レポート

英国大学事情—2010年1月号「工学・自然科学研究会議のアイデア・ファクトリー -EPSRCサンドピット・ワークショップ-」

2010.01.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. EPSRCの「IDEAS Factory」プロジェクト 】

 今月号では、多くの英国の大学の研究者が参加している、工学・自然科学研究会議(EPSRC)の「IDEAS Factory」プロジェクトを紹介する。

 英国の公的研究助成機関の一つである工学・自然科学研究会議(EPSRC)の「アイデア・ファクトリー」プロジェクトは、専門分野間の障壁を取り除き、問題解決への新たな次元を提供するために2004年に発足した。当プロジェクトの下に、実社会の諸問題をあらゆる角度から検討するため、広範囲の分野から活動的な個人を集めた集中討議型の5日間の「サンドピット*1」ワークショップが考案された。

 このワークショップ期間中に小グループを形成し、研究アイデアの発案から助成の可能性までも評価する。当ワークショップは、参加者を日常生活や先入観念から解放して集中的に討議ができるように、5日間の宿泊型となっている。ワークショップ終了後も、学問分野の境界を越えた野心的で革新的な研究や新たな人脈や思考方法が継続することが期待されている。2004年の発足以来、今までに約25のサンドピット・ワークショップが開催されている。「銃器による犯罪への対策」、「空港や港の安全対策の強化」、「精神的疾患を持つ患者の独立性の改善」、「英国の生産性の向上」などへの新たなアプローチは、「アイデア・ファクトリー・プロジェクト」のサンドピット・ワークショップから生まれた研究テーマである。

【2. 参加者 】

 このようなワークショップには参加者の適切な多様性が成否を決めるため、人文科学、社会科学、工学、物理学、化学、数学など広範囲の分野の研究やバックグランドを持つ人々の参加が必要である。また、サンドピット・ワークショップには経験豊富な研究者だけではなく、若手も含む、キャリアのさまざまな段階にいる人々が必要とされる。当プロジェクトによるアプローチの特徴は、普段は接点が無いような人々をプロジェクトに参加させることにある。参加者は与えられたテーマに関する知識を持っている必要はないが、異なる研究領域間のインターフェースとしての活動に熱意を持っていることが重要となる。

A) 公募参加者

 サンドピットごとに20-30人の参加者が公募で選ばれる。IDEASファクトリーの理念は、参加者自らが討議のプロセスや成果を決定することにあり、サンドピットで生まれたアイデアの優先付けやサンドピットごとに割り当てられた助成金の配分の決定まで行う。

B) ステークホルダー

 サンドピットに参加する関係者(stakeholder)は、産業界、政府、チャリティー機関、ロビー・グループ、市民グループなど、課題テーマに知識や関心を持つグループからの代表者で構成される。ステークホルダーによるインプットは、参加者が課題テーマを検討し、アイデアを形成するのを助ける役割を果たす。

C) ディレクター

 各サンドピットのディレクターは大学の研究者や産業界から選ばれ、ディレクターのビジョンやリーダーシップの下にサンドピット・ワークショップのプロセスが形成される。ディレクターの仕事は助言者(mentor)の任命など、サンドピット・ワークショップ開催の約6カ月前から始まる。ワークショップ開催中、ディレクターは助言者や進行役(facilitator)の支援を受けながら、ワークショップ・グループが主要な目的に常に焦点を合わせるよう、また議論が建設的であるように心がける必要がある。ワークショップ終了後も、ディレクターはワークショップから生まれたプロジェクトの評価およびモニタリングの役割も果たす。

D) 助言者

 助言者(mentor)チームはディレクターと共に、ワークショップ参加者の選定や客観的な助言を行う。助言者チームは知識や経験に基づき任命され、ワークショップが質の高い革新的な研究を生み出すように導く役割を負う。

E) 進行役

 ディレクターと助言者がワークショップの内容に責任を持つのに対して、進行役(facilitator)はワークショップのプロセスに対する責任を担う。進行役は、革新的なアイデアが生まれるような環境を整えるためのワークショップの活動と日程を計画する。集中的議論が行われるワークショップの環境下においては、進行役はグループの焦点が常に定まるように、活動とスケジュールを柔軟に対応させる必要がある。

【3. 実施プロセス 】

 各サンドピット・ワークショップには1人のディレクターがいて、トピックスの選定と討論の司会を行う。サンドピットは詳細な技術的議論をする集中型イベントであるため、息抜きのために非公式なネットワーキング活動も催される。なお、グループ・ダイナミックスと継続的な評価を重視するために、ワークショップ中の途中参加や退席は許可されない。実際のワークショップは、以下のようなプロセスで実施される

