レポート

英国大学事情—2010年11月号「高等教育助成制度の改革案 - ブラウン・レビュー報告書 -」

2010.11.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに】

 2009年11月、英国の労働党政府は元BP社社長の経験を持ち、現在では王立工学アカデミー会長でもある上院議員のLord John Browneに、今後のイングランド地方における高等教育への持続的な公的助成制度の見直しを委託した。ブラウン卿は約1年をかけて、自身も含めた計7人の中立的パネリストによる調査と討議の結果を、見直し報告書「Securing a Sustainable Future : An Independent Review of Higher Education Funding and Student Finance」 として現保守党・自由民主党連立政府に提出し、2010年10月12日にはその報告書が公表された。

 過去約12年続いた労働党政権による高等教育進学率を50%に引き上げるという方針に基づき、約10年前は39%であった高等教育進学率が現在では45%近くまで上昇した。しかしながら、高等教育への政府の助成はこの進学率の上昇率には追いつかず、大学生一人当たりの公的助成額は以前に比べ減少しており、大学財政を圧迫する一要因となっている。

 このような背景から、高等教育への持続可能な公的助成制度への見直しが急務となっている。当見直しへの諮問は前労働党政権のイニシアティブではあるが、現保守党・自由民主党政権は当「ブラウン・レビュー」の中立性を鑑み、その諸提案を前向きに検討する意向を示している。今月号では、64ページある「ブラウン・レビュー」報告書の中から、重要と思われる点のみを抜粋して紹介する。

【要点】

  • 現在では年間3,290ポンド(43万円*1)に設定されているイングランド地方の大学授業料の上限枠を撤廃し、授業料設定は大学の裁量に任せるべきである。ただし、6,000ポンド(78万円)以上に設定した場合は、一定の割合を課徴金として政府に納付す
  • 学生は従来どおり、在学中に授業料を納付する必要は無く、政府が授業料をローンの形で肩代わりし、学生が卒業後に就職して年収が21,000ポンド(273万円)を超えてから授業料ローンの返済を開始する(現在のローン返済開始年収は15,000ポンド)。パートタイムの学生も授業料ローンを受けることができるようにする。
  • 各高等教育機関は、その入学許可者数を政府の許可なしに自由に設定できるようにすべきである。
  • 現行のイングランド高等教育助成会議(HEFCE)や品質保証エージェンシー(QAA)などの4つの高等教育機関への監督組織を廃止し、単一の監督機関として「高等教育カウンシル:Higher Education Council」を新設する。

【2. 高等教育への投資の論拠】

  • イングランド地方は、個人と国家にとって大きな利益をもたらす国際的に尊敬される高等教育制度を有している。今後ますます競争が激しくなる世界的知識経済における経済成長と社会的モビリティーを持続させるには、高等教育への投資を増加させる必要がある。
  • 強固な高等教育制度は、世界をリードする国家にとって極めて重要な要素である。
    • 高等教育は知識、技能および高度文明社会を支える多くの価値を生み出すための多大な貢献をしている。
    • 高等教育は個人の人生を変革するために重要である。大卒者には就業機会の増加、より高給の仕事、仕事に対するより高い満足感、より多い転職の機会などがある。
    • 高等教育はイノベーションの創出や経済変革の原動力となるために重要である。
  • 英国の高等教育制度は真の強さを持っており、それを基にさらなる構築が可能である。
    • イングランド地方の大学進学率は45%に達しており、また英国全体では米国に次いで世界で2番目に人気の高い留学先となっている。これらの英国への留学生は年間33億ポンド(4,290億円)と27,800人の雇用を生み出している。
    • 高等教育界は英国経済の大きな比重を占め、その規模は広告業界より大きく、また航空宇宙産業や製薬業界よりはるかに大きい。高等教育分野には年間234億ポンド(3兆420億円)の収入があり、年間590億ポンド(7兆6,700億円)の経済効果を生み出していると推定される。
  • 高等教育への投資を継続しない限り、将来的な経済成長と社会的モビリティーはリスクにさらされることになろう。
    • 英国は世界で6番目、OECDでは4番目に大きな経済規模を持つ。しかしながら、英国の雇用率はOECD30カ国中第10位、競争力は第11位と低調である。
  • 国際的地位を持続かつ改善させるために、イングランド地方における長期にわたる高等教育へ助成方法を改善する必要である。
    • OECD諸国の大学生一人当たりの助成額は、2000年から2007年にかけて平均で14%増加している。金融危機に端を発した各国の緊縮財政は、高等教育への私的授業料負担の論議を活発化させ、フィンランド、スウェーデンおよびデンマーク諸国ではいくつかの授業コースに対して授業料の設定を開始した。
    • 英国は、現在の高等教育の強みに安穏としているわけにはいかない。英国は、労働市場における高度技能者数において世界ランキングから滑り落ちており、とりわけ高度の技能を身につけた若者の数はより急速に落ち込んでいる。このような状況において、英国の高等教育助成制度は今後数年間、公的助成の大幅削減に見舞われようとも、将来にわたる持続可能な助成方法の解決策を見いださねばならない。

