レポート

英国大学事情—2008年12月号「インペリアル・コレッジ博士課程の移転可能スキル訓練」

2008.12.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに 】

 ロンドン・インペリアル・コレッジは、2006年度に続いて2008年度も英国タイムス紙の「The Times Higher Education Award 2008 for Outstanding Support for Early Careers Researchers」を受賞した。この賞は、英国の7つのリサーチ・カウンシルの連合体である「Research Councils UK」と研究者のキャリア・デベロップメントを支援するイニシアティブ「Vitae」が共同スポンサーとなっている。

【2008年度・キャリア初期段階の研究者への支援賞・ショートリスト】

 上記6校が2008年度ショートリストに選ばれ、最終選考でインペリアル・コレッジが受賞した。この「The Times Higher Education Award」は、英国の大学を対象にいくつかのカテゴリー別に毎年実施されている表彰である。インペリアル・コレッジは、「将来の研究職を目指す博士課程の学生を対象とした訓練・支援コース」の提供大学として、2006年度に続きベストの大学として表彰を受けているため、同大学の博士課程学生へのキャリア訓練プログラムの概略を紹介する。

 ちなみに、インペリアル・コレッジの大学院には4,900人以上の大学院生が在籍しており、その内訳は以下のようになっている。

  • 工学・自然科学系大学院(GSEPS)
    ・研究学生 36%(research student:主に博士課程)
    ・講義主体の受講生 33%(taught student:主に修士課程)
  • 生命科学・医学系大学院(GSLMS)
    ・研究学生 19%(research student)
    ・講義主体の受講生 12%(taught student)

【2. 移転可能スキル向上のためのプログラム 】

  • インペリアル・コレッジ工学・物理科学系大学院においては、各種の「移転可能スキル・プログラム:Transferable Skills Programme」コースを提供している。
  • ここで言う「移転可能スキル:transferable skills」とは、研究に特化したスキルではなく、アカデミック職や企業への就職など、学生の将来のキャリアに重要である一般的なスキルを指す。これらのスキルは、職種などに関係なく全キャリアを通じて通用する、汎用的で「移転可能」なスキルであるため、「移転可能スキル:Transferable Skills」と呼ばれる。
  • 「移転可能スキル」には、例えば、コミュニケーション能力、リーダーシップ、チームワーク力、自己管理能力、自立性などの広範囲なスキルが含まれる。
  • 英国財務省が生産性とイノベーション戦略の一環として、オックスフォード大学ウォルフソン・コレッジ学長であったGareth Robert教授に委託し、2002年に公表されたレビュー報告書「SET for Success」、通称「ロバーツ報告書」は、「博士課程の学生は移転可能なスキルを向上させる訓練を受けるべきである」と勧告した。
  • インペリアル・コレッジにおける各種の移転可能スキル・プログラムは、この勧告に基づき開発された短期型訓練コースである。
  • 「ロバーツ報告書」の勧告を受けて、リサーチ・カウンシルもウェルカム財団などのチャリティー機関と共同で、リサーチ・カウンシルが助成する博士課程の研究学生が習得すべきスキルと能力に関する共通の見解を「スキルに関する共同声明:Joint Skills Statement」として発表し、移転可能スキルの訓練の重要性を表明した。
  • インペリアル・コレッジでは長年にわたり、移転可能スキルの開発に取り組んできており、工学・物理科学系大学院では「Joint Skills Statement」で言及された、以下のようなカテゴリーにおける大学院生の汎用的スキル(特に研究に特化したスキルではない) の向上に努めてきた。
    ・研究管理
    ・個人の有効性(Personal Effectiveness)
    ・コミュニケーションとプレゼンテーション
    ・ネットワーキングとチームワーキング
  • 「ロバーツ報告書」および「スキルに関する共同声明」を受けて、すべての英国の大学はリサーチ・カウンシルの助成を受ける研究学生に年間2週間の移転可能スキルの向上のための訓練を実施している(リサーチ・カウンシルが助成金を支給)。
  • インペリアル・コレッジでは、リサーチ・カウンシルの助成を受けていない研究学生も技能移転スキルの訓練に参加できるような助成措置をとっている。これらの訓練コースの多くは博士課程の学生向けに開発されているが、修士課程の学生も受講することができるようになっている。
  • 訓練コースは、1時間の講義から3日間のワークショップまで多様である。また、オンライン・コースもあり、学生は都合のよい時間帯に受講が可能である。

