、「セビリアの理髪師」は名前しか知らない。開演前、プログラムに大急ぎで目を通したところ、永竹由幸氏の解説文にカストラートのことが頻繁に出てきた。

 イタリア・オペラ界を牛耳っていたカストラートが、イタリアを征服したナポレオンの禁止令で失職、舞台に出られないので歌の先生になり、女性たちに歌を教えた、と書いてある。それ以降、女性歌手たちも重要な役を演じることができるようになった、という。

 「作曲家の報酬はカストラートの何分の一か」で、「カストラートは作曲家の言うことなんて聞かなかった」。「スカラ座で《パルミーラのアウレリアーノ》を初演したした時、アルサーチェを歌ったカストラートが言うことをきかずに勝手に装飾(音)をつけて歌いまくったので、ロッシーニはカンカンに怒った」なんてことも書いてある。

 さて、この夜の女性主人公「ロジーナ」役は、ソニア・ガナッシという歌手で、いまやだれも聴くことのできない「カストラートのように歌う」ことができる歌手と紹介されていた。どこがカストラート風だったのか、編集者には全く分からなかったが…。

 相手役のアルマヴィーヴァ伯爵は、中島康晴というテノール歌手だった。プロフィールを読むと「《オベルト》で日本人テノールとして初めてオペラの殿堂スカラ座に主役デビューを飾り…」とある。

 鑑賞後、チケットの提供者、その友人らとのどを潤す。クラシックコンサートの支援、企画で数十年の経験がある女性たちなので、評価は厳しい。やり玉にあがったのはアルマヴィーヴァ伯爵である。「ブラボーなんて声が出たのは信じがたい」、「追っかけのような人たちもいたようだから」などなど。

 「しかし、何かいいところもあるのでは? 欧米人にはない柔らかい表現とか」。あまりにくそみそなので、弁護も考えたが逡巡した。ある水準以上の演奏になると楽器も声も優劣が分からない、と自覚している。しかし、その編集者にも、今回は明らかに共演の欧米人歌手に比べて声量が劣るように思えたからだ。

 音楽の理解力は貧弱だが、生で聴くに超したことはないという妙な思いがある。今回の配役で仮にCDを制作したとする。ディレクターが、アルマヴィーヴァ伯爵の声だけ大きくしたいと思えば、簡単にできるのではないだろうか。

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