レポート

英国大学事情—2016年10月号「英国の大学による専門職博士号の提供」<HEFCE報告書 Provision of professional doctorates in English HE institutionsより>

2016.10.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住約40年のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。

 2016年1月、HEFCEはCareers Research & Advisory Centre(CRAC)に委託していた、専門職博士号(Professional Doctorate)の提供に関する調査結果を「Provision of professional doctorates in English HE institutions」と題する報告書にて発表した。

 この調査報告書の執筆には、CRACの他に、University of Brightonと研究者のキャリア・ディベロップメントを支援する組織であるVitaeの研究者が参加した。今月号では、この80ページを超えるHEFCE報告書の中から、ごく一部を抜粋して紹介する。

 英国では、通常の博士号であるPhDの他に、専門職博士号(Professional Doctorate:PD)と呼ばれる、専門職に密接に関連した博士号がある。その例として、Doctor of Engineering(D.Eng.)、Doctor of Social Science(D. S. Sc.)、Doctor in Information Security(D. info. S.)などが挙げられる。

1.専門職博士号の特徴

目的
専門職博士号(PD)は、研究を通じて、専門職としてオリジナルな貢献をもたらす能力を開発することを目指す。

研究の重点
専門職博士課程における研究は、学生の専門職に直接関連し、その研究のアウトプットは知識の発展に貢献するのみでなく、その専門職に大きなインパクトを与えることに重点を置く。

組織立った博士課程
専門職博士課程は通常の博士課程であるPhDコースに比べて、専門職のスーパーバイザーが付いたり、他の学生との集団活動があったりと、より組織立ったコース内容となっている。

2.提供の範囲

* 過去5年間で、専門職博士課程を提供する高等教育機関が継続的に増えており、それに伴って提供されるコースも増加している。特に1992年以降に設立された比較的新しい高等教育機関による専門職博士課程の提供が増えていて、この傾向は今後も継続すると思われる。

* 専門職博士課程の提供数は、教育、ビジネス、心理学・ヘルス、ソーシャル・ケアの4分野が最も多い。特にこの分野には、従来のEdD、DBAやDClinPsy等の博士号の他に、新たな、より専門的な博士号が生まれつつある。

* また、専門職博士号は、犯罪科学、行政、セキュリティー等、伝統的な学問分野の専門職の他に、社会科学、科学技術および芸術の応用分野を含む、広範囲な新分野にも増加している。

* 各大学の専門職博士課程の多くは小規模であり、特に新分野においてその傾向が顕著である。2013・14年度において、いくつかの既存の学問分野の専門職博士課程では20名以上の新規入学者があったが、多くの場合はそれ以下の入学者数であった。同年度には、特にヘルス分野の専門職博士課程の入学者が減少したが、公的分野への政府の予算削減が関連していると思われる。

3.大学による提供と雇用者からの需要

* 専門職博士号は、企業などの雇用者側の要望に応じる形で生まれたものであるが、今のところ、雇用者側からの専門職博士号を持つ人材への需要は相対的に弱いように思われる。これは、雇用者側が専門職博士号を持つ人材の価値を十分に理解していないためと思われる。

* 雇用者からの需要が弱いために、教育やビジネスを含む多くの学問分野における専門職博士課程の学生は自費で学費を賄っている比率が高い。専門職博士号への需要は、学生自身からの需要によって伸びているとも言える。学生の中には、勤務している雇用先での昇進よりもキャリア・チェンジの期待から専門職博士号を目指す者もいる。

* この例外として、国民健康保険制度(NHS)が授業料を助成する臨床心理学や、高等教育機関が自校のスタッフの授業料を助成するケース等が見受けられる。

* スーパーバイザーの提供や授業料への助成など、雇用者による専門職博士課程入学希望者への支援はますます稀になっていると共に、勉学のための休職制度も減少している。現在のところ、雇用者からの需要は弱いが、多くの高等教育機関は専門職博士課程の提供と学生の需要は少しずつ増えると考えている。

* いくつかの専門職博士課程は地域のニーズや英国の専門職に対応するために開設されたが、今後は専門職博士課程への入学希望者の獲得に向けた大学間の競争が激しくなり、コースの持続性のためには海外からの留学生の受け入れが必要になってくるであろう。また、高等教育機関の中には入学者数の減少に伴い、入学者数を維持するために、新分野の専門職博士課程を新設した高等教育機関もある。全体的に見て、多くの高等教育機関では専門職博士課程の提供を戦略的に行っているとは言いがたい。

