平成18年11月に開設されたJSTイノベーションサテライト滋賀の担当地域は、滋賀県と福井県だ。科学技術コーディネータは、専任が2人と滋賀県と福井県からの兼任が1人ずつの計4人いるが、後者は非常勤であり、比較的小さな規模でイノベーション創出に取り組まなければならない。そうした中、両県および産業支援の財団、工業技術センター、大学のコーディネータの協力を得ながら活動している。
年1回、地域科学技術フォーラムを開催している。社会的な要請や地域の特色ある政策と活動をテーマに取り上げ、その成果をもとに地域の産学官の意識を高め、地域の産業や研究開発の新たな展開につなげ、イノベーションを創出する。19年度は滋賀地域で開催。20年度は福井地域で計画している。
滋賀県は、琵琶湖に関係する環境問題には古くから取り組んできた。そうしたこともあり、環境関連のNPO、中小企業、各種団体などが育っている。しかし環境という切り口で大きなビジネスが生まれているわけではない。
「10年くらい前まで環境というのはお金にならないし、企業にとっては“敵”だったわけです。そのため、環境問題に力を入れている滋賀県でも大きな産業、収益の上がる産業というのは少ないのが現状です。環境活動を積極的に進めてきたのはNPOや各種の団体で、その象徴が石けん運動(琵琶湖の環境汚染の原因であった合成洗剤を規制し、各家庭で粉石けんを使うように呼びかけた市民運動。条例の制定にまで至った)です。また、廃油を燃料に変換する取り組みがありますが、滋賀県内ではわずか1つのガソリンスタンドが進めているだけなんです。また菜種油で燃料を作ろうという試みも、1つのファームで行っているに過ぎません。土壌の浄化なども1つの企業が比較的小さい規模で行っている。そういったものが点在していますので、それらを何かに作り上げて、産業として収益のあがる滋賀発の環境関連企業に仕立て上げることができたらと思っています」
2月に開いた地域科学技術フォーラムでは、地球環境時代におけるイノベーションをテーマに取り上げた。
「地域の企業や大学、NPO、各種団体などの環境がらみの取り組み事例を集めて、パネルで展示し、そのうちいくつかはパネルディスカッションで議論してもらいました。また滋賀県では、地域結集型共同研究事業『環境調和型産業システム構築のための基礎技術の開発』が昨年終わったところですので、その成果もあわせて紹介しました。このフォーラムをきっかけに、関係者にそれぞれ考えていただきたい。地域で一体化して研究開発に取り組めるように我々も、何かの仕掛けを作っていきたいと思っています。なお、今年度は福井県を含む北陸圏の地場産業である繊維産業のさらなる発展をめざしたフォーラムを実施します」
今月26日には、滋賀県および北陸地域における新産業創出のための産学官情報交換の場として、プラザ石川との共催で、JST繊維フォーラム「ナノファイバーの開発と応用…最近の状況」を開催する。このフォーラムでは、ナノファイバーの現状や用途展開および今後の見通しについて、最先端の情報を交換することで、北陸繊維業界での商品開発や応用展開につなげていく。
育成研究は全部で4件が進行中だ。遠山育夫・滋賀医科大学教授の「アルツハイマー病の新規MR画像診断薬の開発」では、MR(核磁気共鳴)画像診断装置で診断可能な世界で初めてのアルツハイマー病MR診断薬の開発を目指す。通常のMR診断では、水構成成分であるプロトン原子のエネルギー状態の違いを検出して画像化するが、この研究では、アルツハイマー病の原因であるベータアミロイドに、特異的に結合する新規フッ素化合物を用いて、そのフッ素原子の状態を検出、画像化することで、アルツハイマー病特有の脳の老人斑を高感度に検出する。
「最初のターゲット物質は、実験の結果、毒性があることが判明したため中止したのですが、遠山先生はそれを乗り越えて、新たな物質で成果をあげています。アルツハイマー病を発症前に診断できれば、事前の治療が可能になるので期待しています」
福井大学の寺田聡准教授は、絹由来のタンパク質セリシンに、牛胎仔血清を上回る細胞増殖活性と細胞死滅を抑制する効果があることを発見。この成果に基づいて、安全で生産効率の高い、新規な細胞培養添加剤の開発を進めている。
太田俊明・立命館大学教授は、放射光を用いた世界最高性能の空間分解能を有する赤外顕微鏡を開発し、ナノデバイス・医薬・バイオ研究への応用を目指す。
岩井善郎・福井大学教授は、フェムト秒パルスレーザーの偏光状態や照射エネルギーを制御して、加工が困難なDLC(ダイヤモンド状カーボン)などの硬質薄膜表面に、ナノメータサイズの周期構造を形成できる表面ナノ加工装置を開発し、自動車用ピストンリングの摩擦抵抗の大幅な低減を目指す。
イノベーション創出のための取り組みとして小林館長が考案したのが“カフェ井野辺(イノベ)”。市民のためのサイエンスカフェではなく、プロフェッショナルのためのカフェだ。毎月1回定期的に開催すべく環境を整備中。
「地域の企業の技術者、大学等の研究者、自治体の産学官連携関係者、様々な機関のコーディネータの方々に集まっていただいて、要望やJSTをはじめとする各省庁の支援策への応募相談、製造現場で抱えている課題の相談、自分たちの研究成果や現場で抱えている課題などを発表していただく。やはり、訪れた人たちが直接知り合いになりフェイストゥフェイスで語り合うことが大切なので、コーディネータが仲介して、そうした場を演出します」
手ぶらでフラッと来ても情報収集ができるような工夫がなされている。それが小林館長手作りの“ページめくり型データベース”。
「大学のシーズ情報、企業のニーズ情報、技術情報をそれぞれ1ページで見られるようにデータベースにしていく。ページをめくれば、文章を読まなくても表題、写真、図を見るだけでパッと即座に何をやっているのかを理解できます」
また滋賀県内では実質的にコーディネータ同士の集まりがなかったため、県と協力してコーディネータ交流会を結成した。これによって、お互い共通意識を持ちながら活動していく体制ができつつあるという。今後、情報の共有化やスキルアップのための取り組みを進めていく。
小林館長が考えるNPO、企業、大学、行政という多様な主体が集まった新たな環境ビジネスの創出は、それぞれが別の方向を向いて活動をしているため、なかなか難しい。しかし、フォーラム、カフェ、交流会、いずれもが最終的なゴールに向かうための一手となっており、「今後、それぞれの手をつなげていくのが、地域にいるサテライト滋賀の役割」という小林館長と話していると、その実現は近いように感じる。風による振動という複雑系の現象を構造物について解析し適用してきたことから、こうした現実にある複雑系の“解”も期待できそうだ。
(科学新聞 2008年9月5日号より)
<所在地・問い合わせ>
JSTイノベーションサテライト滋賀
〒520-0806 大津市打出浜2-1 コラボしが21 1階
小林紘士(こばやし ひろし)氏のプロフィール
1965年大阪大学工学部構築工学科卒、67年大阪大学工学研究科構築工学専攻修士課程修了、工学博士。専門は構造工学・地震工学。立命館大学名誉教授。立命館大学総合理工学研究機構防災システム研究センター客員教授。つり橋の風による振動現象の解析では、世界の第一人者。