レポート

【IT大国インドを支えるアカデミア】後編 インドに選ばれる日本になるために

2023.09.08

滝山展代 / サイエンスポータル編集部

 前編ではインドに渡った日本人を紹介した。後編はインドから日本に来る学生や社会人について触れる。インド人は日本の治安の良さや文化に憧れて来日するとされているが、有望な留学や就職先として選ばれるためのハードルは高い。各国の激しい人材獲得競争の中で、インドの優秀な人材に目を向けてもらうには、日本の強みをアピールしつつ、国際社会の「標準」を受け入れ、変化する柔軟性も求められている。

姉妹で留学 安心な国、日本

 留学先として日本を選んだのは、インド南部ハイデラバードで生まれたタークル・ワイシュナヴィさん。現在、東京大学先端科学技術研究センターの博士課程1年生として在籍している。タークルさんは教員で公務員の両親と1つ年下の妹の4人家族。タークルさんは高校の数学と物理の成績が良かったことなどから、両親より大学に進学するよう勧められたという。

東京大学の修士課程卒業式に参加したタークル・ワイシュナヴィさん。妹も東大に留学し、卒業後は日本の企業で働いている(タークルさん提供)
東京大学の修士課程卒業式に参加したタークル・ワイシュナヴィさん。妹も東大に留学し、卒業後は日本の企業で働いている(タークルさん提供)

 大学教授を務めていた祖母も「経済的に自立しなさい。いろんなことを自力でできるようになりなさい」と幼いタークルさんに言い聞かせてきた。タークルさんは地元のスリーニディ工科大学で電気・電子工学を専攻した。100人中25人が女性のクラスだった。卒業後はハイデラバードにあるインドのコングロマリット(複合企業)「ラーセン&トゥブロ」の地下鉄部門に就職し、地下鉄の電気系技師として4年ほど働いた。

 その頃、妹が東大に建築学を学ぶために留学することになった。妹から日本の様子を聞くうちに、タークルさんも日本に興味を持ち始めたという。当初は米国の大学院に進むための試験やTOEFL対策をしていたが、文部科学省が実施する奨学金に応募したところ支給が決まり、行き先を日本に変えた。

 同級生の中には欧米に留学した人も少なくない。だが、日本に来て良かったことの一つとして「治安の良さ」をあげる。タークルさんは現在、ソーラーパネルの効率的な発電方法について研究しているが、深夜まで研究に没頭しても、帰り道に事件に巻き込まれる心配を感じないという。さらに、「日本人の仕事に対するコミットメントと、常に『改善』に取り組む姿勢が『日本らしさ』なのではないか」と分析している。

 改善は「Kaizen」という単語で外国でも用いられ、日本の良さを体現する言葉とされる。実際、研究室でも整理整頓を常に行い、何か困難な事柄にぶつかった時に、より良くしようと改善を試みる日本人学生の姿を見て、その良さを肌で感じているという。タークルさんは博士課程修了後、日本とインドとのコラボレーションができるような仕事に就きたいと思っており、「インドの若者に日本の働き方の良さを伝えたい」と目を輝かせる。

首都ニューデリーと、ムンバイ、ハイデラバード、グワハティの位置関係
首都ニューデリーと、ムンバイ、ハイデラバード、グワハティの位置関係

優れたインド人材 ポストコロナで熱視線

 企業でも例えばメルカリや富士フイルム、楽天グループ、JR東日本などがインド人をITエンジニアとして積極的に採用している。経済産業省はコロナ禍の2022年、「日本インドデジタル大動脈シンポジウム」というイベントをオンライン開催した。ポストコロナを見据え、国内のIT人材不足解消とインド人材の魅力を伝えることが狙いだった。

 インド人はエンジニアとしての技術力にとどまらず、英語力も優れているため、グローバルに展開する企業ではとりわけ重宝されている。人口過多の競争社会で培われたハングリー精神や上昇志向も強く、日本人を感化する存在にもなり得る。

 ただ、受け入れは常にスムーズというわけではない。インドでは何かに特化した人物が評価を受け、「自分の仕事さえすれば良い」と合理的な働き方をするとされる。日本企業のようなマルチタスクと本業の他に片付けやちょっとした雑務もある文化は嫌がられるという。

 日本でインド人をスムーズに受け入れている企業では、このようなインド人のメンタリティに関する理解を進めている。逆に日本企業がインド進出時にミスマッチしやすいのもこのメンタリティに対する部分だ。例えば「日本企業で働くのだから、日本語を覚えてもらう」などの姿勢は「本来の業務契約書にない」と見切りを付けられてしまうケースもある。

災害分野など留学生受け入れに偏り

 学問の現場での課題もある。東京大学インド事務所所長で同大学院人文社会系研究科の加藤隆宏准教授(インド哲学)は「インドのトップ学生は日本を選ばない」と強い危機感を募らせる。地震・災害研究など一部の分野は、強い希望で留学するインド人もいるが、欧米と比較して日本を選ぶことはまれだという。

東京大学インド事務所は、研究教育分野を中心としたネットワーキングのための活動などを行っている。日本留学説明会ブースで学生の相談を受けている様子(加藤隆宏准教授提供)
東京大学インド事務所は、研究教育分野を中心としたネットワーキングのための活動などを行っている。日本留学説明会ブースで学生の相談を受けている様子(加藤隆宏准教授提供)

