レポート

英国大学事情—2011年1月号「大学への運営費交付金の大幅削減と授業料の値上げ」

2011.01.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに】

 今月号では、英国政府の緊縮財政に伴う、イングランド地方の大学への運営費交付金の大幅削減と、それを補う形での授業料の大幅値上げという、英国の高等教育分野を大きく揺るがしている問題を簡略的に解説するとともに、緊縮財政の中でも予算削減をせず、ほぼ現状規模の予算の維持が決定された「科学予算」の概要を紹介する。

【2. 政府予算の「包括的歳出見直し」】

  • 2010年10月20日、英国政府は2014-2015年までの政府予算の「包括的歳出見直し:Comprehensive Spending Review」を発表した。英国の政府予算は通常3年ごとの大枠の計画が設定されるが、今回は春の政権交代のために1年遅れの見直しとなり、見直し期間も例外的に4年間となった。リーマン・ショック後の金融危機への救済支援を含む政府の大型財政出動の影響を受け、英国政府の債務残高は9,030億ポンド(121兆9,050億円(*1))とGDPの約62%となり、今年度の財政赤字幅も約7,000億ポンド(94兆5,000億円)の政府予算に対して1,550億ポンド(20兆9,250億円)と、かつてない水準に膨らんでいる。また、これらの債務に対する利払いは年間430億ポンド(5兆8,050億円)に達している。
  • このような状況を踏まえて、2014-15年度までに構造的財政赤字である810億ポンド(10兆9,350億円)を解消するため、2010年10月、財務大臣が今後4年間の緊縮型の「包括的歳出見直し」を発表した。これにより、2014-15年度までに段階的に、保健省と海外援助予算を除く各省庁の予算を平均19%削減することになり、各種の緊縮政策が実施されることになった。これを受けて、高等教育を所管するビジネス・イノベーション・技能省(BIS)の予算は4年間で25%の削減となり、大学への運営費交付金も2011年度から4年間をかけて段階的に40%削減されることになった。
  • 政府は、「英国大学事情2010年第11号」でも紹介した「ブラウン・レビュー報告書」の提言を受け入れ、前労働党政権以来、国家戦略的重点科目とされてきたSTEM学科(Science, Technology, Engineering, Mathematics)への運営費交付金は現状維持の方針を打ち出したため、結果的に人文・社会科学などへの運営費交付金は無くなることになる。今後、人文・社会科学の学科を中心とした大学の中には、公的助成なしにほぼ授業料で賄われるところも出てくると思われ、実質的に私立に近い形態となる大学も出てこよう。

【3. イングランド地方における大学の授業料の大幅値上げ】

  • 上記のような大学への運営費交付金の大幅削減への対処とともに、大学への持続可能な助成のために、英府は「ブラウン・レビュー報告書」でも提言された授業料の大幅値上げを認可する方針を打ち出した。2010年12月9日、英国下院でイングランド地方の大学授業料の年間上限枠の大幅拡大に関する議員採決が行われ、賛成323票、反対302票の僅少差で、今後の運営費交付金の大幅削減を補完する形での授業料の大幅値上げが可決した。現在、保守党・自由民主などの連立政権は下院において84議席の過半数を占めているものの、21票差の結果となり、多くの与党議員が反対に回るなど、苦渋の決断であったことがうかがえる。下院の可決を受け、12月14日、上院でも採決が行われ、賛成283票、反対215票にて可決し、授業料の大幅値上げが決定した。
  • この国会採決を受け、2012年度より年間授業料の上限枠は現行の3,290ポンド(約45万円)から6,000ポンド(約80万円)、条件付で9,000ポンド(約120万円)まで引き上げられ、この範囲内の授業料の設定は大学の自由裁量となった。ただし、年間6,000ポンド以上、9,000ポンドまでに授業料を設定した大学に対しては、貧困家庭からの学生への無償奨学金の援助などの条件が付くことになる。
  • 従来と同様、公的機関である学生ローン・カンパニーが学生に代わって授業料を直接大学に納め、学生は授業料ローンを卒業後に分割払いで返済することになるが、その返済義務が生じる年収額は従来の15,000ポンド(203万円)以上から21,000ポンド(284万円)以上に引き上げられた。学生は卒業後、この21,000ポンドを上回る年収分の9%を25年にわたり返済することになる。なお、現行の1.5%の優遇返済金利は年収額によって引き上げられることになった。例えば、年収21,000ポンドまでは無金利、41,000ポンド以上の年収がある場合、インフレ率プラス3%の金利が加算される。また、返済開始後30年を経過しても完済できない場合は、ローン残高は帳消しとなる。

