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「日本におけるサイエンスコミュニケーションをめぐるここ数年の動きの中でもっとも顕著なのが、サイエンスカフェの普及だろう。」 ここ数年における、サイエンスコミュニケーションの国内動向を知る方であれば、おそらくほとんどの方が著者のこの意見に首肯するだろう。サイエンスカフェのポータルサイトに引用されている主催団体数だけでみても、優に100件を超えるサイエンスカフェが、主催者のさまざまな解釈のもとで開催されている。
しかしその一方で、サイエンスコミュニケーションは科学技術のプロパガンダ、言い換えればただの広告宣伝に過ぎないのではないかという指摘があることも、また事実である。本書においても「サイエンスコミュニケーションと称する活動や行為が、宣伝と受け取られるとしたら、それは方法にまちがいがあることになる」と警鐘を鳴らす。
著者の渡辺政隆は、寺田寅彦、中谷宇吉郎、チャールズ・ダーウィン、トマス・ハクスリー、スティーヴン・グールド…といった19世紀から現代にかけての「サイエンスを語る」科学者たちを具体的に取り上げ、歴史をひも解きながら科学の民主化の流れを追跡するとともに、国内外におけるサイエンスコミュニケーションの潮流を俯瞰することを試みる。本書のタイトルである「一粒の柿の種」とは、おそらく渡辺自身が、寺田寅彦の科学随筆の表題「柿の種」からヒントを得て命名したものであろう。
カフェ・シアンティフィーク(サイエンスカフェ)の創始者といわれる、イギリスのダンカン・ダラスが提唱する、ミニコミ的なサイエンスカフェも、デイナセンターで行われているような、マスコミ的なサイエンスカフェも、渡辺はなんらこだわりなく受け容れる。国内で開催されているサイエンスカフェについての具体的な言及こそないが、敢えて例えるとすれば、ミニコミ的なサイエンスカフェとしてはカフェ・シアンティフィーク東京や科学ひろばサイエンスカフェなどが、またマスコミ的なサイエンスカフェとしては東北大学サイエンスカフェやサイエンスカフェ札幌などが、それぞれ近似できるように思われる。
科学史研究から私たちが学ぶところは数多い。思うに、職業サイエンティストの登場が科学の民主化につながったということは、一般的にはそれほど広く知られてはいないのではないだろうか。今でこそ「ダーウィンの番犬」として知られるトマス・ハクスリーは、一時期は権力者側に立つサイエンティストとしてダーウィンをとらえていたようだ。彼が積極的に一般公開講座を開くなどして科学の民主化に力を注いでいたのは、その反動もあったのかも知れない。
渡辺が言う、科学研究や科学政策の透明性を高めることによって、一般市民の科学研究や科学政策に対するアクセシビリティが高まること、さらに科学者も市民との対話を通じて自らの研究に対する社会的な位置づけを正しく認識することが、今後ますます重要になってくる。サイエンスコミュニケーションの真髄はまさにそこにあるのだろう。
ブダペスト宣言にあるような「社会のための科学」の重要性が科学者に認知されるためにも、市民以上に個々の科学者が、社会と科学の関係を十分意識する必要がある。本書が、科学教育やサイエンスコミュニケーション関係者だけにとどまらず、研究者をはじめとした幅広い層に読まれることを期待したい。