レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第90回「「バイオアダプティブ材料」〜材料で健康・長寿社会の実現に貢献〜」

2019.09.30

荒岡 礼 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター ナノテクノロジー・材料ユニット フェロー

荒岡 礼 氏
荒岡 礼 氏

 科学技術振興機構(JST)の研究開発戦略センター(CRDS)では、科学技術に関する国内外の動向を俯瞰(ふかん)的に見て調査・分析を行い、その結果に基づいて、国として重点的に取り組むべき研究開発課題を抽出し、推進戦略の提言をしています。「バイオアダプティブ材料」の研究開発は、今CRDSが重要と考えている課題の1つです。ここではバイオアダプティブ材料の研究開発が重要になっている背景や、取り組むべき研究開発課題などについて紹介します。

 日本では平均寿命が年々延び、1975年に男性71.73年、女性76.89年だったものが、2018年には男性81.25年、女性87.32年になったと発表されました。この40年間で男女とも10年近く長生きになったことなります。一方、人が「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」を健康寿命といい、健康寿命と平均寿命には約10年の開きのあることが知られています。

 長生きにはなったものの、多くの人が人生の終盤は健康上の問題を抱えて、日常生活に支障のある状態で過ごしているわけです。世界に先駆けて超高齢社会に突入し、人生100年時代が到来したといわれる日本では、一人一人のQOL(Quality of Life、生活の質)を向上して社会の活力を維持するために、健康寿命を延ばすことが何より重要といえます。

 健康寿命を延ばすには、できるだけ病気にならないこと《健康維持》、罹患(りかん)した病気を治すこと《疾患治癒》、体の機能低下や損傷部位を補うこと《身体機能の補修・代替》が必要です。そのための新しい健康・医療技術、例えば、病気になる前に見つける超早期診断技術や、健康状態をリアルタイムに測ることのできる生体情報モニター、難治性の疾患・がん・脳疾患などの根本的な治療法、機能を失った臓器を代替する技術、などが求められています。

「バイオ材料」からさらに「バイオアダプティブ材料」の研究開発へ

 こうした新しい技術の開発には土台となる材料の研究・開発が欠かせません。特に健康・医療の分野ではバイオ材料と呼ばれる、人の体を構成する組織や細胞、体液などの生体成分と接触した状態で使用される材料が重要になります。

 バイオ材料には、コンタクトレンズや歯の治療材料、人工骨のように人の体に直接触れ、体内で使われる材料もあれば、細胞の培養基材など、体の外で検査や研究目的に用いられる材料もあります。生体となじみやすい性質(生体適合性)を持っていることが不可欠で、日本ではこれまで高分子を中心に優れたバイオ材料が開発されてきました。

 しかし、こうした新しい健康・医療技術を実現するには、生体となじみやすいだけでなく、生体との間で起きる現象を制御することのできる材料が必要です。例えば、体の組織が再生して機能を発揮するように細胞を誘導する材料や、組織・細胞とリアルタイムに物質や情報をやり取りすることで診断・治療する材料、さらに、ごく微量の血液や尿の中から病気の予兆となる生体成分だけを選んで捕まえることができる材料などが挙げられます。

 これらに共通して求められるのは、周囲の環境に適切に応答して、生体との間で起こる現象を制御するという性質です。このような性質を持つ材料を、われわれはバイオアダプティブ材料と呼んでいます。

健康寿命を延ばすためニーズを実現する鍵は、バイオアダプティブ材料が握っていると考えられる
健康寿命を延ばすためニーズを実現する鍵は、バイオアダプティブ材料が握っていると考えられる

 バイオアダプティブ材料をつくり出すには、材料と生体の間でどのような現象が起こるのかを理解し、メカニズムを明らかにした上で、期待する性質を持つように材料を設計する必要があります。そのために取り組むべき研究開発課題を以下に挙げます。

1.生体と材料の相互作用によって生じる現象を理解すること

 生体と材料の間に働く相互作用は、材料と生体環境が接触した瞬間に始まって、材料表面の水和やイオンの吸着、生体分子の吸着などマイクロ秒にも満たないごく短時間で起こる現象から、細胞の吸着・増殖といった分、時間単位の現象、さらには組織・臓器・個体レベルの現象へと進んでいきます。材料を使おうとする生体環境で実際にどのような変化が起きるのか、定量的に明らかにし、そのメカニズムを理解・解明することが重要です。

2.生体環境における定量評価・計測を可能にする新技術・装置を開発すること

 生体と材料の間に働く複雑な相互作用を理解するには、相互作用によって引き起こされるさまざまな現象を経時的かつ定量的に計測・解析することが必要です。生体と材料の界面は、水やイオン、生体分子、細胞などさまざまな物質が存在しているために測定が難しく、新しい技術が求められています。また、体の中で局所的な硬さ、圧力、体液の流れ、温度、水素イオン指数(pH)などを計測する技術や、3次元でイメージングする技術なども必要とされています。

3.バイオアダプティブ材料を設計・創製すること

 生体との相互作用を制御することが可能なバイオアダプティブ材料を設計・創製するには、相互作用に影響を及ぼすさまざまな材料特性を自在に制御することが求められます。そのためには、異なる特性をもつ金属・無機・合成高分子・生体由来分子などの材料を広く対象にして、必要に応じて複合化しなければなりません。これまでに日本で培われてきた高度な材料設計・合成・創製技術、ナノテク・加工技術を駆使して、期待する性質をもつバイオアダプティブ材料を具現化することが期待されます。

4.バイオアダプティブ材料の評価基盤を構築すること

 新しくつくり出されたバイオアダプティブ材料を健康・医療技術として実用化するためには、実際に材料が使われる条件・目的にきちんと合う評価をし、安全性と有効性を示さなければなりません。材料が使用される環境の模擬や、適切な評価法・評価指標の設定のための方法論を確立することによって、バイオアダプティブ材料の評価基盤を構築することが求められます。

生体・材料間の相互作用を材料で制御する
生体・材料間の相互作用を材料で制御する

欠かせない理学・工学、生物学、医学分野の研究者の協力

 これらの研究開発課題に取り組むには、日本の高度な材料技術を支えてきた理学・工学分野の研究者に加え、生体分子や細胞、小動物を使った研究をする生物学研究者、新しい医療・ヘルスケア技術や治療法を探求している医学分野の研究者による協力が欠かせません。

 さまざまな分野の研究者が忌憚(きたん)なくディスカッションできる連携・融合の場をつくって、異分野間のコミュニケーションを促進すること。また、研究者間のコミュニケーションによって見いだされた研究対象について、研究開発の推進サイクルを継続的に回していくことが重要です。健康・長寿に貢献するさまざまなバイオアダプティブ材料の創出に向けて、戦略的に取り組むことが求められます。

 以上の内容の詳細は、戦略プロポーザル「バイオ材料工学 〜生体との相互作用を能動的に制御するバイオアダプティブ材料の創出〜(関連リンクに掲載)」にまとめられています。関心をお持ちくださった方は、ぜひご参照ください。

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