レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第74回「バイオサイエンスにおける情報の大切さ」

2016.08.10

西野恒代 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター ライフサイエンス・臨床医学ユニット

 バイオサイエンス技術の発展は近年目まぐるしく進み、得られる情報(データ)量も日々増加し、蓄積されています。その中で大きな割合を占めるのが、遺伝子・ゲノムの塩基配列情報です。ゲノムとは、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)のDNA塩基の並びから成る、生物を形づくる遺伝情報を指します。この4種の塩基からゲノムが成ることを発見して以来、配列を解析する技術開発が進められ、現在では遺伝子・ゲノム配列解析はバイオサイエンス研究の中核となっています。

遺伝子・ゲノム配列解析と医療への活用

 初めてヒトの全ゲノム約30億塩基対を解析した「ヒトゲノム計画」には、国際協力プロジェクトとして米欧日などの研究者たちが参加し、ヒトの全ゲノム解読には、1990年から2003年までの13年間を要しました。この際にゲノム解析技術の開発も進み、2008年頃には次世代シークエンサー(NGS)という解析機器が登場しました。この結果、我々は遺伝子・ゲノム配列を短時間かつ安価に解析できるようになり、今では、ヒト全ゲノム配列を1000ドルで解析する企業も出ています(米国 Veritas Genetics)。人種・生活習慣・疾患など、異なる多様な背景を有するヒトゲノムを解析し、多くの情報比較から、疾患、進化(環境適応など)などに関連する遺伝子を明らかにしました。一方で、ゲノム解析はヒトだけでなく、マウス、ゼブラフィッシュ、ハエ、微生物、植物など広範囲な生物ゲノムにも用いられ、同種間および他生物間の研究で不可欠な要素となっています。

 NGSによる遺伝子・ゲノム配列解析は研究だけでなく、すでに医療現場でも大きな影響を与えています。大勢のゲノム配列や体内代謝物を解析比較することで、疾患の原因や発症メカニズムの理解が進み、創薬や治療手法の開発に活かされてきました。近年では、個人の解析結果から、薬の効果や治療予後が予想できる疾患も出てきています。つまり、解析情報から、各人の遺伝子・ゲノム由来の特徴に適した治療法を選択でき、強い副作用や低薬効などを事前に回避できます。このような個を対象とした医療技術の高度化は、各疾患研究と共に今後も進んでいきます。しかし、“個人”に特化した治療(個別医療)を多くの人へ適用することは、手間隙(てまひま)による医療費の高額化、現場の混乱などを招きます。

 このため、一つの疾患に対して複数の治療法を設定し、それぞれの個人解析情報を元に適した治療法を選択する「サブグループ化医療(Precision Medicine)」の重要性が認識され、サブグループ化に適した研究開発の必要性が高まっています(図1)。米国では、オバマ大統領が2015年の一般教書演説において、科学技術に関する施策として「Precision Medicine Initiative」を強調し、このサブグループ化医療についての研究を推進しています。自分の遺伝子・ゲノム情報はまだ遠い存在に感じるかもしれませんが、近い将来には医療診断の基礎になる、血液型のような存在になるかもしれません。

ゲノム情報活用の利点と課題

 以上のように、「遺伝子・ゲノム解析」情報から、我々は多くの利点を受けています。しかし、問題点もあります。例えば、“個人情報”としての認識、取り扱いです。遺伝子・ゲノムなどには、体質、体格、疾患発症の可能性、祖先のルーツ、などの情報が含まれています。この情報は容易には変更できない特徴を示しており、本人に加えて両親や子孫などの血縁者の情報も含んでいます。取り扱う研究機関や医療機関は解析情報の使用、保管の重要性を認識し、多くの対応策を議論した上で行っています。また、国外研究機関との連携においては、人種間の差異などと関連するため、国民の遺伝子・ゲノム情報をどこまで開示するかなどの兼ね合いを、相互に協議、意識する必要があります。