A) ミッションおよび問題点の把握

 ワーキング・グループは、招かれた関係者(stakeholder)との会話を通じて、与えられた課題についての包括的状況を把握するため、細部にわたる議論をする。この段階において、課題についてのより明確な理解を得るために現場を訪問することもある。また、問題解決のために重要な鍵を握る技術、知識および研究の間のギャップを洗い出し、問題点をマップ化する。

B) アイデアの創造

 小規模なグループに分かれて、助言者や進行役の支援も受けながら、問題解決のために討論、経験、現場訪問などを通じてアイデア、技能、専門知識などを出し合う。

C) アイデアの発展

 小グループごとに出てきたアイデアを発展させ、何度も検討した上で、そのアイデアを実現するための研究に必要な助成金額などを含む研究プロジェクト計画を専門家の意見を聞きながら立案していく。

D) アイデアの実行

 ワークショップの最終段階として、小グループごとに生まれた研究プロジェクトのアイデアの中から有力候補を選び出し、優先付けした上で、最終的な助成の決定を行う。また、ワークショップ終了時には、5日間のワークショップ活動の自己評価も行う。

【4. 助成金 】

 EPSRCから、サンドピット・ワークショップ参加者全員に公的研究助成金が支給されるわけではない。ワークショップから新たな研究のアイデアが生まれてこない場合もあり、また1、2件のプロジェクトしか生まれない場合もある。単一の大型研究プロジェクトから、いくつかの小規模なプロジェクト、実現可能性の研究、ネットワーキング活動、海外調査訪問までサンドピット・ワークショップの成果は多様であり、その成果は予測できない。サンドピット・ワークショップごとの通常の助成金額の上限は約100万ポンド(約1億5,000万円*2)が目安となっている。

【5. 事例 】

 今までに、サンドピット・ワークショップ活動から25以上の研究プロジェクトが生まれているので、その一部の事例を紹介する。

  • 【文化の進化に関する研究】
    社会的動物に備わった特徴である文化がどのように生まれ、進化していくのかを、小型ロボット群による人工的な社会を構築し、人間の行動がいかに文化的に根付いていくかを研究した。(コンピューター科学、社会科学、哲学、理論生物学、芸術史、文化理論、ロボティックスなどの分野の研究者が参加した)
  • 【地中に埋設されているライフラインのマッピング化】
    地中に埋設された上下水道管、ガス管、通信回線などを、GPSを利用して詳細にマッピング化し、効率的修理や緊急時の迅速な対応を可能にすることを目的とする。
  • 【気候変動に対処するためのコンソーシアム】
    廃棄物処理場から排出される二酸化炭素を、化学触媒を利用してリサイクルし、燃料や化学製品のサプライ・チェーンに戻す方法の研究。シェフィールド、ニューキャッスル、ノッティンガム、ウォリック、バーミンガム、サザンプトン、オックスフォード、イースト・アングリアなど8大学の研究者が参加した。

【サンドピット・ワークショップから生まれた最近の研究プロジェクト事例】

(2009年6月発表分の一部)
(2009年6月発表分の一部)
  • なお、2009年度の「IDEASファクトリー」の公募テーマとしては、「遠隔地からのテロリストの探知」や「英国のインフラの回復力の改善」などが挙げられている。

【米国NSFとの共同サンドピットの事例】

 英国のEPSRCで始まったサンドピット・ワークショップは米国にも波及している。2008年末には、EPSRCと米国立科学財団(NSF)は共同で、合成生物学(Synthetic Biology)に関するサンドピット・ワークショップの公募を発表した。EPSRCまたはNSFに応募資格のある者は当ワークショップ・プロジェクトに応募することができ、2009年4月、英国人と米国人による共同のサンドピット・ワークショップが米国のバージニア州で開催された。当ワークショップから派生した研究プロジェクトには、合計で550万ポンド(約8億円)を上限とした研究助成費が用意された。

【6. 筆者コメント 】

「アイデア・ファクトリー」のサンドピット・ワークショップは、シニアの学者からキャリアの浅い研究者も含む、広範囲の学問分野から20-30人の研究者が短期集中型議論のために5日間合宿し、その期間中に、与えられたテーマの問題解決のために学際的で革新的な研究プロジェクトの立案や評価および研究プロジェクトの予算案の決定まで行う点がユニークである。今のところ予算額は決して大きくはないが、新しい試みであり、2009年から米国のNSFも参加を決定したことを受けて、今後の展開が注目される。

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