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著者2人は、将棋自体にはあまり詳しくないという。だからなのだろうか。清水市代・女流王将(当時)と将棋ソフト「あから2010」との闘いを描写した第5章が特に面白い。86手で勝負がつくというのは、プロ棋士同士の勝負では短い方だろう。手数だけから見ると「あから2010」の一方的な勝利に見えるが、そう単純ではないコンピュータ対人間の“対話”の妙が、実に巧みに描き出されている。
結果的に最後の勝負手になり成り得た7四桂打を選択せず、7七に銀を引いてしまう。この手を指させた相手の着手である5七角打だけを、「唯一、驚かされた手」と対局後、清水は著者らのインタビューに明かしている。それ以外は「ふーん、それもありだよね、と受け止めて進められた」と。
7七銀と指された時、相手のコンピュータはどう受け止めたか。清水の最善手を7四桂打と読んでおり、「形勢判断も、ここで、一気に、逆転はほぼないという数値まで上がった」と書かれている。清水の側に、それまでに持ち時間をほとんど使い果たしていたという状況があったとはいえ、この一手に関しては完全にコンピュータが読み勝っていたということだ。
こうした人間同士の観戦記でもなかなか目にできないような機微な記述がどうして可能だったのか。清水王将とソフトを開発した側の研究者たち、さらにはこの対局を認めた日本将棋連盟の役員、スター棋士たちのオープンで真摯な姿勢があったことも、この書はきちんと描いている。
「あから2010」というのは、単一のソフトではなく、日本でも最強のソフト4つによる合議システムだ。次の一手を選ぶ際に4つのソフトの結論を照らし合わせ、結論が割れると、再合議を繰り返し、一定のルールにのっとって手を決める。こうした合議の経過を示すログも要所で記述されていることも、観戦記をさらに独特で興味深いものとしている。
ロボット研究の最先端の状況を紹介した章も分かりやすい。将棋はあまりよく知らなくてもヒト型コンピュータには関心が高い、という人にも十分、楽しめそうな本といえそうだ。