レビュー

編集だよりー 2006年12月10日編集だより

2006.12.10

小岩井忠道

 40年近く前、通信社の入社試験面接で「君と同じ名前で知っている人物をあげてみよ」という質問をされた。姓の方でなく、名の方である。

 上野動物園の園長くらいしか思い浮かばなかった。しかし、質問者は「栗林中将」という答えを期待していたのだろうなあ、と今になってあらためて感じる。

 各紙朝刊の広告で、文藝春秋「新年特別号」に「硫黄島栗林忠道の士魂−イーストウッドが惚れた名将の真実」という対談記事が載っているのを知り、早速、読んだ。4日前に、クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を、一般公開の一足先に日本記者クラブでの試写会で鑑賞し、しばし考え込まされたばかりだったからだ。

 この映画については、日経新聞の8日夕刊に載った映画評論家・宇田川幸洋氏の書評で、再度感心したこともあり、文芸春秋を読んだ後、まだ見ていなかった「父親たちの星条旗」も映画館で見てきた。

 硫黄島の戦いを、米国と日本それぞれの側からの視点で撮り分ける、というイーストウッド監督の発想とエネルギーだけでも驚きだが、内容の重厚さには、ただ感服するばかりだ。

 全く新しい栗林像を描いたと評価されている「散るぞ悲しき」のノンフィクション作家、梯久美子さんが、文藝春秋の対談記事の中で「家族に愛情こまやかな手紙を書いていたことと、軍人として勇猛果敢な指揮をしたことは決して矛盾することではないと思う」と語っていたのが、印象深い。

 徹底抗戦の作戦意図を部下に伝えた栗林中将の文書「敢闘の誓い」の表現が、「『兵は〜すべし』という命令調ではなく、『我らは〜せん』と兵士と視点を共にする形で自らの意志を伝え、作戦を貫徹させたわけです。この発想は郷士出身ならではという気がします」と、梯さんが指摘していたのもまた、なるほど、と。

 梯さんの言葉に呼応して「硫黄島からの手紙」で栗林中将を演じた渡辺謙氏が、実際に長野県松代町にある栗林中将の生家を訪ね、自身の目で確かめた感想を、以下のように語っている。

 「敷地内には今でも納屋や馬小屋があり、お百姓さんと同じ生活をしながら勉学に勤しんでいる。栗林さんはそういう環境で人間形成をした。生活レベルの合理主義が身についた人なんだなと想像できました」

 栗林中将は、陸軍大学校卒だが、陸軍幼年学校卒の“純粋培養コース”ではなかったそうだ。旧制中学でも学び、留学と駐在武官として5年間の米国経験を持つ。こうした経験の影響も考えなければならないだろう。

 しかし、「生活レベルの合理主義」が、幼少時からの生活体験に根ざしているという渡辺氏の想像に、より真実味を感じる。

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