赤ちゃんの時、東京都立産院で取り違えられた男性が都に損害賠償などを求めた裁判で、東京高裁が、1審判決を取り消し、都に2000万円の賠償を命じた(12日)。
トップで報じ、第2社会面でも関連記事を掲載した朝日新聞、社会面トップの東京新聞をはじめ、各紙とも大きく扱った。1審と2審の判断を分けたのが、原告男性の損害賠償請求権がすでに消滅しているか、否かだったことに、各紙とも行数を割いている。
一方、朝日の記事によると、1審の東京地裁判決(取り違いの事実は認めた)の出た昨年5月の定例記者会見で、石原都知事は「時間がたっているので、国が持っている資料にすがる以外にないでしょう。都として、この人の側に立って国に強く(開示を)迫りますよ」と語っている。
しかし、同じく朝日によると、都は「社会保険庁など国への働きかけや、出生届けを保管している可能性がある墨田区への接触もしていないという」。
この点については、東京新聞の記事も具体的だ。男性が墨田区の住民基本台帳を頼りに自分で探したけれど、当てはまる人が見つからなかったことに加え、区外に転出している可能性を考え、「『取り違えられた相手が九十九パーセント載っているはず』という戸籍受付帳も区に開示請求したが、個人情報保護を理由に認められなかった」という。
要するに、各紙の記事を読む限り、都も区も「男性の側に立った」協力は何一つやっていないらしい。
現在、体外受精その他の不妊医療の発達によって、生まれてくる子供と“親”の関係は、複雑になっている。人工授精や体外受精などによって生まれた子が成人して、本当の親を知りたい、と法的手段に訴えるというケースが、今後、増えてこないとはだれもいえないのではないか。
当事者が真の親を知りたいと言っているだけでなく、公的機関のミスがはっきりしている今回の例など、将来、真の親子を巡って起こり得る同種のケースに比べれば、対応がしやすいともいえる。
公的な機関が明らかなミスをしたのに、そのことによって被害を被った人間の「事実を知りたい」という要求を拒否し続けてすむのか。死亡していない限り必ず存在するもう一方の被害者(親、子を取り違えられた)を探し出して、事実を伝える責任は都に全くないのか。中国残留孤児の親族捜しを思えば、男性の生みの親を捜し出すことが、現実的にとてつもなく困難といえるだろうか…。
今回の公的機関の対応を見て、いろいろ考え、中には首をひねった人も少なくないのでは、という気がする。(朝日新聞、東京新聞の引用は東京版から)