レポート

英国大学事情—2011年9月号「キャンサー・リサーチUK<英国の大規模医学研究チャリティー機関>」

2011.09.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに】

  • 筆者は「英国大学事情2010年第3号」で、「ウェルカム財団の新たな研究助成方式」と題して、英国最大の研究助成チャリティー機関であるウェルカム財団()を紹介した。ウェルカム財団は1936年に設立され、2010年度では約1兆8,900億円(*1) の基本財産を持つ英国最大規模のチャリティー機関であり、英国政府以外では英国最大のバイオメディカル研究への助成者である。ウェルカム財団は、自前の研究所も所有しており、約500人のスタッフを抱え、所属研究所のほかに英国の大学研究者を初めとした国内外のバイオメディカル研究者に、年間約6億ポンド(840億円)の研究助成を実施している。
  • キャンサー・リサーチUK(The Cancer Research UK:CRUK)は、バイオメディカル研究チャリティー機関として、研究助成額がウェルカム財団に次いで英国で二番目に大きく、多くの大学の研究者がCRUKから研究助成金を受けている。また、大学の中には、CRUKの研究ユニットが組み込まれている所もある。今月号では、このように、大学の研究者との関係が深いキャンサー・リサーチUK(CRUK)を紹介する。
  • ウェルカム財団は、成功した製薬企業の創業者であるウェルカム氏がその死後、ウェルカム財団に寄贈したばく大な財産を基本財産として、毎年その投資運用益をバイオメディカル分野への研究助成に活用している。一方、CRUKはウェルカム財団のような大きな基本財産は持たず、主に募金活動で集めた資金を研究助成に当てている点が、ウェルカム財団と大きく異なる。
  • CRUKの主な活動は「研究」、「情報提供」および「公的政策への提言」の3点である。当レポートでは、紙面の関係から、多くの大学の研究者が関係する「研究」活動への助成に重点を置き、その概要を紹介する。

【2. 沿革】

  • 1902年、ガンの研究と治療のために、内科医や外科医によって英国初のガン専門の研究チャリティー機関、The Cancer Research Fundが設立された。1904年には、Imperial Cancer Research Fundと改名された。
  • 1909年までには、4人の研究者、6人のボランティアの科学者、14人のテクニシャンのいる研究所をロンドン中心部に持つに至った。1938年には、研究所の規模の拡大に伴い、ロンドン北部のMill Hill地区に移転した。その後、研究所はロンドン中心部の王立外科学校に隣接した建物に移ったが、1963年は、新たにロンドン以外にもいくつかの研究所を開設した。
  • 1920年代、何人かの医師や研究者のグループは、ガンの基礎研究より臨床研究に力を注ぐべきだとして、新たな研究チャリティー機関であるBritish Empire Cancer Campaignを設立し、後にThe Cancer Research Campaignと改称された。
  • 2002年、Imperial Cancer Research FundとThe Cancer Research Campaignは合併して、「Cancer Research UK」となった。現在では、ロンドン、ケンブリッジ、マンチェスター、グラスゴー、オックスフォードに5つの専属研究所を持つ。また、大学や主要病院などにも広範囲な研究助成を行なうとともに、主要都市の大学、NHSトラスト、キャンサー・ネットワークおよびその他チャリティー機関とのバーチャル・パートナーシップである「Centres of Excellence」を展開している。

【3. 研究】

 CRUKは、英国においてガンの研究や治療に従事する約4,000人の科学者、医師および看護士を助成している。その助成活動は、研究所におけるガンに関係する特定の遺伝子やたんぱく質の研究から、数千人規模の臨床試験まで広範囲にわたる。助成対象となる研究は、以下のようなガン生物学、創薬研究開発、臨床研究、人口・行動研究の4分野である。

【研究助成分野】

【助成形態】

【分野別・研究予算比率】

【地域別・研究助成金配分】

(2007・08年度)GKTは、ロンドンにあるNHSが運営するGuy’s, King’sとSt. Thomasの3つの総合病院が合併してできた英国最大の医学校。ICRは、ロンドンにあるNHS運営のRoyal Marsden総合病院内のInstitute of Cancer Research。
(2007・08年度)
GKTは、ロンドンにあるNHSが運営するGuy’s, King’sとSt. Thomasの3つの総合病院が合併してできた英国最大の医学校。ICRは、ロンドンにあるNHS運営のRoyal Marsden総合病院内のInstitute of Cancer Research。