【3. 現行の助成制度に対する評価】

  • イングランド地方は、個人と国家にとって大きな利益をもたらす国際的に尊敬される高等教育制度を有している。今後ますます競争が激しくなる世界的知識経済における経済成長と社会的モビリティーを持続させるには、高等教育への投資を増加させる必要がある。
  • 過去50年間、高等教育への公的助成の変更が高等教育制度全体への改革を促してきた。
    • 50年前の英国における高等教育進学率は6%であった。当時の高等教育進学者は一般的に高収入の家庭の子弟で、卒業後には高収入の仕事についていたが、高等教育への助成は税金で賄われていた。
    • 1963年、ロビン卿は主にエリート層に開かれていた高等教育を、より幅広い階層へ拡大し、20年間でフルタイムの大学生数を倍増させることを提案した。1990年代初期には高等専門学校のポリテクニックが大学に昇格し、大学数が急増したことに伴い、1990年半ばには高等教育進学率は30%強にまで拡大した。しかしながら、公的助成は1989年から1997年の間に大学生一人当たり36%もの減少を経験した。
    • これらの財政難を解消するため、1997年、ディアリング卿は高等教育への授業料の無償の廃止を勧告し、これを契機にイングランド地方の高等教育は有償となった。ただし、継続的な高等教育進学率向上のため、学生は授業料を大学在籍中に支払わず、卒業して就職した後に授業料を返済する制度の導入を勧告した。
    • ディアリング報告書を受け、1997年、政権を取ったばかりの労働党政権は年間1,000ポンド(13万円)の授業料(年度ごとにインフレ率に連動)を導入したが、ディアリング報告書にある卒業後の授業料返済案を採用せず、在学中の年度ごとの授業料前納制度を導入した。
    • 2004年の高等教育法の成立を受け、2006年には年間授業料の上限枠が各大学の自由裁量で3,000ポンド(39万円)まで引き上げる(年度ごとにインフレ率に連動)ことができるようになるとともに、授業料の卒業後返済制度が導入された。
  • 2006年の助成制度の変更により、高等教育機関は大学進学率の向上を阻害することなく、収入増を図ることができ、また卒業生が高等教育のコストを負担するという原則を確立することができた。
  • しかしながら、現行の助成制度は2006年の変革が解決できなかった、以下のような課題を抱えている。
    • 助成への負担のバランスが変わっていない。2006年の変革によって、高等教育の持続性のために学生の負担を増やすことになったが、授業料は高等教育機関の追加的収入となっただけで、全体的には学生や卒業生の私的負担の増加は見られない。
    • 海外諸国からのチャレンジに対する投資が不十分である。すべての大学が2006年に導入された年間3,000ポンドの授業料の上限枠まで授業料を引き上げているが、それでも1992年における学生一人当たりの投資額に及ばない。
    • 入学者数の枠が不十分である。大学入学希望者数が大学の受け入れ枠を超えており、大学に入学できない入学希望者の比率は過去5年間で17%増加し、全入学希望者の36%にも達している。
    • 将来の公的歳出削減に対する弾力性に欠ける。すべての大学が授業料の上限枠まで授業料を引き上げ済みである。
    • 高等教育制度が経済界からの技能へのニーズの変化に対応できていない。20%の企業は現従業員に何らかの技能ギャップを感じており、この比率は2007年度の16%から上昇傾向にある。また、英国産業連盟(CBI)の調査では、48%の企業が雇用した大卒者のビジネスに対する認識度に不満を示している。

