レビュー

編集だよりー 2007年4月2日編集だより

2007.04.02

小岩井忠道

 古い話になるが、生命科学研究と人間の尊厳について考える「生命科学と人間の会議」なる国際会議が1984年3月、先進7カ国の有識者を集めて日本で開かれた。その時の黄ばんだ文書を自宅の書棚でやっと探り当てた。基調講演を行った桑原武夫・京大名誉教授(故人)の講演文コピーである。

 生命科学の研究は揺籃期を脱しつつあったが、だからというべきか、遺伝子操作について、その是非を巡る論議がやかましかったころだ。桑原さんは言った。

 「1946年の初めのころ、焼野原となった東京の郊外を二人の科学者が談笑しながら散歩していました。・・・・・道のそばに焼け残った小さい工場が一つあって、その中から小型モーターのブーンという微かなうなり声が聞こえてくるのに二人は気づきました。その瞬間彼らは顔を見合わせて、『これだ』と会心の笑みを交わしたというのです。科学者の本性がそこにはっきりあらわれています。・・・・・科学者は・・・・・まず探求しよう、そして何かを生み出そうという止むにやまれぬ意欲を常に持つものであって、それこそが科学者の宿命ともいうべき基本的性格だと思われます。モーターのうなり声は、真理探究へのいざないと聞こえたのです。私はこの二人の交わした微笑をむしろ崇高なものとして高く評価したのであります」

 1日がかりでこの文書を探し出したのは、鮮やかな印象が残った上記部分を正確に引用したかったからである。

 廃墟と化した東京郊外に、戦災を免れてポツンと立つ小さな町工場の力強い営みがある。桑原さんはそこに、誰も止めることはできない科学者の、荒々しいといってもいい探求心の類似点を見ようとしたのだ。こうして桑原さんは、ワトソン&クリックが、大衆が新技術を制限しようとするなら研究者は地下にもぐるだろう、と警告したことを披露。規制が可能というのは幻想だとし、科学者の本性である探求心を基本的に容認すべきだ、と巧みな言い回しで主張したのである。

 あれから23年。生命科学研究はうるさい論議をこなしながら随分と遠くへきたように思える。広報・ポータル部に籍を置く身となって、JSTが関わる欧米学術誌に掲載されるような論文のプレス発表文を見るにつけ、その感慨は強い。何よりも、生命科学分野の論文が抜きん出て多い。桑原さんの先見性、もって瞑すべし。

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