レビュー

編集だよりー 2007年4月1日編集だより

2007.04.01

小岩井忠道

 前に勤めていた通信社の研修施設にあるコートで、毎日曜日、テニスをするのが長年の習慣になっている。

 大きなバッグを肩にした若者が何人か現れ、研修施設に入って行った。しばらくすると4,5人で連れ立って出かけるのが見える。

 「明日は入社式か」と気づく。研修施設は独身寮も兼ねており、地方出身の新入社員たちのしばしの宿舎にもなっているのである。

 マスコミの役割や、実態を事前によく調べていたら、果たして記者などという職業を選んだろうか。「面白そうだから」などという気軽な気持ちで…。“後輩”たちの後ろ姿を眺めながら、ふと、新人時代を思い返した。

 冷や汗をかいた思い出はいくらでもあるが、まず、英語の嫌いな人間が選ぶ職業ではなかった、という思いが強い。原子力、宇宙開発さらには食品安全、地球温暖化…。編集者が記者活動をしていたころの科学関係のニュースは、とにかく米国抜きに語れないことが多かった。できるだけ横文字には触れたくないという人間は、それだけでほとんど失格といってもよい。

 30年くらい前になるだろうか。米食品医薬品局(FDA)というのがえらく張り切っていた時期があり、「○○に発がん性の疑い」などといったニュースが、しばしば米国から飛び込んできたことを思い出す。英文を読むのにまず一苦労させられた後、厚生省や企業などに「こんなニュースが来たが、日本ではどうか」と電話で問い質す。

 そんな、取材をよくさせられたものだ。所詮、受け身の取材だから、関係者の談話などと称する短い記事を書いても、一仕事したという気がまるで起きない。

 現在、最終回を掲載中のインタビュー記事「地球科学のフロンティア日本列島」のため、平朝彦・海洋研究開発機構地球深部探査センター長に話を聞いたときにも、つくづく思ったものだ。「ちきゅう」というほかの先進国が造れなかったような最新鋭の地球深部掘削船をいまや日本が所有し、日本が先頭に立って新しい科学の分野を切り開こうとしている。隔世の感だ。

 テニスで十分、体を動かした後、暗渠の上が見事な桜並木になっている緑道を最寄り駅まで歩く。十二分に開き切った桜をあらためて堪能した後、今度は帰りの電車の中で広げた読売新聞の1面コラム「編集手帳」に、舌をまいた。

 「大きなる鍋の一つか会社とは煮崩れぬよう背筋を伸ばす」

 昨年まで新聞記者をしていたという松村由利子さんの歌から入り、締めは、岡野弘彦さんの一首である。

 「人はみな悲しみの器。頭を垂りて心ただよう夜の電車に」

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