レポート

シリーズ「日本の安全と科学技術」ー 「大震災と科学者(技術者)の倫理(エートス)」第2回「復興のためには、焼け太りが必要だ」

2011.09.05

阿部博之 氏 / 元東北大学 総長 元総合科学技術会議 議員

風評被害×政府の保証

阿部博之 氏 元東北大学 総長 元総合科学技術会議 議員
阿部博之 氏 元東北大学 総長 元総合科学技術会議 議員

 今回の東日本大震災では、私自身が被災民の一人として、本当に大勢のボランティアの人たちにお世話になりました。まずは、お礼を申し上げます。

 私の家は、宮城県沖地震(1978年6月12日)の後に、鉄骨で頑丈な、ぶっ壊れないような家をつくったので、大きい被害はありませんでした。しかし建っていた岩盤に亀裂が入り、水道とか都市ガスが、近所の他の人たちもやられてしまいました。電気は5日ほどで復旧しましたが、水が通るまでには随分と日数がかかりました。その間、全国のいろいろな地方の人たちが来て、給水をしてくださいました。給水所にいるボランティアのユニフォームを見ると、○○県○○市から来たことが分かります。私はそのたびに、ただお礼を申し上げるだけでは物足らないと思い、「おたくの市はこういう特徴や歴史があって有名なところですね」と、限られた知識でそういう話をするのです。すると、向こうの方も「仙台でそういう話を聞いてよかった」と喜んでくれます。本当にたくさんの人が来て水道の復旧も都市ガスの復旧もやっていただき、ものすごくありがたいと思いました。しかし、阪神淡路大震災の復興の教訓が生かされているかどうかについては、「あまり生かされていない」とも言われています。

 原発事故による風評被害については、「福島から離れていれば農水産物は安全だ」というのでは解決になりません。「福島と名前は似ているけれども、福島から離れた都市ですから、うちの県の農産物は安全です」ということを、テレビで言っている人がいますが、それはよくありません、それでは「条件つき」での安全ということになってしまいます。

 「どこまでが安全で、どこまでが安全でないか」の問題となると、心配な人たちは、例えば留学生の親戚などは「日本には行かない方がいいよ」と言います。それでも戻ってきた留学生はたくさんいるわけですが…。そういう風評被害、福島県産に対しては「政府を含めた客観的な保証」が必要条件だと思います。「福島産のものはみんな安全だ」と世界に認めてもらえれば、もう「日本中どこの産物も安全だ」となるわけです。

復興をてこに

 大震災からの復興については、経済の活性化が非常に重要です。震災前の日本経済は、短期的には少しよくなりつつありましたが、全体としては、世界で見るとあまり魅力的な状況ではなかったようです。そうした中で、とにかく復興しようということですから、現地の意気込みをできるだけ尊重して、早期に投資していただきたい。ただし、現地の言うままでよいかというと、必ずしもそうではありません。現地にもいろいろ悩みがあり、現在のことへの希望と、将来への方向を示してほしいという希望とが同時に存在し、両方ともうまく行ってないところが結構あります。ですから、長期的視点で有効でないとみられる場合は、行政の責任で変更を求めることも必要です。これだけの未曾有の大災害ですから、日本政府がどう対応したのかは、歴史的評価の対象になります。その評価に耐えるものにするために、たとえ現地を説得してでも、行政の責任で変更を求めるべき点もあるはずです。

 復興に際して大きいのは、海外は「日本がどう変わるのか」を見ているということです。あるいは変わるのか、変わらないのか…。このままでは日本が魅力的な投資市場ではないと思っている国がたくさんあります。日本が今の延長上でない未来を描き、社会改革をすること。これが復興の大きい視点であり、復興をてことして日本の活性化を図ることだと思います。

まずは「建物の整備」

 復興の対象は多岐にわたりますが、私の経験は限られていますので、大学を中心にお話しすることをお許し下さい。

 今回の大震災により、東北大学の外国人研究者や大学院の留学生などは一時帰国しましたが、今では、ほとんどが戻ってきています。一方、これから東北大学に留学予定の学部の学生とか、仙台市を知らない人の場合は、来ることをちゅうちょするなどの影響があると思われます。日本は「地震列島、津波、原発の危険のある国だ」と見られています。そうした国の大学で勉強するよりは、「そうでない国を選んだ方がいい」となるわけです。日本の研究教育機関にとっては、これだけの災害を乗り越えて、ちゃんとした世界水準の教育、研究ができることを示すことが重要です。それが復興の一つの基準だと思います。

 「世界水準の教育、人事、社会システムを構築する」ためには、まず、「超巨大地震に対応できる建物の整備」が必要となります。

 今回の大震災では、同じ宮城県内でも東北大学以外の大学では被害が比較的小さくて済みました。東北大学の被害が大きかった理由は2つあります。1つは理学部、工学部、薬学部がある「青葉山キャンパス」で、昭和40年代の中ごろまでに建てた比較的高層の8階以上の建物が駄目でした。これは宮城県沖地震(1978年)後に、耐震の専門家から「今度大きい地震が起きたら倒れますよ」と言われ、分かっていたことなのですが、結局は「いつ来るか分からないものに、大きな予算を出すのは難しい」ということだったのでしょう。