【プログラムの概要】

  • 研究学生は、初年度から当授業プログラムへの参加が義務付けられている。
  • プログラムは必修の「コア・コース」と「オプション・コース」に分かれており、初年度の研究学生は「コア・コース」から最低4コースまたは「Research Skills Development」コースとさらに1コースを取る必要がある。
  • 講師陣は、インペリアル・コレッジのアカデミック・スタッフに加え、経験を積んだ外部コンサルタントなどで構成される。
  • バラエティーに富んだ訓練コースを紹介するために、「コア・コース」と「オプション・コース」の授業内容を記載する。

【3. 「キャリア初期段階の研究者への支援賞」受賞プログラム 】

  • 2008年度・受賞プログラムは、インペリアル・コレッジの工学・物理科学系大学院による「Finish Up, Move On:FUMO」という、博士課程の学生が課程を無事修了し、次のキャリアに就けるように手助けするための2日間のショート・プログラムである。
  • 「FUMO」コースは、博士課程の学生の間で好評を得ており、現在では年6回開催されている。
  • 「FUMO」コースは、博士課程後期の学生が持つスキルを将来の雇用者に十分に伝えることができるように訓練するための新しいアプローチである。このほかに、当コースには口答試験のような博士課程の最終段階に臨むための訓練も含まれる。
  • 「FUMO」コースのチームの一員は、「当コースは対話を通じて、キャリアの次の段階に進むために、参加者に自身のキャリア・ゴールをはっきり理解させるのに非常に役立つ」としている。

FUMOコースの概要】

  • 博士課程最終学年生向けの、2日間の会話型の集中訓練コース。
  • コースは、博士号を無事取得するための準備事項や、キャリアの次の段階に進むために知っておくべきことをカバーしている。
  • 現在、インペリアル・コレッジの工学物理科学系大学院では「リーダーシップ・スキル」に関する訓練プログラムを提供していないため、当「FUMO」コースにて「リーダーシップ・スキル向上」の集中的訓練を提供している。
  • コース初日の訓練終了後、ネットワーキング活動を兼ねた小規模なレセプションを開催し、学生が他の学生や講師とリラックスした雰囲気で話し合える場を設けている。

【参加者のコメント例】

  • 「非常に有益で、移転可能なスキルを試す良い機会になっている」
  • 「模擬口答審査は非常に有益で、このようなロール・プレイは直ちに役立つ」
  • 「意思決定活動は多くの移転可能スキルを実際にテストすることになり、実生活のシミュレーションとして有益である」
  • 「全体的によく構成されたコースであり、通常の講義式授業とは異なる授業形態は新鮮である」

【4. 筆者コメント 】

 英国では2002年の「ロバーツ報告書」以来、特に博士課程研究院生の「移転可能スキル」を向上させるための支援・訓練活動が活発化している。

 もちろん、博士課程修了者の全員がアカデミック・スタッフとしてのキャリアを進むわけではない。民間を含めた研究所、メーカー、サービス産業などの幅広い分野に進出することを考えると、科学・技術の専門知識とは別の、どのような分野のキャリアでも通用する、汎用性のある「移転可能スキル」の訓練が重要と考えられている。特に高度な専門知識と技能を持つ博士課程終了者には、いろいろな分野で広義のイノベーションに貢献することが期待されている。

 英国においても、博士号取得者は「専門分野以外の視野が狭い、柔軟性が足らない」という意見が民間企業サイドから出ているのも確かである。このような観点からも、「移転可能スキル」の訓練は英国の大学院、特に博士課程においては重要視されてきている。

 なお余談ながら、2007年にインペリアル・コレッジはロンドン大学の傘下を離脱し、独立した大学となった。

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