米映画「ブラッド・ダイヤモンド」の試写を、日本記者クラブで観た。
これじゃ、命を10やるといわれても、とても生き延びるのは無理。主人公2人が次から次へ危ない橋ばかり渡るシナリオの粗っぽさが、気の小さい人間としては、いささか引っかかる。
しかし、細部にわたる丁寧な描写と、なによりも背景にある現実のあまりの重さが、それを十分カバーして余りある作品だろう。そんな印象を受けた。
アフリカを舞台にした映画が次々に公開されて、それぞれ評判になっているらしい。公開中の「ダーウィンの悪夢」(2006年12月24日編集だより参照)とも共通することだが、アフリカのすさまじい内戦の一因が、先進国から送り込まれる兵器にあることが、この作品でも如実に示されている。
兵器を買う金のもとになるのが、「ダーウィンの悪夢」の場合、ヴィクトリア湖に瞬く間に増えた巨大な外来魚だった。「ブラッド・ダイヤモンド」の場合は、ダイヤである。ブラッドという形容詞が付くのは「血塗られたアフリカの赤土から産み出される」という意味が込められているのだろう。
先進国の消費行動(ダイヤをほしがる)を変えることが、アフリカの惨状を変え得る、というメッセージが最後に流れた。
そうだろうなあ。と思うのと同時に考え込んでしまう。富める国の消費者の意識を変えることが、そう簡単にできるものか。