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木々の緑、花の風景は誰しも心地よく眺めるだろう。その下に広がる土は、他のもののために存在することが当然であるかのように、地味に役割を果たしている。人間に実りをもたらしてくれるのに、時には土ぼこりや土汚れなどと気の毒な言葉がつきまとう。
この本を読んで、これまでになく土に対する親しみが芽生えた。著者は来年傘寿を迎え、いまなお海外にも出かける土壌学の権威である。まえがきで高村光太郎の詩「道程」が紹介されている。詩の余韻と著者の滋味豊かな記述があいまって、土(土壌)の深遠な価値がじっくり伝わってくる。
図版の中で、世界各地の土の断面24枚はさまざまな色彩を帯び、土自身の多様性に思い至る。見事にダイナミックな景観を成す中国やフィリピンの棚田に目を引かれ、環境悪化をとらえた貴重な写真に胸が痛む。
本書によれば1グラムの土壌には1億から10億の微生物がいるそうだ。岩石の風化物と区別する上で、有機物と生物が土壌の必須要件らしい。微生物などの働きによって、排水と保水という相矛盾した機能を併せ持つという。土が生命をつなぐゆえんだが、あらためて不思議さが増す。
ミクロの視点も面白いが、ページを進むにしたがい、別な観点からの興味も深まっていく。例えば、土壌生成の5つの要因「気候、生物、母材、地形、時間」は、人間成長の要因(身体、栄養、教育など)に置き換えて考えられないだろうか。土の「団粒構造」は、人間関係の距離感や間合い、包容力を示唆するかのようだ。
そして人類の叡智(えいち)を超えた「時間」というものの力について、著者の言葉「土壌は1日にしてならず」に耳を傾けたい。伊豆半島の例では森林を支える表土をつくるだけでも千年以上かかるそうだ。日本で1970年から80年代に行われた全国的な大規模農地造成の顛末(てんまつ)も心に留めておきたい。
さらに発展途上国に多い土壌の浸食や汚染、砂漠化などの危機的状況が、非常に分かりやすく分析・解説されている。主に人間活動に起因すると考えられ、貧困や人口増、食糧確保の困難、経済システムの変化などの深刻な問題に対して社会科学的な理解へと導く。
食糧の供給に直結する農業のあり方は、国内外の歴史と反省を踏まえて詳しく書かれている。将来、科学技術の発達で作物の生産に土は不要になるだろうか。最終章の「土なし栽培と植物工場」をご覧いただきたい。
人間の皮膚にも例えられる土。誰もがお化粧より肌そのもの、身体の健康が大切と思っているはずだ。この本をきっかけに、足元から地球の大地まで土の意義が見直されるように期待する。