レビュー

編集だよりー 2006年11月13日編集だより

2006.11.13

小岩井忠道

 クリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」を観た。☆☆☆☆

 硫黄島の映画は、大学生の時、激戦の様子を米海兵隊が撮影していた記録映画を観たことがある。オールカラーの99分の映像は圧倒的で、火炎放射器であぶり出される日本兵たちのあわれな姿に目を覆いたくなった。「星条旗」は凄惨な戦いを忠実に再現している。

 その硫黄島に降り立ったことがある。1982年5月14日。正確な記録があるのは取材で行ったからだ。

 1973年、東京から南へ約1000kmの所にある西之島のすぐ脇で海底火山が噴火し、新しい島、西之島新島が出現した。噴火活動はさらに続き、翌74年には新島と西之島は陸続きになっていた。

 その後、地形の変化が続いて、いつの間にか両島の間の海が閉ざされて湖のようになっているとの情報を得た。「これは絵になる」と、当時勤めていた新聞社のプロペラ機MU-2で西之島に向かった。天候にも恵まれ首尾良く、撮影も終わったがすぐには帰れない、給油のためにさらに約200km南へ下り、自衛隊基地のある硫黄島に行ったのだ。

 特徴のある地形で、空から見ると、有名な「摺鉢山」はすぐに分かった。小高い丘にしか見えない。ほんとに小さな島で、隠れる所などどこにもないという印象だった。ここであのすさまじい戦闘が行われたのかと不思議だった。給油のためだけだったので島内は見ることがでなかったのが残念だった。隊員がかぶっていた真っ赤な布地に黄色い文字で「硫黄島」と鮮やかな刺繍が縫われたキャップは今でも覚えている。

 帰りの飛行は悪天候で小さな機体は何も見えない雲の中、上下左右に揺れ続け生きた心地がしなかったが、無事、墜落もせず東京に着いた。

 「西之島と新島、合体して真ん中に湖誕生」の記事は同行ベテラン・カメラマンの素晴らしい写真のおかげで翌日夕刊の一面トップとなった。取材で行った当の西之島のことは忘れていたが、給油で寄った硫黄島の映画のおかげで思い出した。

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