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従来の天才やエリート集団、あるいは、奇跡的に引き起こされる科学技術の革新的発見に対して役割を固定化せず、オンライン上での一般社会を含むオープンな情報流通によって新しい科学の流れをつくろうというのが、著者の言う「オープンサイエンス」である。
量子コンピュータ研究のパイオニアである著者は、科学者や助成金交付機関、そして一般社会に対して、それぞれが何をすれば科学技術の成果を最大限に高め、より良い社会を構築できるのかを説明している。
特に強調するのが「サイエンスの民主化」の視点だ。民主主義社会において、誰が科学に資金を提供するのか。どのように科学を公共政策に統合すべきか。誰が科学者たりえるのか- など、科学の歴史における本質的な部分に切り込んでゆく。
“オープンサイエンスを妨げる重要な要素”として著者が指摘するのが、科学的な発見の最終的な公表手段である「論文」に対して、科学者が強く依存している点である。その論文の掲載場所として、17世紀から続く科学雑誌(ジャーナル)は、オープンな情報流通に反対の立場をとる場合があるという。その理由は、「オープンサイエンス」が科学雑誌にとって採算性とピアレビューシステムの脅威となり、科学的な評価選択に影響する可能性があるからだ。
さらに科学者の求職活動では、どの雑誌に論文が掲載され、どれだけの助成金を取得したかが強調され、それでしか評価しようとしない科学コミュニティの問題や、応用研究、商業利用を奨励した結果として研究の秘密化が加速している点、さらには助成金交付機関が知的財産の追求を強めている姿勢も、サイエンスのオープン化への障害だという。
著者は、助成金交付機関を「中央集権化したシステム」で支配されている科学という共和国における事実上の管理者だとして、こう皮肉る。
「助成金の提供の条件として街でサンバを踊らなければならないと決定したら、街は踊る大学教授で溢れかえるだろう」
著者は、科学技術施策がより良い世界を求めている人を応援すべきだと主張する。昨今のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の広がりとともに、「オープンサイエンス」には、一般社会と科学コミュニティがともに未来をつくるための大きな可能性を感じる。