近い将来、高い確率で発生すると予測されている南海トラフ巨大地震。この地震が発生する可能性が高まったと科学的に判断されたとき、気象庁は「南海トラフ地震臨時情報」を発表することになっている。令和元年第1回「情報ひろばサイエンスカフェ」(主催:文部科学省 共催:JST)が5月17日に開かれ、この南海トラフ地震臨時情報の仕組みを知り、そのときに取るべき行動を想像しながら「不確実な科学情報」をどう受け止め、どう生活に生かすことができるのかを地震学の専門家とともに考えた。
南海トラフ地震臨時情報についての話題を提供してくれたのは東北大学災害科学国際研究所准教授の福島洋さん。福島さんは、人工衛星に搭載されたレーダーによる地殻変動の計測や、そのデータを用いた地震のメカニズムや評価手法について研究している。「自然現象としての地震の研究で分かってきたことの中で防災に役立つことは多くあるが、解明できていないこともまだまだある」と福島さん。地震研究の限界を踏まえた上で、いかに災害に強い社会をつくるかを工学や社会科学など他分野の研究者と連携して研究しているという。
「ハザードマップを確認したことのある人は?」と、ファシリテーターを務めた、東北大学災害科学国際研究所で広報を担当する中鉢奈津子さんが会場に問いかけると、ほとんどの人の手が挙がった。この日、9つのテーブルを埋めた35人の参加者は実に多様だった。大学生、学校の教職員、宿泊施設の関係者、会社員などに交じって小学生の姿もあった。一様に防災に対する関心が高いことがうかがえた。
南海トラフ巨大地震の「周期性」と「連動性」
地球は十数枚に分かれたプレート(岩盤)で覆われていて、それぞれのプレートは少しずつ動いている。南海トラフ巨大地震は、フィリピン海プレートとユーラシアプレートとの境界付近で起こる地震だ。フィリピン海プレートに引きずり込まれたユーラシアプレートの広い範囲が跳ね返ることにより起こる地震は約100年から150年間隔で繰り返し発生してきた。この地震の大きな特徴は、その「連動性」だ。
紀伊半島をはさんで西側と東側が別々に、時間差を置いて破壊されるケースが複数知られている。直近では、1944年に紀伊半島から東側に被害をもたらした昭和東南海地震の2年後に起こった昭和南海地震により紀伊半島から西側が大きな被害を受けている。
南海トラフ巨大地震が発生したときに予想される被害
「日本周辺ではいくつかの巨大地震が発生する懸念があるが、南海トラフ巨大地震が注目を集めている理由は、その社会的重要性にある」と福島さん。政府の中央防災会議による被害想定によれば、静岡県から宮崎県にかけての一部で震度7となる可能性もあるとされ、また、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10メートルを超える津波の襲来も想定されている。福島さんによると、西日本の太平洋側は人口と産業が密集しているため、ここを巨大地震が襲うと、大きな社会的影響は免れない。
地震研究の最先端「スロー地震」と地震の予測にまつわる現状
ここで福島さんは、地震発生研究の最先端の話題として「スロー地震」を紹介した。スロー地震は、断層がずれる速度が通常の地震に比べて遅い地震だ。少し遅いだけなら、ゆっくり揺れる地震になる。断層のずれる速度がより遅いと揺れも生じない。そうなると、もはや地震とも言えないわけだが、断層のずれがあることは確かで、この現象は「スロースリップ」や「ゆっくり滑り」と呼ばれる。
福島さんが伝えたかったのは、スロー地震が、地震発生予測の観点から重要であるということだ。「スロースリップや、スロースリップに誘発されたと考えられる小規模な地震活動が大規模な地震の直前に起こる事例が複数見つかっていて、その有名な例が東北地方太平洋沖地震です」。福島さんが東日本大震災に触れると、参加者の多くは身を乗り出したり、大きくうなずいたりした。
ここで福島さんは、地震の予測にまつわる現状をまとめた。
まず、地震の発生過程には多様性があることが分かってきたことを挙げた。多様性があるために確度の高い予測はできないというのだ。一方、観測網の充実により、大規模な地震につながる可能性のあるスロースリップなどの現象を捉えることができるようになってきた。また、南海トラフ地震では、過去において短い時間差で連動して地震が起きていることが分かっている。これらにより、震源域の半分あるいは一部を破壊するような地震が起きたり、スロースリップが観測されたりしたら、「地震発生の可能性が相対的に高まった」という評価は可能とされて、南海トラフ地震臨時情報の仕組みができたということだ。
「南海トラフ地震臨時情報」が出たら、何ができるか? 何をすべきか?
