レポート

レポート「科学技術政策世界の動き」ー 第5回「躍動する科学コミュニティー」

2009.07.21

高杉秀隆 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センターフェロー

 2010年度の大統領予算教書(注1)が2009年5月7日に発表された。オバマ大統領就任後、2月に発表された米国再生投資法、および3月の2009年度歳出法の内容は、研究開発を重要視する姿勢が資金として顕著に示され、科学に携わる面々を興奮の渦に巻き込んだ。それらと比較し、さすがにネタ切れというところか、2010年度予算案は、インパクトに欠けるものとなった。当該予算案における研究開発の方向性は、2008年9月に発表された「オバマ・バイデン科学イノベーション方針」、「2009年度歳出法」を踏襲する内容となっている。この予算案については次回説明するとして、今回はオバマ政権発足から半年経った米国の科学技術政策の現状について紹介したい。

 2010年度大統領予算教書が発表される少し前の4月27日にナショナルアカデミーズの年次総会、そして4月30日には科学技術の振興機関である米科学振興協会(AAAS)の政策会議という、科学技術に関連する大きな会議があった。ナショナルアカデミーズの年次総会ではオバマ大統領が講演し、AAASの政策会議ではジョン・ホルドレン科学技術補佐官、およびスティーブン・チュー・エネルギー省(DOE)長官が演説を行った。米国の科学技術政策の中心となる面々による講演では、科学技術に対する意気込みが強く感じられた。

 オバマ大統領は演説の冒頭(注2)で「経済危機のため科学へ投資する余裕がないという意見があるが、それには反対。科学は、繁栄、セキュリティー、健康、環境、生活の質において以前にも増して必須」という趣旨の発言をし、また「Challenge」という言葉を使い、研究者の発奮を促した。また演説の中で「国内総生産(GDP)に占める総研究開発費の割合(民間含める)を3%以上にする」というゴールを示した(現在2.62%=注3)。こういった数値的な目標を、米国大統領が正式な場で発表することは、今までなかったと思われる。ちなみに欧州委員会では、同じようにGDP比3%を目標とし、欧州全体で研究開発を促進する取り組みを行っており、また中国、韓国、イスラエルをはじめとする国々も、このような数値目標を設定している。従って、国際的には、このような目標を設定することは珍しくないが、米国による目標値の設定は、他の国と趣が異なり重みがある。またスティーブン・チューDOE長官は、演説で独特のオーラを出しながら、クリーンエネルギーへの重点投資、それによる国の競争力の強化、そのための研究コミュニティーによる協力の必要性、そして急増した研究開発費を賢く使うために努力が必要と力強く唱えていた。

 これらの演説では、科学技術政策の悪役ブッシュが倒れ、新しいヒーローであるオバマ大統領の下、米国の科学コミュニティーが躍動している雰囲気がよく伝わってくる。またオバマ大統領は、「幹細胞研究のガイドライン(案)」を就任後100日で作成したり、「2050年までに二酸化炭素排出を80%削減」というゴールを設定することで、前政権の負の遺産をたたきのめし、新しい政権を国民にアピールしている。ちなみにブッシュ大統領は、政権末期に大統領競争力イニシアティブを発表するなど、科学技術を重視する方針に転換し悪いイメージの払拭を図ったが、そのようなブッシュの実績は無視されているようだ。オバマ政権の科学技術政策の多くが、当該イニシアティブを踏襲しているにもかかわらずである。

 このようにオバマ政権は、科学技術政策で好調な滑り出しを見せた。しかし、当然課題もある。オバマが掲げた政策方針の一つにハイリスク研究の推進があるが、それらを担うエネルギー高等研究計画庁(ARPA-E)長官、国防高等研究計画庁(DARPA)長官、そして基礎研究の主要機関である国立衛生研究所(NIH)長官、国立標準技術局(NIST)長官が、約半年経った6月末現在においても決まっていないことは、大きな問題である。

 米国再生投資法によるNIHやDOEなどへの急激な研究開発費の投資も懸念事項の一つである。例えば、NIHには通常の年度予算の約3分の1が景気回復法により追加配分され、さながら研究開発バブルのようである。米国再生投資法の資金は、経済に貢献する研究を基本的に対象としているが、NIHによる健康関連の研究が経済に関与することは難しいことから、その使い道が懸念されている。また額が増えたことで、かえって助成への応募が殺到し、査読員を通年の数倍確保する必要に迫られている(注4)。新しく設立されたARPA-Eでは、新たに400人程度の査読員が必要であり、そのために奔走しているとのことである。

 大統領を取り巻く主要な科学技術関連のポストに、産業の出身者が少なすぎることも懸念される。例えば大統領の科学技術諮問機関であるPCASTには20人のポストがあるが、産業出身者はたったの4人である。ブッシュ政権におけるPCASTでは、産業出身が半分以上を占めていたことを鑑みれば、大きな違いである。実際、オバマ大統領は演説で「Science」という言葉を非常に好み、「Technology」という言葉をあまり使わない。経済不況における科学技術政策は一般的に「Technology」を重視すると思われるが、環境エネルギーを除き、その傾向は薄い。なお米国の研究開発は、クリーンエネルギーへ急激にシフトしており、次世代を視野に入れた包括的な取り組みには脅威を感じる。先行する欧州や日本の追撃態勢に、本格的に入ったと言えよう。

  • (注1)OSTP, Federal R&D, Technology, and STEM Education in the 2010 Budget参照
  • (注2)White House Home page, Remarks by the President ? At the National Academy of Sciences Annual Meeting参照
  • (注3)2006年データ、データソース:OECD Main Science and Technology Indicators参照
  • (注4)Nature, Vol459 p763, 11 June 2009参照

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