【4. イングランド地方以外の大学授業料】

  • ウェールズおよび北アイルランドの大学
    • 現在の年間授業料の上限枠はイングランド地方と同様に3,290ポンド(約45万円)。
  • スコットランドの大学
    • 現在、スコットランド住民とEU諸国からの学生は授業料が全額免除されている。
    • スコットランド以外の住民である英国の学生に対する年間授業料は1,820ポンド(約25万円)、医学部は年間2,895ポンド(約39万円)。

 英国の大学では、EU諸国からの留学生には地元の英国学生と同様の授業料が適用されるが、EU以外からの留学生の授業料の額に関しては政府の規制はまったくなく、各大学の自由裁量に任されている。政府による大学への運営費交付金の大幅削減を受けて、スコットランドの大学でも授業料の導入の検討を開始した。

【5. 2011・12年度以降の大学への運営費交付金額の決定】

  • 2010年12月20日、イングランド高等教育助成会議(HEFCE)は所管省庁のビジネス・イノベーション・技能省(BIS)から、イングランド地方の大学への2011・12年度以降の運営費交付金額に関する通達を受けたと発表した。この通達によると、2011・12年度の運営費交付金は名目で前年比約6%減、インフレ率を考慮すると約8%の削減となった。同年度は、2012・13年度に始まる授業料大幅値上げ直前の狭間期にあたり、各大学の財政を直撃する形となった。
  • 英国大学協会会長のコメント: 「2011・12年度の運営費交付金のうち、特に教育への運営費交付金額は非常に失望する額である。授業料値上げの前年であり、この削減は高等教育分野に大きなダメージを与えることになりかねず、大学によっては学科の閉鎖などにつながる可能性がある。また、公的研究評価に基づく研究への交付金額も削減されることになり、特に人文科学分野への影響が大きいことを憂慮する」

【HEFCEの運営費交付金とBISからの授業料ローン立替払い】

(単位:100万ポンド)
(単位:100万ポンド)
  • 英国では、研究への公的助成には「Dual Funding System」を採用しており、HEFCE経由の公的研究評価に基づく研究向け運営費交付金による助成のほかに、リサーチ・カウンシル経由のプロジェクト・ベースの競争的研究助成がある。現在、学問分野別に7つのリサーチ・カウンシルがあり、その中にはEconomic and Social Research Council やArts Humanities Research Councilなどの人文・社会科学系のリサーチ・カウンシルもある。次項で紹介するように、2010年12月20日に発表された、2011年度から2014年度までの4年間の「科学予算」は年約46億ポンド(6,200億円)と、ほぼ現状維持となり、英国政府の科学技術重視の姿勢が見える予算となった。