【CRUK所属研究】

UKCMRI:UK Centre for Medical Research and Innovation
UKCMRI:UK Centre for Medical Research and Innovation

【UK Centre for Medical Research and Innovationの新設構想】

  • 2006年、英国のヘルス・ケア研究への助成形態を見直すため、通称「Cooksey Report」が発表された。その中で研究助成の有効性を引き上げるために、異なる研究機関間のコーディネーションの重要性が指摘された。
  • 「Cooksey Report」の提言への政府対応の一環として、2009年末、先の労働党政権は2015年までにロンドン中心部に、大学を含む4つの研究機関による「UK Centre for Medical Research and Innovation」の新設構想を発表した。同センター設立の主目的は、バイオメディカル分野における各研究領域間の連携の強化とともに、研究成果をより有効的に病院の現場や創薬につなげることにある。
  • UK Centre for Medical Research and Innovation(UKCMRI)設立構想は、CRUK、医学研究会議(MRC)、ユニバーシティー・コレッジ・ロンドン(UCL)およびウェルカム財団の4つの医学研究機関がパートナーシップを組み、世界的規模のバイオメディカル・リサーチ・センターをロンドン中心部に新設するという計画である。同センターは欧州大陸高速鉄道網のユーロ・スター特急列車の英国終着駅であるセイント・パンクラス駅に隣接する3.6エーカー(約1万5,000平方メートル)の土地に建設される予定である。
  • 2011年4月には、ロンドンのインペリアル・コレッジとキングス・コレッジもUKCMRI構想への参加を表明した。これにより、ロンドンの3つのワールド・クラスの有力大学、リサーチ・カウンシル所属研究所やチャリティー機関所属研究所の生物学者、化学者、物理学者、エンジニア、コンピューター科学者および数学者が一緒になって、英国でも有数な総合病院に近い建物でバイオメディカル研究に従事できることになる。
  • UKCMRIの建設資金は、政府の研究助成機関である医学研究会議(MRC)が3億ポンド(405億円)、CRUKが1億6,000万ポンド(216億円)、ウェルカム財団が1億2,000万ポンド(162億円)、UCLが4,000万ポンド(54億円)を拠出することになっている。インペリアル・コレッジとキングス・コレッジがフル・パートナーとなった場合は、両校もそれぞれ4,000万ポンドを拠出することになる。
  • 同センターは、医学研究会議(MRC)所属のNational Institute for Medical Research 、CRUKのLondon Research InstituteおよびUCL内のいくつかの研究所が母体となって構成される予定である。なお、スタッフは従来の所属機関に籍を置いたまま、新たに設置されるUKCMRIで勤務する形態となる。
  • MRCのNational Institute for Medical Researchは研究スタッフ、フェロー、博士課程学生を含め、約600人を擁するMRC内で最大の研究所であり、CRUKのLondon Research Instituteも約500人の科学者を勤務するCRUK内で最大規模である。また、UCLには約2,000人の研究者がバイオメディカル研究に従事している。
  • UKCMRIは既に発足しているが、センターの建物が完成していないために、現在は各拠点に分かれて活動している。2015年に同センター・ビルが完成した際には、その新規建物内に総勢1,500人のスタッフが勤務することになり、欧州最大規模のバイオメディカル研究センターとなる。2011年1月には、ノーベル医学賞受賞者のSir Paul Nurseが、同センターの所長兼チーフ・エグゼキュティブに就任した。

【4. 情報提供】

【患者への情報提供】

  • 優れたウェブサイトとして表彰されたこともある、CRUKのウェブサイト「CencerHelp UK」を通じて、ガン患者、家族、専門家や一般市民向けにガンの知識、参加可能な臨床試験の実例、ガンへの対処法などのきめ細かな情報提供をしている。その他、専門看護士による電話でのヘルプラインも設置されている

【健康意識向上へのキャンペーン・パンフレット】

  • 英国各地を訪問する「Cancer Awareness Roadshow」キャンペーンや各種のパンフレット・出版物を発行している。

【医療関係者へのガン情報の提供】

  • ウェブサイト「CancerStats」を通じて、医療関係者に対して、ガンに関する最新の統計資料を提供している。

【5. 政策提言】

  • 患者、研究者および医療関係者の意見が政策に反映されるように、常に政治家や政府の政策立案者とコンタクトをとり、政策提言をしている。また、CRUKの科学者や研究者は、国会のほかにEUへの助言も行い、国会の特別委員会や公聴会などへのエビデンスの提供、保健省や各種コンサルテーションに対するCRUKの対応活動への支援も行う。
  • 広報チームは、国会で政治家がガンに関連する討議を行う際に、詳細なブリーフィング資料の作成や、政党によるコンファレンスやイベントにおいて、ガンに対する関心を高めるためのスピーチなども行っている。

