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著者は、医療や健康問題を人的な視点でとらえる「医療人類学」を研究分野としている。本書では「技術は今までできなかったことを可能にし、私たちに新たな選択肢を与える」との立場から、科学や技術が生み出す新たな生き方、価値観を読者に提示し、「現実を見据えて、今後どのような社会を築いていくかを考えてほしい」と呼びかける。そのための参考材料として、著者は、不妊治療を受けた当事者たちへのインタビューや、国内外の報道や論文を取り上げ、丁寧に論を進める。
不妊治療を目指す生殖技術は、20世紀の終わりから急速に発展した。日本では現在、不妊治療で生まれる子どもが年2万人を超える。メディアもこの話題を頻繁に取り上げ、社会の関心は高いとされる。技術が発展した現在、「子どもが欲しいのにできない」状態は「治療を受けるべき対象」とみなされるようになった。中でも、著者が重要な視点として挙げるのは、生殖技術によって卵子や精子が体外に取り出され、本人の身体と切り離されたことが、第三者の介入や研究材料として扱うことを可能にし、「身体の資源化」という倫理的課題を招いた現実だ。
本書の特徴が表れているのは、「日本において不妊であることの意味」を詳細に検討した、第5章「生殖技術と女性の身体のあいだ」だろう。「お子さんは何人?」という何気ない日常会話を端緒に、さまざまな立場の当事者のインタビューを取り上げながら、「不妊がつらい」と考えるようになっていく背景を探っていく。著者は「子どもがいないことが、社会的にマイノリティ集団として規定されていることによる」と分析する。それが、本来の「自然な身体」が有する能力がないために自分を「劣った状態(異常)」ととらえて“苦悩”し、その苦悩を解決するために不妊治療という医療を求め、自己評価の低下にもつながっている、と指摘する。
ノーベル医学生理学賞に決まった山中伸弥・京都大教授が発明した人工多能性幹細胞(iPS細胞)などを使う、再生医療についても取り上げた。著者は今後の研究の進め方について、「先端研究を担う人々は、意図せざるとも、はるかかなたにある可能性を目前のように描く傾向がある。しかし、希望をちらつかせて実験的な研究への参加を誘導することがないように注意すべきだ」「人体の一部や血液といったものの研究提供は無償であることが倫理的だとされるが、その研究によって莫大な利益を得るかもしれないことについては意図的に言及されないか、あいまいなままにされる」と課題を示す。さらに、「再生医療がなぜ必要か」を問い直すことを求め、重い病気を持つ人は「治すべきだ」という意識が根強く、病気を持つ人に「人間らしく生きるという希望」を提示する視点が欠如した現代社会の構図にも言及する。
第三者による精子や卵子の提供、代理出産の現状についても、詳細に検討を加えている。そして最後には、上記のような課題や苦悩を解決する視点として、例えば「子どもが欲しい」と「不妊でありたくない」という思いの違いを見極めること、「あきらめる」ことや「家族を作ること」の意味を考えることなどを提案している。
技術や医療がもたらす現実を、真正面から取り上げた一冊といえる。