福島さんが防災対策を取るべき3つのケースについてスライドで説明した。
最も警戒度合が高い「半割れ/被害甚大ケース」は、プレート境界でマグニチュード(M)8以上の地震が起きた場合、1週間は最大限の警戒をするというのが基本的な考え方だ。福島さんによると、この1週間というのは科学的根拠があっての1週間ではなく、人々が生活の中で我慢できるのは1週間ぐらいだろうとのアンケート調査に基づく推測から設定されたものだそうだ。「半割れ/被害甚大ケース」に加え「一部割れ/被害限定ケース」「ゆっくりすべり/被害なしケース」での防災対応の流れについての解説が始まると、熱心にメモを取る参加者の姿があちらこちらで見られた。
福島さんから南海トラフ地震臨時情報について約20分間のレクチャーを受けて、そのあらましが理解できたところでグループワークの時間となった。この日は、2つのテーマが用意されていた。1つ目は「実際に臨時情報が出されたら、自分はどう行動するか」、もう1つは「臨時情報を実際に防災につなげていくアイディアや仕組みはないか」というもの。この2つのテーマについて各テーブルで話し合い、その結果を参加者全体で共有した。
まず、1つ目の問いは「どう行動するか」。これについては、「やれることはあまりなく、備蓄や避難時の装備をいつもより厚くするぐらい」「地域、近隣とコミュニケーションを取って避難の方法などを検討する」「詳細情報を公的機関に問い合わせる」「家族間の連絡手段を確認する」などの意見が出た。
福島さんは、「臨時情報が出たということは連動する地震が起こる確率が高まっているという訳だが、常に地震発生の可能性はあり、備蓄や知人とのコミュニケーションは普段から必要」。地震臨時情報の有無に関わらず、普段からの備えが欠かせないことに触れ、「そういう意味では、いつもより防災対策を増強するというのはお手本のような回答」とコメントした。ここでも、この日の参加者の防災意識の高さを垣間見ることができた。
続いて、「臨時情報を防災につなげるアイディア」。これについて出された答えは、より具体的だった。「確率が相対的に高まったと言われてもよく分からないので、数字など明確な指標で示せないか」「学校を休みにするなどの大枠の指針が出されたら現場での判断がしやすい」「地震をリアルに体験するためのシミュレーションができる仕組みをつくってはどうか」「天気予報のように日頃から地震情報をこまめに出せば危機感を持ってもらえるのでは」など。公的機関に具体的な指標や指針を出してもらい、それらの情報が出たときに各自が的確な判断ができるように知識を身に着けられる工夫が必要との考えに至ったグループが多かった。
必要なのは情報の「理解力」と「判断力」 それが「行動力」につながる
「臨時情報の適切な活用により軽減できる被害はある。一方で、臨時情報を出したとしても、結局地震が起きないで終わる『空振り』もあり得る。臨時情報を活用するには、そのような空振りをも許容できる社会でなければならない」。福島さんは、まず不確実な情報に対する社会全体の理解が必要であるとしたうえで「情報の受け手側にも理解力・判断力・行動力が必要です」と続けた。
情報を受けたときに、その内容を理解し、当然避難しようという判断をし、実際に行動できるまでになるためには、「例えば、プレート境界面の変化などのデータをリアルタイムで提供するようなシステムをつくり、繰り返し情報を出していくなど、地震を身近に感じられる仕掛けが必要」と福島さんは提案した。そして「メディアとも連携して、関心のない人々までも巻き込めれば、防災が文化として定着するでしょう」と期待を込めた。
最後に福島さんは、地震と賢く付き合っていくためのひとつの考え方を伝えてサイエンスカフェを締めくくった。
「科学や行政対応の限界を踏まえた上で、それぞれの国、土地に合った自助・共助・公助の役割とバランスを模索しながら自然災害に対する処し方を考えることは、より豊かに生きることにつながるのではないでしょうか」
この日のサイエンスカフェは、参加者にとっては、地震予測をめぐる最新の状況を知ることを通じて防災を自分ごとと捉える良い機会になった。また研究者にとっては、不確実な科学情報の市民の受け止め方を肌で感じ取る貴重な機会になったようだ。終了後も福島さんや中鉢さんを囲んで、あるいは参加者同士で、さらに意見交換が続いていた。
サイエンスカフェをまとめたグラフィックレコード(ギジログガールズ 記録)
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