食料や医療、環境など私たちの生活を取り巻く事柄は、人類が直面する問題のホットスポットだ。これら全てに関係する生物学は生きていく上で必須の学問とも言えるが、子どもたちの学びの機会は十分ではない。受験の有利・不利だけで理科選択することなく、生きるために必要な知識を誰もが身につけるための教育とは何か。2024年12月21日に生物科学学会連合(生科連)が東京都内でシンポジウムを開催し、議論した。
自分なりの答えを見いだす探究
冒頭の趣旨説明で、生科連の生物教育・大学入試問題検討委員会で委員長を務める高崎健康福祉大学教授の片山豪さんが、シンポジウムのテーマである「魅力的な生物教育の実現と高等学校で学ぶ科目の新たな方向性」を問うた。
これに対し、文部科学省初等中等教育局視学官の藤枝秀樹さんが、現行の学習指導要領が戦後最大の改訂と言われる所以から紐解いた。
まず、児童生徒を主役として、「教師が教える授業」から「児童生徒が学ぶ授業」への転換を果たしたのが現在の指導要領だと指摘した。理科や生物においては、探究のプロセスを明示し具体的な手段を示したことや、高等学校で学ぶ「生物基礎」「生物」では用語の意味ではなく概念の理解に重点を置き、重要用語の数も限定したことを説明。昨日まで正解とされていたことが今日は正解ではなくなる世の中で、自分で考え、自分なりの答えを見いだす探究が大切だと論じた。
続いて、東京都立小石川中等教育学校で教壇に立つ佐野寛子さんが、探究の過程を授業に取り入れようとしている人たちに向けて、生物学の授業実践を紹介した。佐野さんは、同校1年生へのアンケート結果で「自分の考えが教師の事前説明の影響を受ける」と答えた割合が87.6%と示しつつ、教員が先回りして教えないようにと話した。「推理小説で犯人を説明されたら興ざめ」というわけだ。
授業では実験計画を立てるところから、対象のDNAをPCR法を用いて増幅し、電気泳動によりDNA断片の大きさをふるい分けるといった工程まで生徒たち自身が行うことを紹介。自らが授業をドライブしている感覚を持つことが大事だとした。実際に行われた実験は、米を調理する過程で遺伝子がどこでなくなるのかを突きとめたり、お寿司に使われているマグロが本物か検証するなど、概要だけでも興味を引くものばかり。ほとんどの生徒が面白いと感じているにもかかわらず、受験できる大学・学部が限られてしまうために生物選択者が増えない問題にも触れた。
選択の自由度と得点のしやすさが改善のカギ
現在は京都府教育委員会に籍を置く田中秀二さんは生物を人気科目にしたいと言う。京都府立の高等学校・附属中学校において、生徒の意思を尊重し、魅力あふれる授業と体験の増加、教科書や大学入試の改善にも関わった長年の取り組みを披露した。例年30%前後の生徒が探究のテーマに生物分野を選び、日本生物学オリンピックへの参加者が増え、国際生物学オリンピックで優秀な成績を収める生徒もでるなどの効果もあったという。
しかし、大学入試センター試験・大学入学共通テストの生物の受験者数を指標としてみると全国平均と同程度。期待どおりの結果ではなかったと明かした。ただし、全国平均は理科1科目の選択を生物とする傾向がある国立文系受験者も含むため、理系志望の生徒集団としては生物選択が多い傾向は見られたと話した。
田中さんは卒業生にも追跡調査をした。「なぜ(生物でも良かったのに)物理を選択したのか」という問いには、「物理が得点しやすかった」との回答が60%にのぼった。「大学選択の幅が狭い」という声も一定数あることが分かり、生物選択者を増やすには選択の自由度と得点のしやすさの2つが改善のカギだと結論づけた。
共通テストの生物問題は探究的活動の参考に
生徒たちは進路選択や入試を意識しがちだが、勉強は受験のためにするものなのか。早稲田大学教授の園池公毅さんは、2021年に大学入試センター試験から衣替えして始まった大学入学共通テストに着目し、些末な知識の暗記ではない、思考力を問う問題に移り変わってきている状況を説明した。
2018年度の試行調査において、筋原繊維の顕微鏡写真と切断面の模式図との組み合わせを選ぶという、筋肉が動く仕組みの理解を測る設問の正答率が36.3%に留まったことを例示。百人一首で冒頭の1文字を覚えれば札が取れる「むすめふさほせ」のようにパターン認識で解ける問題の弊害を強調した。園池さんは大学入試制度改革の本当の目的は中等教育改革であり、大学入試共通テストの思考力を問う生物の問題は探究的活動の課題とされる適切な評価の参考になり得ると述べた。
続いて千葉大学医学研究院教授の安西尚彦さんが、大学教育の現場から、さまざまな健康上の問題を知り生き抜くためのヘルスリテラシー育成の必要性を説いた。そして、生物を選択しない高校生も学ぶ「生物基礎」でヘルスリテラシーの基盤となる「ヒトの生物学」にも力を入れるべきだと主張した。
医師や薬剤師の8~9割が生物を選択せず大学に入学する現状にも触れ、生体の機能面を担う基礎医学分野に進む医師の減少を憂えた。同大学では、2020年より20年以上ぶりに1年生向けの「医系生物学」講義を再開したことにふれて、専門教育の基盤としての生物の重要性を訴えた。
正解のない問いを問い続けることが大切
パネルディスカッションでは片山さんがモデレーターを務め、参加者の質問に講演者たちが応じた。「大学に進学しない生徒もいる。社会生活で役に立つことも重要ではないか」との投げかけに、藤枝さんは「現行の学習指導要領にも社会との関連が明記されている」と国の基準でも大切にされている視点を説明した。
安西さんは「海外の学校で教える内容はヒトの生物学が中心」という参加者意見を引き、日本でも高校の履修内容に含めて実生活に役立つことへの注目を促した。園池さんは「重要で(履修内容に)含めるべきとはすぐ言えるが、代わりに何を切るかという難しいところまで考えないといけない」と指摘した。
佐野さんは探求の過程を授業に取り入れることに不安を感じる先生からの声に「低予算でも工夫次第でできる」、「優秀な生徒だけでなく、やってみたい気持ちから入ればどの生徒もできる」と答えた。「まずは経験が先、と生徒から教えてもらった」とも。指導する生徒が物理選択に流れることを憂える参加者コメントに、田中さんは「生物にしなさい、と言ったことはない」と本人や家族の意見を重んじた経験を述べた。
学校現場ではより良い授業を続けること、大学側も生物を必須科目とするなどの変化が必要といったコメントも。予定時間いっぱいまでさまざまな方向からの議論が交わされた。正解のない問いだが、問い続けることが大切だと再認識した。
当日は、「第6回 高校生 生きものの“つぶやき”フォトコンテスト」優秀賞の表彰式も行われた。「人間目線ではなく生き物目線」で捉えた写真作品とそれを生み出した生徒たちの前向きな姿に、問いの先にある希望も見えた。
関連リンク
- 生物科学学会連合
- 生科連公開シンポジウム2024「魅力ある生物教育をどう実現するか-高校生物の新しい方向性について-」(速報)