一作ごとに評価を確かなものとし、その実力を証明している小泉堯史監督の最新作、「明日への遺言」(来春公開予定)の撮影を見学するため、監督と親しい人たちにくっついて成城の東宝撮影所を訪ねた。
数々の名画を作り出してきた東宝も、近年は自社作品をつくらず、もっぱら劇場貸しで儲けている、などと聞いていたが、さすがに大きなスタジオを持っている。セットおよびセットを動かす諸々の仕掛けに、えらく木材が活用されていることに感心した。日ごろ身を置く外の世界より、材木があふれている虚構の世界の方に、奇妙な現実感がある、と。
小泉監督は高校の同級生である。撮影現場を見るのは、前作「博士の愛した数式」に高校の同窓生たち多数とエキストラで参加して以来だ。冷房が効いた大スタジオ内に組まれた法廷のセットで、この日は、戦犯として判決を直前にした第十三方面軍兼東海軍司令官、岡田資を演じる藤田まことが、米国人の主任弁護人から、開廷前の短い時間に夫人と息子を紹介される場面を撮っていた。
シナリオに沿ってリハーサルを行い、本番の撮影は短時間で済ませる。こんな監督のスタイルが定着していることが分かる。「博士の愛した数式」の公開初日に、銀座の劇場で舞台あいさつした浅丘ルリ子が、「1日1シーンしか撮らない贅沢なロケでした」と話していたのを思い出す。
昔、巨匠といわれた監督たちが、何十回やってもOKを出さない、などという話が、女優の回想録などを読むとよく出てくる。あるいは、撮影当日まで完成版のシナリオを俳優にわたさない、といった監督も。しかし、小泉監督は、こんな“意地悪”とは無縁のようだ。その代わり、俳優の自然な演技を引き出すために細心の注意を払う。例えば今回の作品では、長い裁判の経過を観客に分かりやすく伝えるためだろうか、岡田夫人役の富司純子のナレーションが逐次、挿入される。このとき彼女の話している姿は映らないが、シナリオの進行に沿って、法廷シーンの撮影が進行している(かのような)状態で声を取る、とスタッフが教えてくれた。その他すべての台詞の録音も原則、映像の撮影と一緒に行う、と。俳優にその人物になりきってもらうために、声だけ後から録音するという方法は採らない、ということのようだ。
「雨あがる」、「阿弥陀堂だより」、「博士の愛した数式」に続く今回の作品も、原作の小説を基に、監督自身がシナリオを書いている。これまでも、現実に起こりえないような話は、監督の作品に一つとしてない。ただ、今回の作品はさらに「実際にあった事実」が基になっている、のが前の3作と異なるところといえる。
自然な演技を引き出す。おそらく師匠である黒澤明・監督直伝の演出法が、もっとも如実に表れた作品になるのでは。そして、恐らくこの作品もまた監督の代表作に。そんな予感がする。