【4. 改革への6原則】

 当報告書による提案は、以下の6つの原則に基づいている。

  • 原則1 今後、高等教育へのより一層の投資が必要であるが、高等教育機関はより大きな投資の利益を学生に説明し、納得してもらう努力が必要となる。
  • 原則2 学生の選択肢を増やす必要がある。
  • 原則3 潜在的能力を持つ誰しもが、高等教育から利益を得る機会を与えられるべきである。
  • 原則4 学生は卒業して就職するまで、大学での学習にかかった授業料などの費用を支払うべきではない。
  • 原則5 学生が就職して、授業料などの返済を開始する際に、その返済額は返済しやすい額に設定されなければならない。
  • 原則6 パートタイムの学生に対しては、今よりもより充実した支援が必要である。

【5. 学生の選択肢の強化】

  • 煩雑で、不正確な高等教育の品質に関する測定方法を創りあげるのではなく、我々の提案は、高等教育の質を向上させる原動力となる学生の選択肢に依存するということである。学生は最善の選択肢を選ぶために、高品質の情報、助言およびガイダンスへのアクセスを必要とし、そのためにこれらのアクセスへの改良が必要となる。
  • 学生に対して、雇用に関するより明確な情報を提供することにより、高等教育制度が提供する技能と雇用者が必要とするものギャップを縮小することができよう。また、高等教育機関は、学生が適切な選択ができるように支援する責任を担う。

【提言】

  • すべての高等学校で、生徒に対する個人的な進路指導を実施すべきである。また、その助言は継続専門教育や専門訓練等を受けた、資格を持った専門家によって行われることが望ましい。
  • 大学進学と学生への資金助成に関する、オンラインによる単一のポータル・サイトを構築すべきである。このポータル・サイトは、UCAS(Universities & Colleges Admissions Service)によって運営されることが望ましいであろう。
  • 高等教育機関と学生は共同で、授業コースの詳細な情報を提供する「学生憲章:Student Charters」を作成すべきである。当然のことながら、より高額の授業料を設定する高等教育機関には、より一層の学生への関与が要求される。
  • 高等教育機関は、政府から最大限の生活費補助金を受給している学生に対しては、今後、現在設定されている年間329ポンド(約4万円)の最低限の奨学金(bursary)の付与を廃止すべきである。高等教育機関はそれによって捻出(ねんしゅつ)できる財源を、大学進学へのアクセスをより効果的に改善する諸活動に振り向けることができる裁量権を持つべきである。
  • 今後、授業料や生活費への政府ローンの受給資格は、適正に基づいた最低入学基準によって決定されるべきである。これにより、高等教育から利益を得る資格をもつ入学希望者の要望に応えるようにする。基準を満たすすべての学生は、政府の学生向けローンの受領資格を持つとともに、入学許可を出したどの高等教育機関にも、その学生ローン受給資格を提出できるようにする。また今後、各高等教育機関はその入学許可者の数を政府の許可なしに自由に設定できるようにすべきである。これにより、適切に運営されている高等教育機関はより成長を遂げることができるが、その他の高等教育機関は対応策を真剣に考える必要がある。

