レビュー

編集だよりー 2007年4月19日編集だより

2007.04.19

小岩井忠道

 載せてしまった(17日編集だより)後で、また気になった。あれじゃ、立派な研究者に対し、単に「話に切れ目がないから分かりにくい」と言っているようなものではなかったか、と。

 実際には、随所に挿入される話が多彩多様でついていけなかった、といった方が適切だったと思う。文明論的な難しい挿句、あるいはすぐに理解できないような短い比喩などが時々出てくる。こういう方の話が理解できないのを、相手のせいにするのは、誠に身勝手で、恥ずかしいことだ。

 ということで、今回はそうした研究者との思い出を一つ。

 石橋克彦・東京大学助手(当時、現・神戸大学教授)の「駿河湾(東海)地震説」が発表されたころだから、30年も前になる。行政、学界、一般ともに地震予知に対する関心が急激に高まったころだ。地震予知連絡会の中心メンバーの中では、地震予知に対して最も慎重な考えの持ち主。そうとしか見えなかった気象庁の地震課長が、急に推進派になるなど…。

 「地震予知など、仮にやったらパニックが起きるだけ。大都市で地震予知の情報が流れたら、まず皆が電話に殺到して家族と連絡を取り合おうとする。通信回線はパンクする。結果は、大混乱になるだけだから、結局、やらないほうがまし」

 そんな世情の折、地球物理が専門の大学教授が、こんな発表を地震学会でしたのだから、記者としては見過ごせない。この話を取材し、記事にするのにさほどの苦労はなかった。それはそれで一件落着だったのだが、そのころ教授の関心は、本来の専門である地球物理学より、環境問題に移っていた。開発、開発で日本列島の自然が手ひどい目に遭っていた時代である。

 自然破壊への対応として、環境アセスメントという言葉が流行り出していた。しかし、当時、世間に出回っている環境アセスメントの手法について、この教授は「あんなマニュアル化されたものなど何の役にも立たない」という。しかし、1、2度話を聞いただけでは、要点が何かが、さっぱり理解できない。当然、記事にすることもかなわなかった。

 何度か話を伺ううち、研究室の大学院生をある山村に住まわせている、という話が出てきた。ゴルフ場開発計画の環境アセスメントを請け負った会社に大学院生を長期間預け、真の環境アセスメントをやらせている、というのだ。

 「それじゃ、私もその大学院生と何日間、行動をともにさせてください」と頼み、山村の大学院生の下宿に泊まり込んだことを思い出す。開発予定の山地から流れてくる川の水質調査といったそれらしい環境調査に加え、通学路に立って、小学生の誘導などにも付き合った。ゴルフ場開発を受け入れるかどうか、を判断するときの村人たちの大きな心配事が、交通事故だった、と初期の聞き取り調査で明らかになったためだという。

 自動車などあまり通らない静かなところに、ダンプカーなどが頻繁に通るようになったら…。確かに、そんな親の思いは言われてみれば分かる。その心配にきちんと対応することの重要性を、開発者にしっかり伝えることの大切さもまた。マニュアルに沿って、狭い自然環境の測定結果だけを表の中に埋めていくといった環境アセスメントでは、予測できない大事な事柄だったかもしれない、と納得したことを思い出す。

 考えてみると、教授の追求していたものは、いま、ようやく叫ばれるようになった「社会技術」そのものだったのでは、と思い当たる。編集者は、何日間か大学院生に付き合っただけで東京に帰り、首尾よく長い特集記事をものにすることはできたが、あの大学院生は、立派な修士論文を書くことができただろうか。「社会技術」というのは、本来、研究論文にはなりにくいもの、というから。

 1、2度話を聞いてもよく分からないことが多い。そんな教授との触れあいで、もう一つの発見があった。論文の抜き刷りをもらったら、これが実に理路整然としており、かつ平易で実に分かりやすいのだ。「なんだ、あの話はこういうことだったのか」と。

 世の中には、話を聞くより、書いた文章を読んだ方が分かりやすい、という人もいる。おそらく少数派だろうが。

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