レポート

科学のおすすめ本ー もうアメリカ人になろうとするな 脱アメリカ 21世紀型日本主義のすすめ

2009.08.25

立花浩司 / 推薦者/SciencePortal特派員

もうアメリカ人になろうとするな 脱アメリカ 21世紀型日本主義のすすめ

ISBN: 978-4-88759-723-5
 定 価: 本体1,000円+税
 著 者: 柴田治呂 氏
 出 版: ディスカヴァー・トゥエンティワン
 頁: 224頁

ひと言で言うと、著者の個性が強く表現され、刺激に満ちあふれた野心的な問題提起の書である。日本が、これまでの日本文化や伝統を十分に考慮しないまま、アメリカ的な制度、システムを導入しているのではないかという想いが、タイトルにもにじみ出ている。

著者の柴田治呂氏は、科学技術庁、外務省、通産省工業技術院(産業技術総合研究所の前身)などを経て、通産省大臣官房、科学技術政策研究所所長、科学技術振興事業団(科学技術振興機構の前身)理事などを歴任した経歴をもつ、元科学技術官僚である。氏は、本書の中でこれまでの職務経験に基づき、アメリカと異なる日本の独自性を十分理解したうえで、長期的かつ俯瞰(ふかん)的な観点から改革のあり方を再考することが、日本の繁栄にとって重要である、と主張している。

アメリカ社会は、自由に執着して自己主張が強い「個人主義」が社会の制度の基礎となっているという。一方、日本社会は従順性と集団主義の特性を併せ持つ「和の精神」が基本であって、それぞれ向かっている方向が根本的に異なっているのだから、固有の価値観を尊重したうえで、そこから導出される独自の制度とイノベーションが自国の発展のために推進されるべきだ、という持論が貫かれている。

本書では、具体的な例として国立大学の法人化と、政府から補助される運営費交付金を取り上げる(本文中に「国立大学の独立行政法人化」とあるが、国立大学は中期目標を独自に作成できる点で、他の独立行政法人とは異なる「国立大学法人」であることに注意する必要がある)。国立大学は2004年に法人化され、新たに設けられた運営費交付金は、従来の基盤校費と比べて使途の裁量が大幅に拡大された。その一方、マイナスシーリングの影響を受けて毎年着実に減額され続けている。氏は、これについて「人間の心を無視して」形だけ外国の模倣をしている、予算縮小の掛け声のもとで基礎研究の振興が妨げられ、本来の大学の役割が果たせなくなる、と危惧(きぐ)している。

また昨年、日本科学未来館の民間への運営委託が話題になったことについても触れている。氏は、未来館の運営が民間に委託されれば、科学コミュニケーター(本文中ではインタープリターと記している)が人海戦術で展示解説を行うような手厚いサービスは間違いなく中止されるだろう、と言い切っている。

国立大学の法人化と運営費交付金に関しては、日米欧およびアジアを含めた時系列的な国際比較をしたうえで、客観的数値に基づいた、冷静な議論が不可欠だろう。そもそも、国立大学が法人化に至った経緯についても注意深く見ていく必要があると思われる。運営費交付金のマイナスシーリングについては、国家予算の窮迫のなかで国立大学の予算が膨張し続けたことに対する、一定の歯止めとしての意味合いがあったのではないか。国立大学法人化後も、運営費交付金だけが特例として減額対象からはずされることが、国全体として中長期的に考えて良しとすべきことなのか。

また、日本科学未来館の運営についても、館としての最大の価値が、人手をかけた展示解説を介した科学コミュニケーション活動にあることが運営主体に正しく理解されていれば、仮に運営が民間になっても展示解説が一律に中止されるという意思決定は、まずありえないのではないか。むしろ無給でも嬉々(きき)として働く展示解説ボランティアが増えることによって、館全体としてのホスピタリティが向上できる可能性はないのか。氏の言を借りれば、「日本社会だからこそ」短期的な経済合理性だけに依存しない「和の精神」に期待できるのではないか。

序文には「建設的な議論の一助となること」を意図している、と書かれている。柴田氏自身が問題と考えている事項について、一個人の一面的な見解である旨を前もって告白している、という見方もできるだろう。多くの読者からの批評にさらされ、さまざまな角度からの建設的な議論のキャッチボールが図られることによって、本書はさらに磨かれていくに違いない。

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