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タイトルにある「バイオ化」という言葉は、日本ではあまり耳慣れないかも知れない。本書によれば、英国の社会学者ニコラス・ローズをはじめ、既に英語圏の論客たちによって使われている言葉で、著者はバイオ医療の進展にともなう社会および人間の変容のことを「バイオ化」と定義している。そのうえで、生殖補助医療、遺伝子医療、幹細胞研究、脳科学などを例にとり、「バイオ化」する社会についての論点抽出を試みている。
幹細胞研究についてみてみよう。細胞株樹立の過程においてヒト受精胚を壊すことが避けられない「倫理的問題」をもつES細胞の代替としてのiPS細胞にもなお「倫理的問題」が残されていること、韓国で起こったファン・ウソク(黄禹錫)事件によって明らかとなった、経済的・社会的格差に起因する「社会的問題」(経済的弱者が卵子提供者になる)が懸念されることなどについて触れられている。iPS細胞とES細胞の研究の歴史の差にもとづく手法としての信頼性の違いと、「倫理的問題」の大きさを天秤にかけて、どのように幹細胞の研究推進と規制を調和していけばよいかという議論は、私自身もサイエンスカフェや公開シンポジウムなどで関わった経験があり、公にまったく議論されていない訳ではないけれども「社会的問題」まで拡張した議論に立ち会うことはほとんどなかった(お茶の水女子大学21世紀COEプログラム ジェンダー研究のフロンティア「医療・科学技術の進展と『身体・生殖・性別』の再構築」など、一部の例外を除いて)。幹細胞研究のように、今後社会的な影響力が大きいと見込まれる科学については、研究の当事者と政策決定に直接関与する行政官のみならず、社会学的な知見を交えた第三者による検討が欠かせないと感じる。
遺伝子医療の議論も興味深い。Googleが出資していることで有名な「23andMe」や、アイスランドが国策として推進している「deCODE ジェネティクス」といった、個人向け遺伝子検査サービスの持つ手軽さと、個人情報としての遺伝子検査結果の取り扱われ方の問題は、日本科学未来館の常設展示「ともに進める医療」で数年前から来館者に問い続けてきていることとも共通する。出生前診断についても、同館ではロボットアームを用いた腹腔鏡手術のデモの器械の横に、さりげなく覗き窓から展示物が見えるようになっているが、本書ではさらに踏み込んで、出生前診断の結果を受けて中絶したと推定されるケースが2000年代になると、1990年代に比べ倍増したという調査結果が示され、遺伝子のみならずメタな(高次の)視点で物事を捉えていく必要があることを気付かせてくれる。
副題に「核時代」とある点についても、ひと言触れておく必要があるだろう。「核時代」の核には、「原子力」の意味が込められている。著者が執筆を構想したのは、2011年3月に発生した東日本大震災以前だったという。震災後、著者の住む関東から東北の太平洋沿岸の津波被災地域に出向き、津波被害を直接受けた地域と日常の普通の風景が広がる地域との線(=切れ目)が露わになっていることに気付いた。津波の高さは「北高南低」なのに死者の数は「北低南高」(=社会的脆弱性が高いほど死者が多い)、つまり津波や原発事故といった、科学で語られる問題であっても社会的背景を看過することはできないということが、メッセージとして読者に強く訴えかけてくる。
著者は、昨年11月のサイエンスアゴラ「トークライブ・映画で語るサイエンス」以降、素粒子カフェを主催する「みけねこサイエンスプロジェクト」の協力を得てサイエンスカフェ活動を始めている。さまざまな場面で「バイオ化」が進行する社会の中で、社会の痛点から目をそらさずに語りつつ考えていくことの重要性を感じる、渾身の一冊に仕上がっている。
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