4.コースの体験、インパクト及び課題

* 専門職博士課程は学問分野ごとに詳細は異なるが、通常、授業ベースの第1段階と研究主体の第2段階に分かれている。各高等教育機関は特定のニーズに応じたコース設計をしているため、入学、研究論文の提出やコース満了の条件はコース毎に異なる。

* 通常、専門職博士課程の第1段階の授業では、研究方法など、研究に必要なスキルや汎用的スキル等、専門職開発を含む博士号と研究に焦点を当てた内容となる。これらは部分的にはPhDコースに似ているが、基本的には異なるコースである。

* 学生数が少ない場合、特に教室での対面授業はコスト面で効率的でない。そのため、授業中心の第1段階の課程では、より多くの海外からの留学生を専門職博士課程に呼び込むと共に、通信教育やオンライン教育の導入を図っている高等教育機関も増えている。授業コースによっては、このような形態のみを提供している高等教育機関もあれば、学生募集を毎年はしていない所もある。

* 専門職博士課程のある学生は、「プレッシャーがかかる専門職の実務生活において、グループ・ベースの勉学は専門職博士課程体験のハイライトであると共に、学習意欲を高め、課程をやり遂げるというコミットメント(こだわり)を持続する上で価値があった」と報告している。一方、「授業の多くが、高等教育機関の研究施設外で実施された」とのコメントもあった。

* 専門職博士課程学生が従事する専門職のための研究プロジェクトへの十分な指導・監督や評価を実施できるかどうかが、高等教育機関にとっての課題であろう。

* 現在、専門職博士課程に在籍する一部の学生からは、Quality Assurance AgencyのガイダンスがPhD学生への指導監督に関する最近の傾向や高等教育の質を保証しているにもかかわらず、特に課程の第1段階においては指導・監督者が1名のみであるとの報告が届いている。また、より多くの学生が通信教育やオンライン教育で学んでいる場合、更なる指導・監督についての課題が出てくるであろう。

* 熟慮されたプラクティス(実践的教育)やエビデンス・ベースのプロフェッショナリズム(高度な専門教育)等は、雇用者に歓迎されるスキルを向上でき、同課程の多くの学生のキャリアや自己開発への動機が反映されたものであるとして、専門職博士課程の現役学生や卒業生による同課程へのコメントは、非常にポジティブである。

* 専門職博士号の質の課題に関しては、特に高等教育機関内において論点として残っている。しかしながら、専門職博士課程学生は、研究環境においてサポートがより少ない傾向にあるため、PhD研究者より多くの学習量をこなしている。また、専門職博士課程学生による研究は、知識への貢献だけではなく、プロフェッショナル・プラクティスへのインパクトをも期待されている。

5.提言

【戦略と持続性】

* 英国の専門職支援組織や高等教育機関は、ニーズに応じた専門職博士課程を考え出して提案するというアカデミック・スタッフに委ねられた貴重な自主性を見失うことなく、専門職博士課程の提供に対して、より戦略的な基盤を開発することによって利益を得ることができるであろう。

* DBA(Doctor of Business Administration)やEdD(Doctor in Education)など、既に広く知られている専門職博士号ブランドと融合した新たな専門職博士課程の開発は、国内外の雇用者や博士課程への進学を考えている者に対して、専門職博士課程の知名度を上げることにもつながろう。

* 専門職博士課程に関する雇用者との連携や新規市場への進出は、高等教育機関の大きな動機の一つになっている。また高等教育機関は、専門職博士課程によって提供されるものが、研究インパクト、雇用者との連携、社会的利益など、高等教育機関の戦略的優先事項に、いかに貢献しているかを認識すべきである。

* 学生自身が授業料を負担して専門職博士課程を受講する傾向が増えていることを考慮し、高等教育機関は従来からの雇用者によるスキルアップのニーズに加え、専門職博士課程が個人のキャリア・デベロップメントをも反映するようにすべきである。

【質と評判】

* 高等教育機関と高等教育分野は、専門職としての実務を考慮した上で、専門職博士号の研究内容と要求されるインパクトの重要性を強調して、PhDと同等の資格ではあるが、学生のターゲット層と授業内容が異なる専門職博士号の促進を、一貫性を持って進める必要がある。

