レポート

英国大学事情—2010年5月号「全英高等教育科学・技術・工学・数学促進プログラム『The National Higher Education STEM Programme』」

2010.05.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに 】

 2009年11月、イングランド高等教育助成会議(HEFCE)とウェールズ高等教育助成会議(HEFCW)は共同で、若者のSTEM(科学・技術・工学・数学)に対する興味を促し、STEM関連学科への入学希望者を増やすとともに、就業者のSTEM技能を向上させることを目的とした「全英高等教育科学・技術・工学・数学促進プログラム: The National Higher Education STEM Programme」と名づけた3年間の助成制度を開始した。

 当助成制度は、2006年から3年間の予定で実施された試験的助成制度を継承したものである。今回発表された今後3年間の本格助成プログラムには、公募を通じて6つの大学を活動の「ハブ」または「スポーク」拠点として指名し、2,100万ポンド(約32億円1)の予算で、STEM強化への全国的活動を展開することになった。特に国家戦略的に重要であり、近年志望者が減少傾向にあった化学、工学、数学、物理学が重点対象となる。当促進活動は大学だけではなく、2006年から3年間のSTEM強化の試行的助成制度を主導した王立化学協会、物理学会、王立工学アカデミーなども深くかかわる予定である。また、過去25年間のSTEMに関する最良の教育文献などの収集実績を持ち、それらの文献に各学校やコレッジからオンラインにてアクセスできる機能を持たせることを計画しているヨーク大学の「National STEM Centre2」や、STEMへの若者の興味を促進するための既存の「STEMNET」などの活動と重複しないように連携を取りながら、補完的活動を展開していくことになった。

 採択された6大学のうち、バーミンガム大学は同地域の「スポーク」機能を果たすと同時に「ハブ」機能を担い、全プログラムの統括大学に採択された。その他、イングランド地方のバース、ブラッドフォード、マンチェスター・メトロポリタン、サザンプトンおよびスワンジーの合計5大学は「スポーク」拠点に指名された。今月号では、この大学を中心とした全国的STEM強化活動である「全英高等教育科学・技術・工学・数学促進プログラム」の概要を紹介する。

【2. 目的、活動方針、背景 】

  • 【目的】
    • 大学の化学、物理、工学、数学等の国家戦略的に重要なSTEM学科への入学希望者数を持続的に増加させる。
    • ニーズに合ったSTEM技能を持つ卒業生を送り出すことによって、産業界の要望に応える。
    • 既に就業している者がSTEMに関する高等教育を受けやすいように、より柔軟な、個々のニーズにあったSTEM教育を開発する。
  • 【活動方針】
    • パートナーシップ
      STEM強化策はすでに各種のイニシアティブによって実施されているため、当プログラムは重複を避け、すでに効果が上がっている活動の連携に重点を置くとともに、イングランドおよびウェールズ地方の高等教育機関、専門団体や産業界など広範囲なSTEMコミュニティーとの共同活動を目指す。
    • 持続性
      試験的および本格的助成プログラム、各3年間の合計6年という短期間の助成プログラムでは、すべての目的を達成することは不可能であると思われるが、少なくとも以下の達成を目指す。
      • 当助成期間中に、プログラムのすべての支援活動に持続性を持たせる。
      • 当プログラムはSTEM強化活動そのものに焦点を当てることよりも、むしろ優れた活動の普及や移転に重点を置く。
  • 【背景】
    • 2006年に始まった3年間の試行的助成プログラムで、大学のSTEM学科への入学希望者を増やすため、以下の4つのパイロット・プロジェクトが実施された。これらの4つのパイロット・プロジェクトは2009年半ばから2010年初めにかけて順次終了するが、2009年からの本格的助成プログラムにより全国的規模で統合的に継続されることになった。
      • 「Chemistry for Our Future」王立化学協会
      • 「Stimulating Physics」物理学会
      • 「London Engineering Project」王立工学アカデミー
      • 「More Maths Grads」数学協会
    • 2006年に発表された、英国が必要とする長期的技能ニーズに関する答申書である通称「Leitch Review3 」でも、英国における技能ギャップの実情が浮き彫りとなり、STEM学科卒業生に産業界が必要とする技能を身につけさせるとともに、就業者の技能レベルの向上の必要性が再認識された。
    • 2005年には就業人口の29%が「国家技能レベル4」4同等以上の技能を保有しているが、「Leitch Review」にては、その保有者数を2020年までに40%と大幅に増やすことが提案された。その実現に向かい、STEM強化のための助成プログラムを増強し、高等教育機関、産業界および英国産業連盟(CBI)などの専門団体との共同活動によって、以下の達成を目指すことになった。
      • 就業者の技能向上のための、柔軟性に富みニーズに合った技能開発コースの提供
      • STEM学科の学部学生の企業実習経験の増強
      • STEM学科のカリキュラムによって得られる技能とSTEM学科卒業生を採用する企業が望む技能の間のギャップの解消

