開幕間もない大阪・関西万博のポーランド館で「Women in Science : In the footsteps of Marie Sklodowska Curie(科学の世界の女性たち:マリア・スクウォドフスカ=キュリーの足跡をたどって)」と題したパネルディスカッションが開催された。科学の世界でジェンダーの壁を乗り越え、女性が輝くためのヒントは何か。目覚ましい活躍を見せる日本の若手女性研究者たちが、「キュリー夫人」を生み出したポーランドの女性研究者らと熱く語り合った。

女性初のノーベル賞、名を冠した賞が日本の若手に
キュリー博士は31歳でポロニウムを、32歳でラジウムをそれぞれ発見し、その功績が認められ女性初のノーベル賞受賞者となった。さらに男女を通じてただ一人、物理学賞(夫のピエール・キュリー氏らと1903年)と化学賞(1911年)の2分野でノーベル賞を受賞している。
偉大な女性研究者であるキュリー博士の名を冠した「羽ばたく女性研究者賞(マリア・スクウォドフスカ=キュリー賞)」は、日本の若手女性研究者の活躍を推進するため、科学技術振興機構(JST)と駐日ポーランド共和国大使館が創設したもの。4月26日に行われたパネルディスカッションの第1部「科学におけるジェンダーの壁をどう乗り越えるか」に登壇した日本人女性3人は、いずれも同賞の受賞者だ。
第1回奨励賞の木邑真理子さん(金沢大学理工学域先端宇宙理工学研究センター准教授)と第3回最優秀賞の森脇可奈さん(東京大学大学院理学系研究科付属ビックバン宇宙国際研究センター助教)は宇宙物理学、第3回奨励賞の太田圭さん(埼玉大学大学院理工学研究科助教)は有機典型元素化学を研究している。

偏見と戦った博士、女性研究者育成は今も課題
キュリー博士は輝かしい功績の裏側で「常に『科学は男性のもの』という偏見と闘っていた」と指摘するのは、パネリストのオディル・アインシュタインさん(フランス科学アカデミー会員)だ。当時の科学界は男性優位の風潮が現在よりもさらに強かったとされる。しかし本来、女性は男性と対等な社会の一員であり、ジェンダーに関わらずオープンにコミュニケーションすることが重要とアインシュタインさんは強調した。
ディスカッションでモデレーターを務めたのは、マルタ・ミャチンスカさん(ワルシャワ国際分子細胞生物学研究所所長)。さまざまなプログラムで女性研究者をサポートするメンターを務めている。日本は研究者数に占める女性の割合が経済協力機構(OECD)加盟国で最低と課題になっているが、ミャチンスカさんによるとパーセンテージが2倍近いポーランドでも女性研究者の育成は課題だという。

そうした背景のもと、ミャチンスカさんと3人の日本人女性研究者らは、科学の世界で女性がキャリアを築いていくためには何が必要なのかを互いに共有した。ロールモデルや、ミャチンスカさんのようなメンターの重要性について森脇さんは「高校のとき、数学の女性教師に進学先など将来に関してのアドバスをもらい、進む道を後押ししてもらった」と振り返り、研究者となった現在も同じ女性からのサポートは心強く、自分もそのような存在になりたいと話した。
科学は魅力的な仕事、「男性だけ」に惑わされずチャレンジを
「リーダーシップにジェンダーは関係ない」と断言するのは太田さんだ。女性であることが障壁になったことはないとしながらも、キュリー博士の時代から続く偏見がいまだ解消に至っていないことを踏まえ、楽しく研究する姿を伝えていくことが大事だと語った。
さらに現在、2人の娘を育てながら研究を続けている木邑さんは「育児休暇や在宅勤務といった研究を続けやすい環境が整備されることも大事」とし、すべての女性研究者がキャリアを継続できるような支援を受けられるようになればと期待を示した。
3人はこれからを担う若い世代の女性に向け、まずはオープンマインドでいろいろなことに取り組むことが大事だと口をそろえる。科学は未知の世界を見ることができるとても魅力的な仕事であり、「男性だけの仕事」という言葉に惑わされないで、ぜひチャレンジしてほしいと声を上げた。