 加藤准教授は文部科学省が行う「日本留学海外拠点連携推進事業」のコーディネーターとして、インドと日本の大学の教育・研究や学生をマッチングしたり、インド人が日本で就職する際の補助を担ったりしている。自らもインドとドイツに留学した経験がある。

 現在、大学の世界ランキングのトップは米英の大学で、近年頭角を現してきたのが中国だ。ここにインドが加わるのも時間の問題だと加藤准教授は考えている。「20年後、30年後にインドは世界の(大学の)第三極になるだろう。インドが日本と『仲良くしよう』といってくれている間に人的交流をしっかりしておきたい」と強く思うようになった。

日本が国際社会から遅れている4つの訳

 しかし、そんな思いと裏腹に、留学や就職先に日本を選ぶインド人はまだ少ない。それは日本が欧米と比較して(1)奨学金、(2)英語への対応力、(3)円安と賃金の安さ、(4)終身雇用システムという4つの面で課題があるためだと感じている。

 まず、(1)については、日本の奨学金は大学院入学後に支給されることが多く、予めお金を手にして渡航できない。(2)は英語での授業をしていない大学院が多いこと、(3)は先進国の中でも給与水準が低く、卒業後の進路に不安がある。円安は学費の安さにもつながるが、その後の安定が望めないので諸刃の剣となる。そして最後の(4)は、インド人はヘッドハンティングがあればすぐに他社に転職するため、日本のように正規雇用の流動性が低い国は選択肢から外れやすい。

教育現場レベルの交流 細く長くがオススメ

 加藤准教授はより多くの学生を受け入れるためには「複数学位制度や複数大学が連携し学位記を授与する制度を進めないといけない。東大だけが頑張っても、日本が国をあげて本気にならないとできない」と話す。他方で、壮大な計画は頓挫しやすいことも知っている。自らのインドへの留学経験から「大学レベルでなくても、研究室同士がつながりを持っていると研究者同士の交流が続く。細く長くできる事業を続けておくべきだ」という。

 国内でも中部地方にインドの大学と交流を長く続ける大学がある。岐阜大学はインド工科大学グワハティ校(IITG)と単位の相互互換制度を設けており、食品科学や機械工学に関する修士・博士号が取れるように日本とインドの学生が往来する制度を作った。2012年と2014年に学術交流協定を結び、2019年4月からジョイント・ディグリープログラム(2つの大学が共同で単一の学位を授与する制度)を始めた。

 これまで岐阜大に計14人が、IITGに計30人が相互に入学している。参加したインド人学生からは「ライフスタイルの違いを感じられた。日本企業がどのように運営されているかを理解することができ、将来のキャリア形成に専門的に役立つと感じた」との声が寄せられている。日本の研究室が持つ研究デザイン力、構想力を評価する意見が多く、日本の大学の強みといえそうだ。そして、参加した学生によれば、実際に日本企業での就職に関するキャリア支援を望む声も複数上がっているという。

岐阜大学でのジョイント・ディグリーのプログラムに参加した日印の学生たち。2023年7月撮影(岐阜大学提供)
岐阜大学でのジョイント・ディグリーのプログラムに参加した日印の学生たち。2023年7月撮影(岐阜大学提供)

 愛知県の中部大学工学部でも、2017年にIITGとの大学間協定を結び、インド人留学生を受け入れている。内視鏡やCTの画像から病巣を発見するAI技術や、衛星画像から道路を検出する画像判断技術に関する研究を相互に行っている。中部大学は大学間交流にとどまらず、インド国立タタ基礎研究所(ムンバイ)とも協定を結んで宇宙線の共同研究を行い、宇宙先端技術の論文を共同執筆するなど学術協力が進んでいる。受け入れを担当する工学部情報工学科の岩堀祐之教授は「学生がインド人学生の研究の取り組みや進め方などを目の当たりにすることができ、良い刺激とモチベーションになる。加えて大学の研究レベルの向上や活性化というメリットもある」と語る。

 インド人留学生の受け入れを軌道に乗せることができれば、やがて日本企業にそのまま残ったり、インドで日本に携わったりする人材も現れるだろう。

中部大学にIITGから留学した学生を囲む竹内芳美理事長・学長(写真左)と、工学部情報工学科の岩堀祐之教授(写真右)(中部大学提供)
中部大学にIITGから留学した学生を囲む竹内芳美理事長・学長(写真左)と、工学部情報工学科の岩堀祐之教授(写真右)(中部大学提供)

 インドは主要7カ国(G7)、中国、ロシアとも一定の距離感を保つ独自の立場をとり、20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の議長国としての舵取りも注目されている。国際的な存在感が増すインドとの関係をアカデミア、人材面などで今後、どう強化していくのか。官民の相応の覚悟と知恵が求められそうだ。

ガンジス川のほとり。川の水で生活するイメージもあるが、加藤准教授は「インドの都市部は日本人のイメージより遙かに先進的で経済力もある。そのことに日本人はまだ気がついていない」と話す(茨城県立土浦第一高等学校校長 プラニク・ヨゲンドラさん提供)
ガンジス川のほとり。川の水で生活するイメージもあるが、加藤准教授は「インドの都市部は日本人のイメージより遙かに先進的で経済力もある。そのことに日本人はまだ気がついていない」と話す(茨城県立土浦第一高等学校校長 プラニク・ヨゲンドラさん提供)

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