【3. 助成プログラム 】

 2009年から開始された3年間の本格的助成プログラムは、長期的インパクトを持つ持続的モデルを構築するために、地域における一連のイベントや広範囲な関係者へのコンサルテーション結果を基にして開発されている。(インターネットを通じたeコンサルテーションによって、STEMコミュニティーから450を越える回答が寄せられた)

  • 【実施モデル】
    • STEM強化システムを高等教育機関内にしっかり埋め込むこととパートナーシップの重要性を鑑み、当助成プログラムは「ハブ」と「スポーク」モデルによって実施されることになった。
    • バーミンガム大学が地域の「スポーク」拠点と同時に、全国を統括する「ハブ」拠点に指名され、同大学はイングランド高等教育助成会議の代理機関として、プログラム全体の責任者となった。「ハブ」は、6つの「スポーク」による活動への支援とコーディネーションを行うとともに、画期的な活動の呼び水の役割を担うことが期待されている。また、「ハブ」は全プログラムの財務管理、評価、ベスト・プラクティスの全国への普及と促進の任務も負う。
    • 6つの「スポーク」には、助成プログラムの戦略的目標に沿った重点的活動に従事する義務があるが、各地域の産業形態を考慮した独自の活動もできる柔軟性も与えられている。「スポーク」は各地域の企業、地域開発エージェンシー、学校、高等教育機関などを取りまとめ、意思統一した上で地域での活動を行う責任を持つ。
    • 3年間のプログラム期間中、6つの「スポーク」は合計約30の「サブ・スポーク」を形成することが期待されている。
    • 「スポーク」間の交流を通じた柔軟性を持たせ、単に高等教育機関にとどまらず、地域のネットワークにも活動を根付かせることを目指す。
  • 【活動】
     当プログラムは「活動への参加の拡大」と「技能の向上」の2種類のコア・プログラム活動に大別され、それらは以下のような活動にさらに分類される。

上記の各プログラム活動間のコミュニケーションと連携は、テーマごとの「Special Interest Group」と、オンライン・ディスカッション、ブログやワークショップの開催通知などにも利用できる「オンライン・ポータル」を通じて支援される。

  • 【管理・運営】
     プログラム全体の管理・運営はバーミンガム大学が「ハブ」として、助成金の運用およびHEFCEへの報告義務を負うが、当助成プログラムには以下のガバナンス組織がある。

上記の全国組織の下に、各「スポーク」は、高等教育機関、企業および地域団体の代表者で構成される「地域ステアリング・コミティー」を設置する。

  • 【プログラムの評価】
     プログラムに対する評価は財務監査のほかに、独立した評価者による広範囲の評価が行われ、計量的指標による活動結果と共に、主要目標に対する進捗状況が評価対象となる。特にプログラム期間を通じて、活動がいかに各地域に組み込まれ、持続的な活動となったかが評価の重点になる。

【4. 筆者コメント 】

 英国のSTEM技能の供給ギャップについては、2002年の「Roberts Review」、2004年の10年間の科学技術政投資方針でもある「Science and Innovation Investment Framework 2004-2014」、2006年の「Leitch Review」および2007年の「Sainsbury Review」などで、たびたび指摘されてきた。直近では、STEM学科への大学入学希望者数が多少上向く傾向が見られるが、過去のレベルに比べるとまだ低い水準にある。

 これらを受けて、近年では「National STEM Centre」の建設、STEMへの若者の興味を促進するための「STEMNET」の立ち上げ、「STEM Cohesion」プログラム等が実施されてきた。このほか、科学教育に携わる教師、テクニシャン、レクチャラーや授業助手向け継続的専門職教育(CPD)のための「科学学習センター:Science Learning Centre」がイングランド地方に10カ所設置され、その統括センターとしてヨーク大学に「全英科学学習センター:National Science Learning Centre」が設けられている。

 「全英科学学習センター」は、ウェルカム財団から1,100万ポンド(約17億円)の助成を受けてヨーク大学内に建設された。科学に関する継続専門教育用の最新設備を整えた授業ラボ、教室や300席の講堂などが設置されているほか、科学の授業に利用できる英国内最大規模の教育文献を備えている。新設の「National STEM Centre」は、「全英科学学習センター」に隣接して建設されている。

 2010年3月に発表された新年度政府予算案では、財政難により高等教育機関への運営費交付金が金額ベースで前年度比7.2%削減された。しかしながら、今年度予算分から2009年度に前倒しされた2億5,000万ポンド(375億円)の設備投資額を考慮すると、全体で1.6%削減(約2%のインフレ率を考慮すると、実質3.6%の削減)の削減となった。このような厳しい状況下にある中で、政府は2億5,000万ポンドの特別予算措置をとり、追加的に2万人のSTEM学科への入学者枠を設定した。これによっても、英国政府が、英国の将来にとってSTEMが戦略的に重要とみなしていることがわかる。

注釈)

  • *1 ポンド:当レポートでは1ポンドを150円にて換算した。
  • *2 National STEM Centre Gatsby慈善財団と児童・学校・家庭省の助成
  • *3 Leitch Review Leitch Review of Skills
  • *4 国家技能レベル4 National Qualification Framework。「エントリー・レベル」から「レベル8」まで9段階に分かれている公的認定技能資格。

ページトップへ