* 既存の名の通った専門職博士課程に新たな博士課程を融合させることによって、専門職博士号の全体的な知名度を高めることができよう。

【授業】

* 高等教育機関は、効率を上げるために、専門職博士課程授業の一部をPhD学生向け訓練プログラムと共同で行うことも必要であろう。

* 高等教育機関は、1名の専門職博士課程学生に1名以上の指導・監督者を付けるなど、Quality Assurance Agencyの質に関する規定に沿った十分な人材と専門性を提供すべきである。

* 研究方法やスキルに関する汎用的な訓練の提供など、特定の学問領域の専門職博士課程において、いくつかの高等教育機関が共通した授業を共同で行うのも一案であろう。特に、このような施策は提供する高等教育機関が少ない学問分野においては、コースの存続のためにも重要と思われる。

【標準化と事務処理のデータ】

* 高等教育機関と関連分野は、専門職博士号の知名度が低い一因ともなっているコースの名称や称号等の複雑さや不均等性を是正すべきである。

* 専門職博士号(PD)は、PhDとは異なったものである。これらの資格やコース受講者の情報をより理解するためには、HESA(Higher Education Statistics Agency)の「Student Record」を通じた、より明確で、標準化された、かつ組織立ったデータの収集と報告体制が役立つであろう。

【更なる調査】

* アカデミアの世界では、専門職博士号(PD)とPhDは非等価であるとの認識が根強い。この認識を変えるには、PhDの研究の質と専門職博士の研究の質の比較を測定する必要があり、そのためには、専門職博士号とPhDの研究者の各アウトプットを調査することしかないであろう。

* 専門職博士号は専門職の世界に既に根付いているが、現在、専門職博士号が専門職やその職場に与えたインパクトに関する確たるエビデンスがほとんどない状態である。これらのエビデンスを探るために、更なる調査が必要であろう。

6.統計資料

筆者注:1992年の法改正以降、高等教育専門学校であるポリテクニックの多くが大学に昇格し、大学数が大きく増加した。英国では、この1992年以降に大学になった高等教育機関をPost-1992大学と呼び、新しい大学を指すことが多い。また、1992年以前設立の高等教育機関には24の有力大学で構成されるラッセル・グループが含まれる。

* ビジネス、ヘルス・ソーシャルケア、心理学、教育学の分野が専門職博士課程のメインであるが、近年、以下のような分野で多くの新たな専門職博士課程が開設されている。なお、ここに掲載した専門職博士号は事例であり、全てではない。

* 各大学がHigher Education Statistics Agencyに提出するデータには、専門職博士課程に関する詳細な規定がないため、専門職博士課程に在籍している学生数を正確に把握することは難しいが、イングランド地方における専門職博士課程数は約320コース、在籍者数は8,300名と推測される。

* 1コース当たりの平均在籍者数を測定するために、イングランド地方の100の専門職博士課程コースをサンプルとして抽出したものが以下の表である。

7.筆者コメント

* 専門職博士課程(PD)は英国に1990年代に開設され始め、近年、その数が増加している。上記のデータはイングランド地方の高等教育機関のみの集計であり、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを合わせるとコース数は多くなる。

* 専門職博士課程は、研究を重視してアカデミックス・キャリアを目指す者が多いPhDコースとは異なり、PhDと同等の地位を持ちながら、専門職に直結した研究とプラクティスに特化した博士課程である。専門職博士号(PD)取得者はPhD取得者と同様に、「ドクター」と呼ばれる。

* 専門職博士課程の受講者の多くは実務に従事しているため、パート・タイムのコースも多い。専門職博士課程では、通常、小グループで授業が行われ、多くの研究訓練も実施される。

* 専門職博士課程には、高等教育機関と授業コースによってフルタイム、パート・タイム、通信教育等の授業形態がある。受講資格も高等教育機関やコースによって、一定の成績を収めた学士号取得者、修士号取得者で一定期間の実務経験者などと異なっている。受講期間も通常はフルタイムで2~5年、パート・タイムで3~8年とコースに大きな幅がある。

* 英国では上記のように多数の博士号が存在していて複雑ではあるが、大学の研究者を目指すのではなく、当初から専門職を極めたいという学生のニーズもあり、PhDではなく専門職博士号(PD)を選択する者も多い。英国の高等教育機関には、このようなさまざまな学生や社会のニーズに柔軟に対応している姿勢が感じられる。

参考資料:
HEFCE報告書「Provision of professional doctorates in English HE institutions」
jobs.ac.uk「University of WarwickProfessional Doctorates: The Basics for Prospective Students」

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