【6. 学生への資金支援】

【提言】

  • フルタイムの学生は現行どおり、卒業前の授業料の支払いを免除され、政府が学生へのローンの形でその授業料を肩代わりするが、この制度をパートタイムの学生にまで拡大すべきである。
  • 高等教育機関は政府から年間6,000ポンド(78万円)までの授業料を前納制で全額支給を受けるが、高等教育機関がそれ以上の授業料を設定した場合は、政府コストへの負担として、一定の割合の課徴金を政府に支払う制度を提案する。
    (例えば、7,000ポンドの授業料の場合は、6,000ポンドを超える1,000ポンドについて40%を、12,000ポンドの授業料の場合は、6,000ポンドを超える額の75%を課徴金として政府に支払う)
  • 学生の生活費に対する政府ローンは、年間3,750ポンド(約50万円)と一律にして単純化するとともに、返済義務のない生活費への政府補助金(grant)を申請せずに生活費ローンのみを申請する学生に対しては、学生の家庭の収入の多寡にかかわらずローンを提供すべきである。
  • 低所得家庭からの学生に対する、生活費ローンを補填する形での生活費補助金の最高額は年間3,250ポンド(約42万円)に増額すべきである(家庭収入が25,000ポンド以下の場合は補助金の全額、25,000ポンドから60,000ポンドまでは補助金の一部)。
  • 今後、高等教育機関が最低額の奨学金(年間329ポンドのbursary)を学生に提供する必要をなくし、学生への支援は政府の生活費補助金に一本化して支給されるようにする。最低限の奨学金を政府による生活費補助金の一部とすることで、学生は単一の申請書を一カ所のみに提出することによって、生活費に関するすべての助成金を受給できるようにすべきである。
  • 学生が卒業後に高収入を得るようになった場合は、授業料や生活費のローン残高に対して、インフレ率に2.2%を加えた実質金利をも支払うようにすべきである。
  • 卒業後にローンの返済義務が生じる現行の15,000ポンド(195万円)の年収額は、2005年以来、据え置かれているため、21,000ポンド(273万円)に引き上げるべきである。
  • 所得の増加に伴い、ローン返済義務が生じる年収額を変更することは、政府のローン・コストの上昇を招くため、返済期間を現行の25年から30年に延長することにより、コスト増の一部を補うこととする。なお、30年を経過してもローン残高がある場合は、政府負担によって残高を損金処理すべきである。

【7. 高等教育制度における公的利益の保護】

【提言】

  • 現在、イングランド地方の高等教育制度はイングランド高等教育助成会議(HEFCE)、品質保証エージェンシー(QAA)、公正アクセス局(OFFA)および独立仲裁オフィス(OIA)の4機関によって監督されているが、今後はそれらを廃止し、「高等教育カウンシル:Higher Education Council」という、より強い独立性を持つ機関を新設して、この単一機関がすべてを監督するようにすべきである。
  • 「高等教育カウンシル」は国会への年次報告書で、どのように税金を高等教育に投資し、どのように学生による高等教育への投資を保護しているかの説明責任を負う。
  • 「高等教育カウンシル」は、学生が大学に支払う費用とその費用効果を大学が十分に提供しているかを容易に比較できるようにするために、授業料などの諸費用に関する年次調査を実施すべきである。
  • 「高等教育カウンシル」は、毎年、各高等教育機関の理事会に経営状態の証明書を提出させ、経営不安がある場合は、同カウンシルに特別助成を実施する権限を持たせる。高等教育機関の経営破綻が回避できない場合は、同カウンシルは他の高等教育機関との経営統合や経営譲渡等のオプションを検討する。
  • 学生からの苦情を各高等教育機関で解決できない場合は、「高等教育カウンシル」が仲裁の役割を果たす。

【8. 筆者コメント】

 当ブラウン・レビュー報告書によって最も大きなインパクトを与えるのは、現在では年間約43万円に抑えられている授業料の上限枠を撤廃し、各大学の裁量により、自由に授業料を設定できるように提言した点であろう。英国政府がこれらの提言をそのまま受け入れるとは考えにくく、授業料の上限枠を完全に撤廃することには、連立政権の中でも授業料引き上げに反対してきた自由民主党の強い抵抗が予想される。授業料の引き上げはまず間違いなく実現されると思われるが、一定の上限が設定される可能性がある。また当レビュー報告書は、各高等教育機関が入学許可者の数を政府の許可なしに自由に設定できるように提言した点も注目される。これにより、実力があり適切に運営されている高等教育機関はより大きな成長を遂げることができるが、大学間格差の拡大や大学の統廃合が起こる可能性もあると思われる。

注釈)

  • *1 当レポートでは1ポンドをすべて130円で換算した。

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