統一地方選でも関心を集めた高レベル放射性廃棄物最終処分場問題は、結局、走者がスタートラインに着く前に、レース自体が無期限延期になってしまった、ということだろうか。
立地調査受け入れに反対を掲げた候補者が当選し、東洋町は立地調査の応募を撤回した。現時点で、調査を受け入れても、というところはほかになさそうだから、しばらく話は進まないという状況に逆戻りということだろうか。
24日の社説でこの問題を取り上げた全国紙・都内紙は、日経新聞と産経新聞だ。
日経新聞の社説は、次のように指摘している。
「同町の応募には高知県や隣接する徳島県の知事が反対を表明した。市町村が独自に判断しても周辺地域が反発して誘致が進まないという制度上の問題も明らかになった。過去には県や周辺地域の反対にあって応募を断念したケースも出ている。市町村の首長にリスクを負わせるだけの応募制度でいいのかどうか」
産経新聞の社説は、次のように主張している。
「エネルギー問題や地球温暖化は、原子力を抜きに解決することは難しい。最終処分施設の建設は地域振興にもつながる。建設の意味を国民全体で考えることが必要だ」
一方、同じ24日の毎日新聞朝刊総合面の「ひと」欄は、立地調査反対を唱え東洋町長選で初当選を果たした沢山保太郎氏を取り上げていた。
「『まちに核のごみは持ち込まない』。率直で危機感あふれる訴えが、南国の小さなまちの住民たちの心をとらえた」という書き出しである。
原子力そのものも必要ない。いや、原子力は必要だけど、高レベル放射性廃棄物処分場を、何も東洋町に持ってくることはないではないか。沢山氏の考えがどちらなのか、記事からだけでは読み取れない。
日経新聞の社説にある「市町村の首長にリスクを負わせるだけの」という指摘は、高レベル放射性廃棄物最終処分場の調査にかかわる応募制度に限った話ではなく、原子力エネルギーの選択という基本的な問題にも通じるものではないだろうか。産経新聞の社説にあるように「国民全体で考えることが必要」な。
原子力反対の人も、賛成の人ももっとおおっぴらに意見を戦わせてくれないと、大半の人間は判断しようがない。
そう感じている人も多いのでは、とも思えるが…。(日経、産経、毎日新聞の引用は東京本社版から)