レビュー

履修漏れ問題で補習回数は決まったが

2006.11.02

 全国の高校教育現場を動揺させている必修科目の履修漏れ問題は、補習の回数を上限70回とする救済策が、1日まとまり、とりあえずの応急処置は決まった。

 しかし、問題の根が深いことは、救済策を伝える各新聞の報道で、あらためてはっきりしてきたように見える。

 「高校教育や学習指導要領の空洞化も、あぶり出された。ある公立高校教師は『履修漏れは学校も教育委員会も大半の人は知っていたことだ』と漏らす。…指導要領の逸脱に見て見ぬふりをしていたのだ」。日経新聞の2日朝刊総合面に、横山晋一郎編集委員が、書いている。

 読売新聞の2日朝刊総合面によると「必修逃れが本格的に始まったのは、2003年度以降。02年度から公立学校の完全週5日制が始まり、高校では03年度から『ゆとり教育』を掲げる現在の学習指導要領が実施された時期に重なる」。

 ただし、背景はもっと複雑だということが、毎日新聞2日朝刊の社説から分かる。

 難解な大学入試問題が高校教育をゆがめてしまうのを防ぐ目的で、国公立大の共通一次試験(5教科7科目)が79年に導入された。しかし、「共通一次の成績と合格校の分析で大学・学部のランキングが行われ、全国で『序列化』が進んだ」という弊害を生む。

 「この反省から90年に始まる大学入試センター試験は、各大学が受験科目を自由に志願者に指定する『アラカルト方式』とし、私立も多く参加した。すると受験に楽な少数科目の大学・学部の人気が高まり、志願者を引き留めるため科目を減らす大学が相次いだ」

 「効率よく、たくさんの受験生が受けやすく、という仕掛けの結果が今露呈した大量履修不足ではないか」と毎日の社説は、断じている。

 同じ2日朝刊の朝日新聞社会面記事からは、この問題に対する典型的で、かつ大方に受け入れやすいのでは、とも思われる高校教育現場の受け止め方を、見つけることができる。

 「私立進学校の校長は『ルール破りの容認で、ずるをした学校が得をする。子どもたちにどう伝えればいいのか。きちんと履修してきた学校はすべて怒るはずだ』と声を震わせた」。この私立進学校は、公私立とも履修漏れが見つからなかった数少ない県、熊本県の高校という。

 いずれにしろ、大学入試の変容が、今回の履修漏れ問題に何より大きな影響を及ぼしていることは、まず間違いないようだ。

 しかし、次のような見方もあることを、読売新聞の2日朝刊社会面の専門家談話は伝えている。

 「本当にかわいそうなのは、教養として身につけるべき世界史などを学ぶ機会を失う高校生たちだ」(教育評論家・小宮山博仁氏)

 この見方によれば、必修科目を履修させないことは「ずるい」といったような話ではなく、長い目で見て生徒に大変な不利益を強いていることなのだ、ということになるのだが…。(日経、読売、毎日、朝日各紙の引用は東京版から)

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