レビュー

編集だよりー 2006年11月10日編集だより

2006.11.10

小岩井忠道

 10日の朝刊各紙は、政府主催の教育改革タウンミーティングの「やらせ質問」を厳しくたたいていた。主催者側が、あらかじめ都合のよい質問をつくり、質問者も用意して、国民との対話ができた体裁を取り繕った、という話だから、批判を受けてもしようがない。

 ただ、「それはまずい」と思う半面、「けしからん」と大きな声で言いにくいというのもまた、正直な思いだ。長いマスコミ生活の中で、自分自身、思い当たることがあるからだ。

 マスコミの人間というのは、平均的な日本人よりはるかに口数が多い人種だと思う。しかし、そのマスコミの人間だけを集めた会議ですら、会場の参加者から質問や意見が相次ぎ、活発な議論が展開する、というのは、そうそうない(自身の経験に関しては、ということで、マスコミ関係の会議がすべてそうということではない。念のため)。

 最初から、質問、討論など期待せず、主催者側のあいさつと報告で予定時間を使い切ってしまう。これが、一番安易な方法だ。しかし、これでは、会議を開いた意味も疑わしいし、あまりに寂しい。

 というわけで、主催者側のあいさつ、報告はできるだけ簡潔にして、せっかく参加していただいた方々との討論に時間を割きたい、と心がけたわけである。しかし、何もしないと、質問が全く出ず、時間が余ってしまうという危険は大きい。会議などで論争を好まないどころか、できれば発言せずに済ませたい。これはもう、日本人の礼儀ないしは文化、みたいなものだからだ。

 「○○さん、会議でぜひ質問してください」と、数日前に親しい何人かに電話でお願いする、ということに往々にしてなる。

 「これからは、通信社の記者にはすべて小型デジタルビデオを持たせるくらいのことをしてくれなければ、放送局としては困る」。こちらが期待する以上のことを、質問をお願いした外部の方が発言してくれたため、社内の小型デジタルビデオ配備が促進され、日本新聞協会賞の映像部門賞受賞にもつながった、などというめでたい結果をもたらしたこともあった。

 ということで、国民との対話といった方策が、そうやすやすと成果をあげられるものではない、ということも実感としてよくわかる、というわけである。

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