野依良治氏らノーベル賞受賞者を含む、34人の研究者に、科学者になるきっかけなどを聞いた当サイトの連載「科学者になる方法」が、小安重夫・慶応大学医学部教授で最終回となった。
同名の本の出版社である東京書籍の了解を得て、これはと思う個所を800字以内で抜粋転載する方式だった。
やはりというか、幼少時に自然に親しんでいたことが、この道に進むきっかけだったと語っている研究者が多かったように思う。
もう一つ、文科系の科目が好きになれなかったから、という理由を挙げる人も多い。「人文社会の科目のように答えがない、あるいはさまざまな答えがあるというのは性に合わなかったので」といったように。
さて、21日の東京新聞夕刊文化面の文芸時評で、沼野充義・東京大学文学部教授が、芥川賞受賞作「ひとり日和」(青山七恵)に触れている。「いまどき珍しいくらい地味な作品と言っていい。…石原(慎太郎)や村上(龍)の文学に見られる反逆や暴力や麻薬といった激しい要素はここにはまったくないので、確かにこの二人が強く推したのは少々意外だった」と書いている。
「それにつけてもあらためて思わされたのは、文学賞は賞を受ける作家のものである以上に、実は賞を与える選考委員のものだということだ。…毎年選考委員を変えるといったやり方のほうが、さまざまな意見を反映させられるので、文壇の活性化のためにはいいのではないかとも思える」
こう言っているところを見ると、沼野氏は、石原、村上両選考委員ほど、この作品を評価しないということだろう。
同じ東京新聞の19日夕刊「CULTURE」面のコラム「大波小波」(風来坊)も、「描写も叙述も丁寧」という評価をしつつ、冷ややかな評を載せていた。
「言葉の奥から強く噴き上がってくるものがないため、読後には、今の世の中、こんな風に不幸ではないが幸福でもない日々を漫然と送っている若者が多いのだろうな、という感想しか浮かばない」
貧弱な鑑賞力しかない編集者としては、どちらの肩を持つこともできないが、マスメディアの世界なら、この作家の筆力は相当のレベルだとは言える。この若さでだいぶ文章の書き方を勉強したと思われる。ひょっとすると、ジャーナリストの手口も研究したのではないだろうか。
この業界で最も嫌われる長ったらしいセンテンスが、ほとんどないこと一つを見ても…。