レビュー

編集だよりー 2007年4月11日編集だより

2007.04.11

小岩井忠道

 福井俊彦・日銀総裁は、10日の記者会見ではっきりしたことは言わなかったようだが、米国の住宅バブルは容易ならざるところに来ているらしい。

 というのは、このわずか6日の間に、NHKのラジオ番組「あさいちばん」の「ビジネス展望」に登場した評論家、学者3人が、相次いで、この問題を取り上げていたからだ。

 「住宅価格がいつまでも上がり続けることなど、あるわけないわなァ」。昨日の評論家、内橋克人氏に続き、今朝また金子勝・慶応大学経済学部教授の解説を聞いて、胸の中でつぶやいた。

 6日の同じ番組では、経済アナリストの藤原直哉氏が、米国は同じようなことを繰り返して来た、と言っていた。住宅バブルの前にはITバブルの崩壊があり、その前は株式ブームの終焉、さらにその前には第2次大戦後の繁栄の基盤だった基幹産業の衰退が、と…。

 藤原氏の話の中で、特に印象に残ったのが、1980年代に起きた製造業を立て直そうという動きが、金融業界の反対でつぶれた、という指摘だった。これには、編集者も思い当たることがある。

 レーガン大統領(1981〜89年)は、よく知られているように「小さな政府」「規制緩和」「大幅減税」といった経済政策を貫いた。特定の産業に連邦政府が肩入れすることなどせず、市場に任せるという政策である。一方で、「コンピティティブネス(競争力強化)」ということを言い出したのも、レーガン政権だった。

 経済は市場に任せるのが最善なら、米国の経済は活性化し、財政赤字、貿易収支赤字の心配などないはずだが、実際は逆だった。そこで、ヒューレット・パッカード社社長のジョン・ヤング氏を委員長とする大統領諮問委員会を設置、「米企業の競争力強化に関する報告書」別名「ヤング報告書」というものをまとめさせたのだろう。

 「競争力を強化するには、製造業の立て直ししかない」とするヤング報告は、しかしながら、レーガン大統領の時代にも、次のブッシュ大統領の時代にも、生かされなかった。92年の大統領選でクリントンがブッシュを破った時、ワシントンに電話をしたことを思い出す。次期民主党政権の商務長官にヤング・ヒューレット・パッカード社長、という観測記事が新聞に載ったので、どうして、と思ったからだ。

 「ヤング社長というのは、共和党支持者だったのでは?」

 こんな質問に対するなじみの科学技術コンサルタント、クロード・白井氏の答えは、次のようなものだった。

 「レーガン、ブッシュの共和党政権は、ヤング報告をお蔵入りにしてしまった。産業支援策としてやったのは、技術開発に対する税額控除くらい。なにもやらなかったといってもいい」

 ヤング社長も、とうとう共和党には愛想が尽きた、というのである。

 NHKのラジオで初めて聞いた藤原直哉氏の指摘の通りだとすると、共和党政権と金融業界を相手にしてはさすがのヒューレット・パッカード社社長も分が悪かったか、という気がする。米国は、当時すでに「ものづくり」の国でなく「マネーづくり」の国になっていただろうから。国内の製造業にてこ入れするくらいなら、アジアの企業に出資した方が、手っ取り早く儲かる、という…。

 それにしてもヤング社長と共和党政権の間に、どんなせめぎ合いがあったのか。ウェブサイトを探していたら、面白い記事を見つけた。

 日経新聞のウェブサイト「NIKKEI NET」の「プロの視点」に、ワシントン特派員の経験もある田村秀男・日経新聞編集委員の書いた「オニール前長官反乱の真相−米、共和党中道派の不満」というコラムが載っている。その中に次のように書かれているのだ。

 提言を無視され続けたヤング社長をはじめとする「錚々(そうそう)たるシリコンバレーのCEO(最高経営責任者)たち」が、ブッシュ大統領に直訴するためホワイトハウスに乗り込んだところ、忙しいからと面会を断った大統領は、その時、人気のあったサーカス団の団員たちと談笑していた、というのである。

 それで、ヤング社長も共和党に見切りを付け、クリントンに望みを託した、と。

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