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ショッキングなタイトルだ。生物多様性や絶滅危惧種の話題はよく見聞きするが、日本人が愛してやまない桜までが「なくなる」恐れがあるのか。
著者は日本を代表する植物学者だ。パンダやトキ、ウナギが「絶滅危惧種」として話題になることはあっても、植物の危機はほとんど知られていない。「人の営為に脅かされる植物たちの危機や植物に関する話題はメディアでも迫力が乏しい」という著者の思いからの問題提起であり、「はじめに」で、早速タネを明かす。「『桜がなくなる日』がやがてやって来るという紹介ではなくて、そのような日が絶対に来ないことを念ずる書である」と。
そこで表紙を閉じてはいけない。私たちは今、日本列島から桜をなくすような「愚行」を現実にしかねない状況なのだ。本書は、人のふるまいによって環境が改変され、植物が危機に直面する実態、「多少の植物が絶滅しても、桜が残ればいい」という考え方が、いかに浅はかかということを、さまざまな具体例を挙げながら解説する。
最初に紹介する例は、秋の七草が「五草」になるかもしれない、という話題だ。七草のうち「フジバカマ」と「キキョウ」が、人の行為によるそれぞれの植生環境の変化によって、絶滅危惧種をまとめた「レッドリスト」に掲載されたり、数を大幅に減らしたというのだ。一方、植生環境の回復活動や過剰な採取を制限するなど、実態を把握し、適切な対応をとれば、植物を絶滅の危機から救えるという例を紹介する。フクジュソウ、アサザなどが挙げられている。
一方、地球の長い歴史で繰り返されてきた種の絶滅と、現在進行する人の営為による絶滅の差を、明解に伝える。人が引き起こす絶滅は、これまで地球上で演じられてきた生物の進化の歴史では経験してこなかったほど急速に進む現象なのだという。「(人は)自分たちの種の繁栄のために、自然に甚だしい変貌を強いてきた」と断じ、その影響が「自分たち自身である人の生存も脅かしかねないまでになっている」と警鐘を鳴らす。
地震・津波のような自然災害に比べ、種の絶滅は人の生命に直接影響を及ぼすものではなく、理解を求めるのが難しい側面もある。「植物の何%かが絶滅しても、人類の生存には何も心配はないのではないか」と。しかし、いくつかの種が絶滅するという状態は、多くの種にそれなりの影響が広がっていることを意味する。ある程度までは全体が耐えられたとしても、次の瞬間に全体が崩壊するかもしれない。人が暮らす環境全体への影響も計り知れないということだ。つまり、「桜だけが生き残る種に含まれる」と予測する根拠はどこにもないのだ。
それだけではない。著者は「花が美しいと感じるこころは、人だけがもつ特性」と説く。そして、生物多様性がもたらす最大の恩恵は、「人と自然とのつきあいが、人の生をもっとも豊かにしてくれるという点」と位置づける。
本書の中心的な植物である「桜」をめぐる歴史や人とのかかわり、万葉集などを読み解いて明らかにする日本人と植物の関係、日本と欧米の「自然」観の違いなど、興味深い話題も盛りだくさんだ。約30億年という地球上の生命のつながりを振り返り、そこに登場した「人」という生物の役割を肩肘張らずに考える1冊としたい。