【6. 財務】

【収入】

(2009・10年度)
(2009・10年度)

【支出】

(2009・10年度)
  • 2009・10年度の総収入は、前年度比3%増にあたる1,700万ポンド(23億円)の増収となり、過去最高額を記録した。特に、募金活動収入が前年比1,300万ポンド(18億円)の増加となり、過去最高となったことが大きく貢献した。ボランティア・メンバーが運営している多くのショップからの収入を除き、収入の80%が研究助成に向けられている。

【7. 募金活動】

【Race for Life】

  • 1994年に始まった「Race for Life」は英国最大の女性だけによる募金イベントであり、ウォーキング、ジョギング、ランニングなどのレースに参加することにより、企業、職場の同僚、友人、一般市民などのスポンサーから募金を集める活動である。
  • 同イベント開始以来、総勢540万人が参加し、合計3億6,200万ポンド(489億円)を集めた実績がある。2009年のイベントには、全国で73万人が参加し、6,400万ポンド(86億円)のイベント収入をもたらしている。

【チャリティー・ショップ】

  • 総勢44,500人以上のボランティア・メンバーが、全国に展開する570店のチャリティー・ショップの運営、イベントやその他募金活動に携わっている。そのうち、17,000人がチャリティー・ショップの運営、15,000人が「Race for Life」などのイベント運営、12,000人が地域ごとの募金活動、500人がオフィス・ワークに従事している。これらのボランティア・メンバーによる活動時間は年間で合計700万時間に上る。
  • ボランティア・メンバーの訓練のためのインターンシップ制度もあり、2009・10年度には、全国で4,000人を超える新人がチャリティー・ショップの運営に参加した。

【8. 筆者コメント】

  • 英国では、ウェルカム財団やキャンサー・リサーチUKのほか、ブリティッシュ・ハート・ファンデーション(British Heart Foundation)など、医学研究への多額な助成をしている大規模なチャリティー機関がある。
  • ブリティッシュ・ハート・ファンデーションでは、2009・10年度に年間1億2,000万ポンド(162億円)の募金活動収入があり、そのうちの43%は遺産の寄贈による。キャンサー・リサーチUKやブリティッシュ・ハート・ファンデーションにおける最大の収入源は遺産による寄贈であることは興味深い。
  • ちなみに、ブリティッシュ・ハート・ファンデーションは1961年に医療従事者たちによって設立され、現在では年間約5,000万ポンド(68億円)を心臓病研究への助成、約4,000万ポンド(54億円)を心臓病の予防やケアへの助成を行っている。
  • 英国の医学系研究助成チャリティー機関には、ウェルカム財団のようにばく大な基本財産の投資運用益を研究助成に振り向けるチャリティー機関と、キャンサー・リサーチUKやブリティッシュ・ハート・ファンデーションのように基本財産はほとんど持たずに、遺産の寄贈や募金活動やチャリティー・ショップの運営によってもたらされる多額の寄付金を研究助成に向けているチャリティー機関の2種類の形態が存在する。
  • ウェルカム財団、キャンサー・リサーチUKおよびブリティッシュ・ハート・ファンデーションの英国3大医学系研究助成チャリティー機関だけでも、年間助成額は約1,400億円に上る。これらのチャリティー機関は、もちろん政府とは完全に独立した機関であり、時の政府の重点研究テーマとは一線を画した独自の研究助成方針をもっており、長期的に見て英国の医学研究の健全な発展に大きく貢献していると思われる。また、公的研究助成への補完的役割を担っているのも事実である。
  • 毎年開催されるロンドン・マラソン大会では、多くのチャリティー機関のボランティア・メンバーが企業、会社の同僚、友人などにスポンサーになってもらい、タイムは二の次で完走したら、自身が所属しているチャリティー機関に幾ばくかの寄付をしてもらうために、仮装衣装などを着けて楽しそうに走っている姿がよく見かけられる。

注釈)

  • *1 1ポンドを135円で換算

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