【6. 科学予算の決定】

【科学予算】

(単位:100万ポンド)(上記は、紙面の関係上、ビジネス・イノベーション・技能省が発表した予算の表から要点のみを抜粋して編集したものである)
(単位:100万ポンド)
(上記は、紙面の関係上、ビジネス・イノベーション・技能省が発表した予算の表から要点のみを抜粋して編集したものである)
  • 上記からも明確なように、英国はバイオ関連と医学研究に最重点を置いており、この2つの分野の研究会議の予算は年間9億2,000万ポンド(1,240億円)と、7億5,000万ポンドと二番目に多い予算を持つ工学・物理科学関連予算を大幅に上回っている。
  • 英国には政府の公的研究助成のほかに、特に医学やバイオ関係を中心に、ウェルカム財団やキャンサー・リサーチUKなどの大型チャリティー機関が大規模な研究助成をしている。例えば、ウェルカム財団は約1兆8,000億円基本財産を所有し、年間800億円近い研究助成を実施しており、キャンサー・リサーチUKも年間約500億円に上る研究助成をしている。ウェルカム財団とキャンサー・リサーチUKによる研究助成を合わせると年間約1,300億円となり、上記のBBSRC(バイオ)とMRC(医学)関連の研究会議の年間予算を合わせた額に匹敵する。
  • チャリティー機関による研究助成には、時の政権の方針に左右されずに、独自の方針に基づき研究助成ができるという民間機関としての強みがある。また、英国の研究助成全般に対するカウンター・バランスとしての作用もしており、健全な科学研究の長期的育成に重要な役割を果たしていると言えよう。

【7. 筆者コメント】

 英国政府は国家戦略的重点科目とするSTEM学科(Science, Technology, Engineering, Mathematics)への運営費交付金は現状維持の方針を打ち出したため、結果的に人文・社会科学などへの運営費交付金は無くなることになり、イングランド地方の大学には衝撃が走った。今後、人文・社会科学の学科を中心とした大学の中には、公的助成なしにほぼ授業料で賄われるところも出てくることになり、実質的に私立大学 に近い形態となる大学も出てこよう。

 研究会議経由の研究助成に関しても、全研究会議予算の中で、経済・社会研究会議(ESRC)予算の占める割合は6%弱、芸術・人文研究会議(AHRC)の予算は4%弱であり、他分野に比べ非常に低い水準にある。アダム・スミスを生んだスコットランドでは、同地域の経済学研究を強化するために、スコットランドの10大学が連携してInstitute for Research in Economicsを形成しており、その本部はエディンバラ大学に設置されている。研究分野の中には公的助成の削減を受けて、このような分野ごとの大学間の連携やハブ化の動きが他の地域でも出てくる可能性がある。また1992年以降、ポリテクニックが大学に昇格して以来、増加し続けた大学の流れの転換点になる可能性もあると同時に、各大学の使命を再検討する「大学の機能分化:Mission Differential」の論議が活発化するかも知れない。

 今回の運営費交付金の大幅削減と授業料の大幅値上げを受け、特に新しい大学で基盤が弱い大学の中には、財政的に立ち行かなくなる可能性がある。すでにメディアでは、存続の危機に直面すると思われるいくつかの大学名が挙げられており、今後は財政基盤の弱い大学を中心に統廃合が進む可能性がある。このイングランド地方の動きは、分権政府を持つスコットランドなどの他の地方にも影響を与えることは必至である。

 英国では、44歳の首相、43歳の副首相および39歳の財務大臣という、オックスフォード大学やケンブリッジ大学出身の若手政治家が国を指導しており、人生経験の不足は否めないものの、「財政赤字の解消なしには国の発展はない」との信念に燃えて国政に取り組んでいるのがうかがえる。政府指導部は「財政赤字削減」という大義名分を掲げており、英国内でもこのことに対する反対意見はあまりないが、その財政赤字の削減スピードに関しては英国においても論議が分かれるところである。

 GDP比で英国より数段に大きい財政赤字を抱える日本でも、早晩、英国のような大幅な緊縮財政を余儀なくされる日が来る可能性もあるため、英国の大学が今回の大波をどのように乗り切っていくのか、今後の対処法に注目していきたい。

注釈)

  • *1 当レポートでは1ポンドをすべて130円で換算した。
  • *2 私立大学:英国で言う私立大学(private university)とは、英府から運営費校付金を一切もらっていない大学を指す。現在、英国の私立大学はBuckingham University 1校のみであり、2010年夏には2校目の高等教育機関として、法律や会計等の専門学校である民間のBPP校がUniversity Collegeとして認可された。

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