レポート

学校の先生は何しに南極へ? 国立極地研「教員南極派遣プログラム」の実像をさぐる

2025.10.10

一條亜紀枝 / サイエンスライター

 子どものころ、公開されたばかりの「南極物語」を映画館で見て、過酷な自然に圧倒された。かの地でさまざまな任務を遂行する人たちは、専門知識や技術だけではなく、超人的な身体能力と鋼の精神力を持ち合わせているのだろう。宇宙飛行士と同じくらい遠い存在と思い込んでいたら、意外な人たちも南極に行っている。学校の先生だ。2009年度から24年度までに29人が南極地域観測隊とともに派遣され、今年度も2人がまもなく出発するという。先生たちは、いったい何のために南極を目指すのだろうか。その実像を探るべく、国立極地研究所(極地研)広報室長の熊谷宏靖さんを訪ねた。

2016〜17年の第58次南極地域観測隊夏隊員の熊谷さん。昭和基地沖の南極観測船「しらせ」の前で仲間たちと記念撮影(左から3人目、極地研提供)
2016〜17年の第58次南極地域観測隊夏隊員の熊谷さん。昭和基地沖の南極観測船「しらせ」の前で仲間たちと記念撮影(左から3人目、極地研提供)

自然環境や観測隊の活動は教材になる

 極地研は、東京都立川市の官公庁が立ち並ぶ一角にある。創設は1973年9月。南極圏と北極圏に観測基地を持ち、その名称のとおり、極地に関する研究を牽引している。

 その極地研が文部科学省と連携して取り組んでいるのが、「教員南極派遣プログラム」。全国から公募により採用した教員を観測隊夏隊の同行者として派遣している。採用された先生は、事前訓練を経て11月下旬に南極に向けて出発。1カ月ほど昭和基地で取材などを行い、3月下旬に帰国する。

 派遣の目的は、子どもたちが南極に興味や関心を持ち、理解を深められるようにすること。そこには、先生の南極での活動や体験を通して、子どもたちに南極を多面的に知ってほしいという思いがある。その一端として滞在期間中には、先生たちの所属校と南極を衛星回線でつなぐ「南極授業」の実施も課している。

熊谷さんはこれまでに3回、観測隊に参加している
熊谷さんはこれまでに3回、観測隊に参加している

 応募資格は、「教員免許を有し、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校に現職として勤務する教員であること」。子どもたちが南極に興味を持つきっかけを増やすため、担当教科は問うていない。熊谷さんは「理科に限定せず、さまざまな分野の先生に、南極の自然環境や観測隊の活動を教材として使い切っていただきたいと考えています」と期待する。実際にこれまで派遣された教員の専門分野は、理科のほか、社会や情報、美術、養護など幅広い。

 しかし、教員南極派遣プログラムは「行きたい」という思いだけで参加できるものではない。熊谷さんは「南極に行くのは、南極にわざわざ行く必然性がある人なのです」と話す。たとえば観測隊の研究者たちは、南極でしか得られないデータを目的に南極を目指すのだ。では、最果ての地を踏んだ先生たちの必然性はなんだったのだろう。

生徒たちの仮説を検証するために応募

 南極に行きたい―子どものころからの夢がかなった先生がいる。奈良県立青翔中学校・高等学校の生田依子さんだ。2016年11月末から翌年3月末まで、第58次南極地域観測隊の夏隊に同行した。

 あるとき、「探究科学」という科目で微生物をテーマに研究を進めていた生田さんの生徒たちが、南極でも実験したいと言い出したという。微生物燃料電池(微生物が呼吸するときに放出する電子を用いて発電する装置)を研究していたグループは「南極は微生物が少ないはずだから発電しないかもしれない」と仮説を立てた。また、黄砂と大気中の微生物数の関係を調べる中で風向きや人の動きで微生物数が変わることに気づいたグループも「観測隊が南極に微生物を持ち込んでいるかもしれないし、ペンギンから微生物が出ているかもしれない」と南極での実験を望んだ。

 「これらの仮説を検証するために、生徒たちと研究計画をまとめ、教員南極派遣プログラムに応募してみたのです」と、生田さんは当時を振り返る。この企画が採択され、生田さんは憧れの南極で、生徒たちは奈良で、それぞれ調査研究を進めた。その研究成果は、南極授業として全校生徒の前で報告された。

昭和基地からリモートで生徒たちと研究発表をする生田さん(極地研提供)
昭和基地からリモートで生徒たちと研究発表をする生田さん(極地研提供)

 南極授業には思いがけない効果があったという。他の生徒たちも南極の微生物に関心を示すようになり、学校全体の研究レベルの向上につながった。同時に「研究者マインドが先輩から後輩へと引き継がれて、いま在学中の生徒たちも意気込んでいます」と、生田さんはほほ笑む。

 10年近くがたった今では、同校の生物の先生は全員、「南極のプランクトン」を教えられるようになっている。生田さんの知識と指導内容が共有された結果だ。さらに他校の地学の先生も、南極地学をテーマした探究授業を実践しているという。また、小学生向けの南極出前授業に参加した子どもたちが同校に入学してきたり、かつての生徒たちが研究者としての道を歩み始めたり、生田さんの南極への思いは次世代へと受け継がれている。