アインシュタイン博士との交流、政治など多岐に
キュリー博士とアルベルト・アインシュタイン博士。この偉大な2人の研究者が、約20年間にわたり書簡を交わしていたことを知っているだろうか。2人のこれまであまり知られていなかったやりとりが今年、書簡集「Maria Skłodowska-Curie Albert Einstein The Letters/1911–1932/」としてポーランドで出版された。
同書からは、2人が個人的な内容にとどまらず、科学に対するお互いの姿勢や、第一次世界大戦期における激動の政治情勢への意見など、多岐にわたる交流をしていたことがわかる。両博士は第一次大戦後、国際関係の改善に向け研究者らが協議する国際連盟の専門機関の一つ「国際知的協力委員会(ユネスコの前身)」に参加していた。科学が国家間の理解を深めるために果たし得る役割についても意見を交わし、交流を深めていったとされる。
第2部のパネルディスカッションでは、この書簡が持つ意味について4人のパネラーが語った。その中で「2人は科学と人間の関わりについて深い懸念を共有していた」と語るのは、パネラーの一人、ハノク・グットフロイントさん(エルサレム・ヘブライ大学名誉教授/アインシュタインセンター所長)だ。
現在、気候変動に批判的な大統領の存在が科学に対する信頼を欠如させていることを危惧しながら、アインシュタイン氏が核戦争の廃絶を訴えていたことを例に、研究者が社会に対し声を上げていくことの重要性を指摘。「書簡は、科学と社会が密接につながり、分離されるものではないと教えてくれる」と述べ、この学びを若い人にぜひ伝えていきたいと強調した。
パネラーの川合眞紀さん(自然科学研究機構長)は幼少期を振り返り「物理学者だった母はとても忙しく、私は仕事のことをよく知りませんでした。そんなある日、キュリー博士の伝記を読んで母の仕事を理解することができ、それ以来、親近感を抱くようになりました」と、自身とポーランドとの関係を語った。同時に「日本は科学分野への女性進出をさらに進める必要があります。活躍できる場があるので、もっとこの世界に入ってきてほしい」と次世代に呼び掛けた。

幼少期の体験が科学と社会をつなぐ
2つのパネルディスカッションについて3人の日本人女性研究者は「アインシュタイン博士が政治などの話をしていたように、研究者として社会との接点を大事にしたい」「異分野との対話は新しい研究の種にもなる」など、万博を機に設けられたポーランドの女性研究者との交流を振り返りながら、自身の今後のあり方にも意欲を見せた。
パネルディスカッションの企画を担当したアンナ・プラテル・ジベルグさん(ポーランド科学アカデミー国際協力部長)は、「これまで家事や育児、介護などを中心的に担ってきた女性は、社会に対する意識が強い。だからこそ、科学と社会をつなぐ上で女性が果たす役割は大きい」と、女性研究者らにエールを送った。
同時に、科学と社会をつなぐための好事例として、ポーランドでは幼い頃に科学系の博物館を訪れる公的プログラムが設けられていることを紹介。仕組みとして科学とのつながりを知る機会を作ることが大切との見方を示した。

先達からのメッセージ、高校生に勇気を
今回のパネルディスカッションには、ポーランドに姉妹校を持つ姫路女学院(兵庫県)の高校生が招かれた。日本やポーランドの女性研究者らと直接語り合う貴重な機会を得た生徒からは、次のような感想が寄せられている。
「キュリー博士の困難に立ち向かう勇気と、自分の道を信じて進む意思を持ち続けたいと思います。また、私が博士に影響されたように、将来誰かに影響を与えられるような女性になりたいです」
「ロールモデルがおらず、大学で理工学を専攻するか決めかねていました。しかし、女性差別と闘いながら研究を続け、ノーベル賞を2度受賞した博士の力強い生き方を知ることで、『周りがどうあれ、自分の軸を持って理工学を専攻してもいいんだ』と肯定されたように感じました」
万博だからこそ交わった、キュリー博士の足跡と日本の女性研究者のリアルな姿。科学の道を目指す若い女性たちは、両国の先達たちから心強いメッセージを確かに受け取っていた。

関連リンク
- 大阪・関西万博ポーランドパビリオン「科学・教育デイズ」
- 駐日ポーランド大使館
- 科学技術振興機構「第4回羽ばたく女性研究者賞(マリア・スクウォドフスカ=キュリー賞)」
- Maria Skłodowska-Curie Albert Einstein The Letters/1911–1932/