 ところが、数年前に全国的に耐震補強したために建物は倒れませんでした。しかし高い建物では、人が入れなくなった建物も複数あります。5階以下の建物は大きい被害はなかったようです。高い建物でも、ここ数年以内につくったものはほとんど問題ありません。とくに制震などの手当をした建物は10階以上でも問題ないようです。制震、免震にはお金が多少かかりますが、きちんとした建物をつくることが重要です。西日本地域でも、東海・南海・東南海地震が連動した宝永地震(1707年)の例もあるので、引き続き整備、展開していく必要があると思います。

 なお、仙台市には最近つくられた高層ビルがいくつかありますが、被害があったという話は聞いておりません。卑近な例ですが、私の次男が仙台市内の十何階建てかのマンションの9階に入っています。免震建築ということで、自宅ではコップ一つ壊れなかったといいます。私の家は平屋建てで建物は壊れませんでしたが、中はめちゃくちゃです。「お父さんとは違う」と威張られましたが、私の子どものような安サラリーマンが買えるマンションでさえ、超巨大地震が来てもちゃんとしています。今の建築基準、建築技術は相当なものです。

 東北大学の被害額770億円のうち、大ざっぱに言えば、半分弱が設備です。半分強が建物。これは東北大学調べです。このように被害が大きくなったもう1つの理由は、東北大学が相当高度な研究設備を持っていたからだとも考えられます。東北大学が研究で低迷していたら、被害はごく少なかったのではないでしょうか。

復興プランの早期決定と予算化を

 いずれにしても今後の復興においては、日本という地震列島の中で、世界に通用する世界水準の教育、研究ができるようにするために、大学の教育システムや人事システム、それを取り巻く社会システム、あるいは大学そのものを改革すべきではないかと思います。さらに、東北大学を中心とした「地域再生のネットワーク化」を、各大学の自立性を大切にしながら進めて行くことです。なぜならば、被害の状況も地域の特性も、同じ東北、東日本内でも異なるからです。

 特に「復興プランの早期決定と予算化」ということが非常に重要となります。復興プランを早期に決定しないと、皆がそれぞれに、自分でできることからやってしまいます。できることからやっていい場合もありますが、長期プランと矛盾することが出てきて、それこそ無駄になります。

 それから、復興にはお金がものすごくかかりますが、それをどうするか。文部科学省や財務省、あるいは政治の世界で考えていただくしかないのですが、何らかの借金をする必要があると思います。これは国が借金をするだけで済むのか、大学が借金をしなければいけないのか、いろいろ考えはあるかと思いますが、とにかく早期に方向性を出すことです。借金を返すのは長い年月がかかっても、復興は早くやらないといけない。これを世界が見ているわけです。

「安全」も削減対象?

 そのときに「なぜ(国立)大学、なぜ科学技術に予算をたくさんつけるのか」と、必ず批判の対象になります。日本は財政が極端に悪化していることから、これまで財務省や政府は、聖域を設けず、少しずつ予算を削減してきました。しかし、本当にそれでいいのかどうか。予算にどうメリハリをつけるのか。第3期(2006−2010年度)科学技術基本計画をつくるときに、小泉首相は「あらゆる予算は削減するが、科学技術は例外的に伸ばす」とおっしゃいました。ところがその後5カ月ぐらいで小泉首相はお辞めになり、それが引き継がれていないのは残念です。

 仮に聖域を設けないにしても、「安全」までも削減の対象にすることには非常に問題があります。私が総合科学技術会議の議員時代にもそういうことがあり、実際に事故が起きています。

 もう一つ難しいのは「なぜ、そんなにお金をつぎ込まなければならないのか」という批判に対してです。私が東北大学の学部長のときに、同じようなことがありました。その時に、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)が起きました。その少し前に青森県八戸市で津波が起きて、相当の災害がありました(94年12月28日:三陸はるか沖地震〈M7.6〉、最大余震:翌年1月7日〈M7.2〉)。ところが国は八戸市を特別扱いせず、阪神・淡路大震災を特別扱いにしてお金をつぎ込もうとしたので、「おかしいじゃないか」という声が学部長会議で出てきました。

科学者コミュニティーからの発言

 「科学者コミュニティーへの期待」について。吉川弘之先生(科学技術振興機構研究戦略開発センター長、元東京大学総長)も『福島原子力発電所事故の対応における科学者の役割』という文書を発表されています(4月28日)。それと重複するところが結構ありますが、視点が少し違いますので、お話しさせていただきます。

 原子力発電所は現在、世界に400基以上(注:436基、日本原子力産業協会・2011年1月現在)あります。これを今、急にゼロにすることはあり得ません。仮に「ゼロにすべきだ」という意見があってもです。福島原発事故のショックで、日本だけでなく世界中で「原発をどうしたらいいか」といった議論が出始めているわけですが、その際の「原発を存続させる場合の条件」についても科学的な説明が求められています。政府や東京電力の言うことは報道されていますが、「では、科学的判断はどうなのですか」というのが、一般市民や被災住民の聞きたいことだと思います。放射線量の許容値についても「政府はこう言っているが、本当はどうなのですか」と。

