レビュー

編集だよりー 2006年11月2日編集だより

2006.11.02

小岩井忠道

 漢字の成り立ちを一生かかって追求し続けた白川静さんの死亡を伝える記事を読み比べて、白川さんという学者の人並み外れた業績とその人生に感服した。

 「『道』という字は『首』に『しんにゅう』を書く。『しんにゅう』は道を表すが、古代中国では異族の国に行くときにはその異族の首を持って行くので、『道』という字ができた…」

 白川さんの漢字解釈の1例である。梅原猛氏が、朝日新聞の2日夕刊文化面に寄せた追悼文の中で紹介していた。

 その解釈の意外性に驚くとともに、このような結論に達するまでに、どれほどの資料調べと論考がなされたかを想像して、ただただ、おそれ、考え込んでしまった。

 だいぶ前に高名な物理学者である、南部陽一郎・シカゴ大学教授(当時)に、インタビューしたことを思い出す。南部教授の数多くの業績の中で、当時(おそらく現在でも)、注目されていたのが、「素粒子はひも(のようなもの)」という理論である。

 「しかし、私の理論が正しいかどうかは証明できないでしょうね。実験で確かめようとしたら、地球より大きな加速器がないと無理ですから」。涼しい顔でそう言われ、仰天した。

 白川さんの膨大な業績をすべて理解できるような人が、今いるのだろうか。「先生、その解釈は裏付けが不十分では」などと異論を唱えるような人もまた…。

 あまりに傑出した業績を残すような人は、ひょっとして、すさまじく孤独なのでは。南部教授にインタビューした後に感じた気分を思い出す。おそらく見当違いで、不遜でしかないだろうが。

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