明治維新後の東京を、もっと狭めれば東京・本郷界隈を、ひいてはそこにあった東京帝国大学を、文明の「配電盤」と言ったのは司馬遼太郎さんである。司馬さんは書いている。「明治のおもしろさは、首都の東京をもって欧米文明の配電盤にしたことである」(司馬遼太郎が考えたこと、「『三四郎』の明治像」より)。
こうも言っている。「大学にかぎっていえば、『大学令』による大学は、明治末年に京都大学の各学部が逐次開設されてゆくまで、三十余年間、東京にただ一つ存在しただけで、そういうことでいえば、配電装置をさらに限っていえば、本郷がそうだった」(街道をゆく、「本郷界隈」より)。
ついでに、こうも書いている。「まことに明治初年、西欧文明受容期の日本は一個の内燃機関だった。その配電盤にあたるものが、東京帝国大学で、意識してそのようにつくられた。・・・じつによく作動した」(この国のかたち、「文明の配電盤」より)。
長々と引用した。思う存分写してそれで終わってもいいや、という気分になるほど、“司馬節”には惚れ惚れするところがある。
東京帝大はある時期、雑多な西洋文明を受容しつつ、蒸留し、ろ過し、そして沈殿・結晶化させて良質な人や物、抽象物に仕立て上げ、それらを日本各地に配る配電盤として、実によく「作動」したであろう。
その東京大学が4月12日、創立130年を迎えたという。朝日新聞(4月13日付)によると、国際化を目指して海外の連絡事務所を増やし、優秀な人材・学生を呼び込む計画のようだ。
小宮山宏総長はインタビューに答えて「学術論文を通じた交流では(東大は)十分に上だ。問題は人の行き来。外国籍の人が少なすぎる」「拠点をつくれば東大の学生が海外に行きやすくなり、そこで学んだ海外の優秀な人材は東大に来たくなるだろう」と言っている。
それはそうだろう。ヒトやモノ,サービスが隣家との低い垣根をヒョイとまたぐように行き来するグローバリゼーションの時代である。
東京帝大の一時期から久しい今日、新たな配電盤作りに乗り出した小宮山総長の苦労が偲ばれる。ここはひとつ、その試みが帝大時代を超えて世界に開かれた大規模・大容量なものとして開花することに期待しよう。