 ところが、これにも日本の科学者コミュニティーはなかなか発言しません。これは個人の発言というよりも科学者コミュニティーとしての日本学術会議、あるいは各学会などの見解のことで、現時点での統一見解を発することが重要です。3年後、5年後には今あるデータの質や量に違いが出てきて、見解の内容も違ってくる可能性はありますが、かといって、いつまでも待ってはいられません。大変難しいことですが、統一見解に向けての努力が少なくとも必要です。

復興には「焼け太り」が必要だ

 当時の東北大学総長は「それは間違っている。大災害が起きたときには、不平等は当たり前だ。もちろん八戸市復興の予算措置のために動くのはいいが、阪神淡路と平等でなければならないと考えてはいけない。大火事のときに『焼け太り』という言葉があるが、焼け太りをしないと復興は起きない。復興のためには、焼け太りが必要なのだ」と、議長席からお話しになったのです。そこでみんなが納得し、東北大学は政府の方針に協力することになりました。確かに「平等からは何も復興は生まれない」と思います。「どう上手にやるか」です。

 この講演の企画テーマは「日本の安全・安心と科学技術」です。実は、2003年に私が総合科学技術会議の議員になった時に、これから取り上げるべきテーマを論議することになり、私が「科学技術と安全保障」のテーマを持ち出しました。

 米国では、国家安全保障の中に科学技術と高等教育が入っているのです。原発なども当然含まれ、もちろん経済競争力も含まれているわけです。日本はそういう感覚が微弱で、「安全保障というのは自衛隊と警察ぐらいで、科学技術は関係ない」と思っている人がたくさんいました。何とか勉強会を開催し、「安全保障に対する意識改革をしよう」ということになりました。

“技術者”評価のアナロジー

 これは蛇足です。BC200年ごろの中国、群雄割拠していて統一国家ではない時代です。魏の殿様(文侯)が「扁鵲(へんじゃく)」という有名なお医者さんを招待した、その時の話です。扁鵲は伝説上の人で、3人兄弟の一番下。兄2人はいずれも名医なのですが、世の中には必ずしも知られていません。もちろんこの殿様も知らないので、「どうなんだ」と質問したのです。

 扁鵲が答えるには、「自分の一番上の兄さんが一番名医であって、自分は一番駄目だ」と言うのです。『長兄の病を看るや、その神を見る』という文は、核心の部分ですね。さらに『いまだ形跡あらざるに、早くこれを除くによってその名、家の外にすら聞こゆることなし』というのは、会社で言えは、事業部の中では評価されているが、全社的には知られていないのだと。さらに『中兄、病を治すに毫毛に入りて(細かいところに行って)その根本を癒す。ゆえにその名は聞こゆれども、一地方をいでず』とは、自分の会社の中では有名だけれども、それ以上ではない、ということ。

 扁鵲、自身は『自分のごときは、血脈を掘り、毒薬を投じ、肌膚の間にそうて、これを治することをもって、処方華々しく、名前も諸侯に及ぶまで聞こえるなり』。要するに自分は、死にそうな大きなできものができた人を、外科手術でそれを取り除いて一命を救ったりする。非常に華々しい医者で、それで自分は有名なのだが、本当は一番上の兄貴が一番優れ、自分にはできないことだという。長兄の『早くこれを除く』というのは、予防医学とはちょっと違うようです。多分、患者さんから見ても「お医者さんの力で治った」とは思わないのかもしれません。

 この話を「安全」ということから考えてみます。90年代に入ってちょうどバブルがはじけて、各企業が売り上げや利益に神経質になっていたころ、「安全」を仕事としているエンジニアは、大体があまりいい目を見ていません。というのは、福島原発もそうですが、こういう事故が起きれば会社としても莫大(ばくだい)な損害になるわけですが、何も起きなければ「何も(仕事を)していないかのごとく」見えるわけです。ですから、企業の安全設計や健全性評価をしているエンジニアを、どう評価してやるのか。難しい問題ですが、ぜひ考えてほしいと思います。

 なおこの故事は、日本機械学会が昭和の終わりに「21世紀の材料力学」というシンポジウムを開いたときに、私が紹介した小話です。残念ながら出典が分からなくなってしまいました。

阿部博之 氏 元東北大学 総長 元総合科学技術会議 議員
阿部博之 氏
(あべ ひろゆき)

阿部博之(あべ ひろゆき) 氏のプロフィール
東京都生まれ、宮城県仙台第二高校卒。1959年東北大学工学部卒、日本電気株式会社入社(62年まで)。67年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士。77年東北大学工学部教授、93年東北大学工学部長・工学研究科長、96年東北大学総長、2002年東北大学名誉教授。03年1月-07年1月、総合科学技術会議議員。07年1月科学技術振興機構顧問、10年1月同機構知的財産戦略センター長。専門は機械工学、材料力学、固体力学。

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