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2007年11月、ヒトiPS細胞作製成功を伝える山中伸弥教授らの論文掲載から始まったいわゆる「山中フィーバー」。翌12月にはJST主催のシンポジウム「多能性幹細胞研究のインパクト:iPS細胞研究の今後」が開催され、さらに翌2008年1月からは文部科学省ライフサイエンス委員会 幹細胞・再生医学戦略作業部会が活動を開始した(注:作業部会の設置自体は12月)。矢継ぎ早にiPS細胞を核とした幹細胞研究への支援体制が敷かれていったことはひろく知られていても、その舞台裏まで知る人はさほど多くはないだろう。
著者の菱山豊氏は当時、文部科学省ライフサイエンス課の課長をしていたことから当該領域の研究支援の体制整備に直接的にかかわっており、ライフサイエンス委員会や幹細胞・再生医学戦略作業部会での配布資料のように筋道立ててわかりやすく書き下ろされている。普段、ライフサイエンス研究の大御所と接する機会が多く、省内における次年度の予算折衝でライフサイエンス研究の重要性を他の方々に理解してもらうことが氏の責務であっただけに、文体が非常にこなれていると感じられた。
また、研究推進の立場から研究者でも事務職員でもない研究の運営・企画を進める人材が不足していることを痛感したということが書かれている。私自身も長らくライフサイエンス委員会などの会合を傍聴していて、著者の意見に賛同する。最終章でサイエンスカフェ、サイエンスアゴラ、そしてサイエンスコミュニケーターなどについて触れられているが、それらに加えてサイエンスコミュニケーターを超える力量を持つサイエンスコーディネーターとでも呼ぶべき人材の重要性が注目されてしかるべきなのかも知れない。
さらに、サイエンスカフェなどでもテーマとして取り上げられることの少ない脳神経倫理や生命倫理の問題についても考えさせられるところが多い。著者はライフサイエンス課長の前職は同省の生命倫理・安全対策室長で、政策研究大学院大学で生命科学に関する倫理的・法的・社会的問題についての政策論を専門とした研究を行っていたこともあるためか、ひときわ手厚い記述で読ませる内容となっている。前著の「生命倫理ハンドブック」をお読みでない方にも理解しやすく丁寧に書かれている。
本邦においてライフサイエンス政策とコミュニケーションについてこれだけ手厚い記述でかつ明快に書かれた本は、これまでになかったのではないだろうか。本書において問題提起された組織と人材育成の課題については、多くの人たちを巻き込んで社会を変えていく必要があるだろう。ライフ・イノベーションとは本来、社会実装から社会変革までをすべて包含するものだ。そのためにも、より多くの方々に一読していただきたい本といえると思う。
なお、本書の発刊に先立ち開催された東京大学生命・医療倫理教育研究センター主催の講演会「ライフサイエンスと社会をつなぐ」(2010年8月7日)の中で、著者が本書の内容の一部を抜粋して紹介しているので、ぜひとも参考にされたい。