レビュー

編集だよりー 2007年6月19日編集だより

2007.06.19

小岩井忠道

 「恋しくば、尋ね来てみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」。有名な一首らしいが、編集者にとってはこの歌も、さらにこれが出てくる演目「芦屋道満大内鑑」も初めてだった。狐が人間に化けていたという話は歌舞伎にもあったなあ、といった程度の予備知識しか持たずに、女流義太夫演奏会を聴いた。

 帰り際、会場にいた高校の後輩に声をかけられる。だいぶ前に高校の同窓生有志でつくっているメーリングリストに、軽い気持ちでメールを送ったことを思い出した。「蘇我一族というのは、ある時期の“天皇”のような存在だったのでは」という。確か、蘇我一族のだれかの大邸宅跡らしい遺跡が見つかった、というニュースを新聞で見てだったと思う。

 「こういう議論をするなら、まずは『天皇』というものについて自分の明確な定義を述べてからにすべきだ」といった反応が、歴史にうるさそうな後輩から、早速、返ってきた。「こりゃまずい、何か言うたびにこちらの無知を厳しく責め立てられそう」。すぐに危険を察知し、仕掛けたおしゃべりからオリてしまった。

 義太夫会場で声をかけてきたのは、この後輩ではない。当時、編集者のメールに反応したたった2人のうちのもう一方の人物だ。「昔から日本人は動物を蔑視してはいなかったはずだ。だから、馬子、蝦夷、入鹿(ウマ、エビ、イルカ)といった名前が蘇我一族についているからといって、蔑称だとはいえないのでは」。編集者がメールに付けた「蘇我一族についている蔑称のような名前からしておかしいのでは。後の人間が勝手につけたのでは」という何の根拠もない珍説に対するおだやかな反論であった。

 「動物名イコール蔑称とはいえない」という後輩の指摘は説得力がある。「ツルの恩返し」に類する民話も少なくないらしいし、今でも動物名の入った名前の人は珍しくない。猪、獅、犀、熊、兎…。「常用漢字」に含まれないのに「人名用漢字」として認められている漢字も結構ある。

 とはいうものの、実はまだ、完全に蘇我一族の名前への気がかりが払拭されたわけではない。歴史学者の中では、決着済みの話なのだろうか。何の不思議もないとすると、東北地方の先住民が「蝦夷」と呼ばれたのはなぜなのだろう? まさか敬称、愛称の意味も込められていたというわけではないだろう。

 今日聴いたばかりの「芦屋道満大内鑑−葛の葉子別れの段」にも、狐の化身であった妻に去られた安倍保名のこんな台詞があった。

 「狐を妻に持ったりと笑う人は笑いもせよ われはちっとも恥ずかしからず」。当時の常識でも恥ずかしいというのが普通の感覚だから、この台詞も意味を持つのでは、などと考えて…。

ページトップへ