南極での活動などが評価され、2019年、文部科学大臣優秀教職員表彰を受賞した(生田さん提供)
南極での活動などが評価され、2019年、文部科学大臣優秀教職員表彰を受賞した(生田さん提供)

美術作品を制作することで南極とつながる

 コロナ禍で世の中が息苦しかったころ、南極に向かった先生がいる。筑波大学附属高等学校の小松俊介さんだ。2022年11月中旬から翌年3月末まで、第64次南極地域観測隊の夏隊員とともに昭和基地とその周辺で生活した。

 小松さんは美術科の先生であり、専門は石彫である。一見、南極との関わりはない。しかしある日、校内メールで配信された募集要項に目が止まった。「教員って南極に行けるの!?」と驚き、自分だったら美術を通してどんな南極授業ができるだろうと考えてみたという。

 知れば知るほど、南極は魅力にあふれていた。「石を彫っているので、南極大陸の石が気になりました。そして、地球原初の風景を残す南極を見てみたい、そこに立ってみたいという気持ちが強くありました」と、小松さんは当時の思いを語った。

南極観測船「しらせ」に乗船して、風景や渡り鳥、波の形が刻々と変わっていくのを見ながら過ごした時間は豊かだったと小松さんは感じている(小松さん提供)
南極観測船「しらせ」に乗船して、風景や渡り鳥、波の形が刻々と変わっていくのを見ながら過ごした時間は豊かだったと小松さんは感じている(小松さん提供)

 小松さんの南極授業は、「アートを通して南極とつながる」。作品制作のテーマの一つを「南極で青写真を描く」とした。「青写真は、紫外線で感光させてネガフィルムを現像する写真技法です。また、比喩として将来設計の意味があります。それを掛け合わせて、将来の夢や関心事を写真で表現しようと試みたのです」と小松さん。そこには、「生徒たちに南極とのつながりを感じられるものを残したい」との思いもあった。

青写真を現像する小松さん(極地研提供)
青写真を現像する小松さん(極地研提供)

 実際の制作はというと——。生徒たちがまずネガフィルムを用意して、それを小松さんが南極に持ち込み、観測隊員の手を借りながら、日本の1.5倍ほどの紫外線量になる南極の光を焼き付けて青写真にした。最終的には、それぞれの青写真にそれぞれが詩を添えて、作品に仕上げ、展覧会で披露したという。

2023年7月、東京のギャラリー青羅で展覧会「アートを通して南極とつながる 昭和基地×筑波大学附属高校」を開催した(小松さん提供)
2023年7月、東京のギャラリー青羅で展覧会「アートを通して南極とつながる 昭和基地×筑波大学附属高校」を開催した(小松さん提供)

 印象的だったのは、帰国後の小松さんの進路指導。進路を思い描けない生徒には、「南極に行ってみる?」と声をかけるという。「観測隊にはいろいろな道のプロフェッショナルが参加しているので、南極に行く方法を考えることはキャリアデザインを考えることにつながると思うのです」と、その真意を明かしてくれた。

南極経験を学校教育に生かしてほしい

 極地研の熊谷さんは、南極行きの決まった先生に必ず伝えることがある。「採択された南極授業にはあまりこだわらなくていい。極論すれば、南極授業は失敗してもいい」。単発型の南極授業よりも、帰国後の通常授業で南極を教材にしてもらう方が大事と考えているからだ。「応募の段階では、南極授業の企画が成立するか否かはわかりません。また、先生の関心や子どもに伝えたい内容が、現地での経験によって変わることはありえます。なので、滞在中は南極でしかできない経験を積むのがいいと思うのです」。

 それにしてもなぜ、南極に派遣するのは先生なのだろうか。約4カ月も学校を離れるのは簡単ではないし、所属校の同僚や管理職、教育委員会の支援が不可欠だ。南極でも観測隊の隊員たちの協力なしには事が進まない。

 それでも、南極に先生を送り出す意義がある。なぜなら「学校の先生は毎年、新しい子どもたちを受け持って授業をします。子どもたちを南極に連れていくよりも、観測隊の隊員が講演会をするよりも、たくさんの子どもたちに南極を知ってもらえるからです」と熊谷さん。

 先生を通じて極地研の知見を教育現場に多様な形で届け続けることは、研究成果を社会で生かすとともに未来を担う次世代の学びにもつながる。さらに先生が周囲にもたらす波及効果に期待しているのだといい、「派遣された先生たちのネットワークも広がってきていて、今後は先生たちに教わった子どもの中から南極研究者も出てくるでしょう」と楽しみにしている。

南極に派遣された先生たちの意見交換会(極地研提供)
南極に派遣された先生たちの意見交換会(極地研提供)

 「だからこそ、先生としての経験を積み、自分の教育方針や授業スタイルを築き、これからも長くその道を歩み続ける意志のある人たちに南極へ行ってほしい。そこでの体験をあらゆる形で学校教育に生かしてほしい」と熊谷さんは望んでいる。

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