 しかし、塩基配列解析が今後さらに容易かつ安価となり、多くの国民が自分の配列情報を知るようになった場合、自分自身の情報の重要性・危険性を正確に認識しなくてはなりません。近年では、既に、塩基配列を解析する会社によって、興味があれば誰でも自分の配列情報を簡単に得ることができる状況になってきました。このため、個人の配列情報の重要性を誰もが一般的に認識できる知識提供の場、機会を早々に設ける必要性があると強く感じています。この際には、得られた配列情報から何が解るのかも含まれなければなりません。

 明らかな遺伝子疾患でない場合には、配列情報からは個人の傾向しか分かりません。これまでの情報と比較して、特定の病気になる確率が高い、太りやすい体質である、などが示されますが、必ず発症すると断言はできないのです。このため、配列解析によって、病気になるかもしれない、と不安やストレスを感じる人も多くなるはずです。得られた情報をどう解釈し、病気にならないためにどう活かすかといった「予防医療」の視点からの知識提供も必要です。

近年注目を集めるマイクロバイオーム解析

 予防医療という観点から、NGSを用いた「マイクロバイオーム解析」研究が世界中で注目を集めています。マイクロバイオームとはさまざまな微生物の集まりを意味します。マイクロバイオーム解析は、土壌や生活空間などの環境中の微生物群、植物・昆虫・ヒトなどの生物と共生する微生物群の種類や構成割合を解析するもので、NGSを用いることで一度に解析できるようになりました。

 ヒトでは上皮(腸内、皮膚、耳鼻眼腔、生殖器など)に存在する微生物群の解析が盛んに行われています。食事、年齢、生活習慣、生活環境、人種、疾患などの違いでヒトの腸や皮膚などのマイクロバイオームを比較したところ、構成の違いが次々と報告されました。(参考:科学技術振興機構 CRDS調査報告・戦略プロポーザル「微生物叢(マイクロバイオーム)研究の統合的推進 〜生命、健康・医療の新展開〜」CRDS-FY2015-SP-05)。

 マイクロバイオームの違いが疾患などの起因・結果のどちらであるかは多くの疾患で明確ではありません。構成の違いに対し、分子メカニズム解明、治療法開発、生活習慣の影響、複雑な代謝経路などさまざまな視点から、世界中で積極的な研究が進められています。このため、「マイクロバイオーム」を切り口として、新規な疾患治療技術の確立や、上記したサブグループ化の判断材料となるバイオマーカーなどが社会に還元されると期待されます。さらに、腸内マイクロバイオームは医療だけでなく、食・運動といった日常生活でも影響を受けます。このことから、微生物の変化や代謝物を指標に、これまで正確に提示できなかった『予防』を評価する方法としても期待できます(図2)。

 最後になりますが、遺伝子・ゲノム・マイクロバイオーム情報を取得し、解析することによって、20年前であればSFに出てくるような多くの利益を我々は得てきました。そして、これからも多くの情報が得られるでしょう。バイオサイエンス技術の次なる発展により、どのように配列情報が活かされ展開するのか、デメリットもあるものの期待は広がります。塩基配列情報のように、今後のバイオサイエンスの発展には、多様で大量の情報を収集し、解析の結果を抽出することが必要となります。そのため、多くの方々の理解と協力を得て大量のバイオ情報を集める必要があります。その収集や活用について、曖昧な知識から来る人びとの不安を払拭できるように、我々のような機関や技術提供者は、一般の人が理解しやすい言葉で有益な情報を提供していくことの必要性を、忘れてはいけません。

図1.サブグループ化医療
図1.サブグループ化医療
図2.予防医療
図2.予防医療

※図1,2ともに(戦略プロポーザル)微生物叢(マイクロバイオーム)研究の統合的推進 〜生命、健康・医療の新展開〜/CRDS-FY2015-SP-05(*)より引用

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