レビュー

編集だよりー 2006年12月15日編集だより

2006.12.15

小岩井忠道

 情報処理学会主催の人文科学とコンピュータシンポジウムを傍聴するため、京都へやってきた。初日(14日)最後のパネルディスカッションに間に合ったが、パネリストの1人、八村(はちむら)広三郎・立命館大学情報理工学部教授が「そろそろデジタルアーカイブという言い方はやめた方がよい」という発言をしていた。シンポジウムのサブタイトルが「デジタルアーカイブへの新地平」というのに、である。

 こういう“刺激的”な発言をする研究者には、昔からできる限り、後で直接、話を伺うことにしている。実績や自信がない人は、大体こういうことは公の場面では言わないからだ。

 初日のプログラム終了後に開かれた懇親パーティーで、早速、あいさつした。

 そもそもデジタルアーカイブとは何か、国立公文書館のホームページを開くと、デジタルアーカイブシステムというメニューがあり「当館の所蔵する資料の目録を電子化し、一般公開しています。又、一部資料の画像もご覧いただけます」と書かれている。

 また、デジタルアーカイブ推進協議会のホームページによると、人類の共通かつ貴重な財産である文化財を次の世代に継承していくため、最新技術としてのデジタル技術を用いて文化財情報をデジタル化し、蓄積、整備しデータベースとすることを、デジタルアーカイブと呼んでいることがわかる。

 なるほど、どの国、とりわけ情報公開を不可欠とする民主主義国家にとって大事な話だと理解できる。

 八村広三郎教授のパネルディスカッションでの主張は、日本のデジタルアーカイブは言葉だけが一人歩きしている。理工系の人間が自己満足のためやっているから文科系(の研究対象)に波及しない、というものだ。デジタルアーカイブというものをより広くとらえ、文科系の研究者の尻をたたいているな、という感じがする。文科系の研究者がもっと主導的な役割を果たさないとよくないのでは、と。

 さて、パーティーでの八村教授との立ち話である。

 「(図書館や博物館などの)デジタルアーカイブをやらされてきた人たちには、被害者意識があるんです。新しい技術ができるたびに新しい要求が出て、振り回されてきたので」

 なるほど、現場の悩みの一端は分かるような気がした。確かに今の情報技術の進歩の速さから想像すると、せっかく途中までつくったアーカイブがすでに時代遅れに、なんてケースはいくらでも起こりそうだから。

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