レポート

英国大学事情—2008年11月号「マンチェスター大学の産学連携活動」

2008.11.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに 】

 筆者は過去に大学の技術移転の事例として、TLOをロンドン株式に上場したインペリアル・コレッジの例、バース大学、ブリストル大学、サザンプトン大学およびサリー大学が研究成果の商業化のためにパートナーシップを組んだ例、大学発スピンアウト企業への投資・支援に特化した民間企業のIP Group社の例などを紹介してきた。

 今月号では、大学の研究者の起業を助成するためのファンドに、約50億円の大型資金調達に成功したマンチェスター大学の事例を紹介する。このファンドの特徴の一つは、EUの「欧州投資ファンド:European Investment Fund」や「全英・科学・技術・芸術基金:NESTA」 などの公的・非営利機関からの投資を受けることに成功したことである。

【2. マンチェスター大学の概要 】

 1824年創立のマンチェスター科学技術大学(UMIST)と1851年創立のマンチェスター・ビクトリア大学が合併し、2004年にマンチェスター大学が誕生した。これにより、マンチェスター大学は約35,000人の学生が在籍する、英国最大規模の大学となった(通信教育制のOpen Universityを除く)。また、マンチェスター・ビクトリア大学およびUMISTを合わせて、物理学のラザフォードなど、合計23人のノーベル賞受賞者を出した、研究重視の大学でもある。(以下は2007年7月期の統計)

学生

中国からの1,640人の留学生を筆頭に、マレーシア、ギリシャ、インドなどの180カ国から合計7,400人の留学生が在籍中。
中国からの1,640人の留学生を筆頭に、マレーシア、ギリシャ、インドなどの180カ国から合計7,400人の留学生が在籍中。

教職員

収支

総研究支出額は約4億ポンド(640億円)。そのうち、外部からの研究助成金は2億4,800万ポンド(397億円)。「その他の収入」のうち、36%が寄宿舎、ケータリング、会議場からの収入。
総研究支出額は約4億ポンド(640億円)。そのうち、外部からの研究助成金は2億4,800万ポンド(397億円)。「その他の収入」のうち、36%が寄宿舎、ケータリング、会議場からの収入。
2007年7月期は多少の運営損失が出たが、資産売却により全体としては黒字。
2007年7月期は多少の運営損失が出たが、資産売却により全体としては黒字。

経済的インパクト

  • 年間総収入は6億3,700万ポンド(1,019億円)。英国で、初めて年間総収入が5億ポンド(800億円)を超えた大学。
  • 地域への経済効果は14億ポンド(2,240億円)と推定され、間接的に15,500人の雇用を支えている。
  • 同大学が設置したインキュベーション施設には100社以上のスピンアウト企業が入居している。

【3. マンチェスター大学・知的所有権管理会社(UMIP) 】

 University of Manchester Intellectual Property Limited(UMIP)はマンチェスター大学が100%所有する、知的所有権の商業化を目的として設立された会社である。

スタッフ

実績

  • 過去20年間で、同大学の発明に基づく約60件のライセンス供与を実施し、また約40社のスピンアウト企業を設立した実績がある。
  • 同大学発スピンアウト企業は、過去5年間で合計約1億5,000万ポンド(240億円)の資金調達の実績がある。また、Transitive社やロンドン株式市場に上場し、時価総額約3億ポンド(480億円)を達成したRenovo社などの成功企業を出している。

【Transitive Corporation】

  • 1990年後半、マンチェスター大学コンピューター科学科の研究者が、どのようなコンピューター・プラットフォーム上でも、アップリケーション・ソフトウェアを変更しないで利用できるソフトウェア技術を開発した。
  • この技術の商業化のために、ベンチャー・キャピタルのPond Venture Partnersから180万ポンド(2億9,000万円)およびマンチェスター大学のManchester Technology Fundから20万ポンド(3,200万円)の出資を受けて、2000年にTransitive Corporationが設立された。
  • その後、Pond Venture Partnersによって、米国で3,000万ドル(約30億円*2)の追加的資金調達に成功した。
  • 現在、同社は世界中に1,200万以上のエンド・ユーザーを持つ。マンチェスター、ロンドン、ニューヨーク、シリコン・バレーに拠点があり、社員数は約100人。
  • 同社の顧客にはApple, Intel, IBM, Silicon Graphicsなどの大手企業が含まれる。プラットフォーム・パートナーとして、日立や富士通の日系企業も参加している。
  • 同社の株主はPond Venture Partners社、マンチェスター大学のManchester Technology Fund等のベンチャー・キャピタルであり、現在のところは未公開の株式会社である。

【Renovo Group plc】

  • 1999年、マンチェスター大学生命科学科の研究者が皮膚の傷痕の縮小や防止を目的とした世界初の治療・防止薬の商業化のため、Atlas VentureとJP Morganから800万ポンド(約13億円)の資金提供を受け、翌年Renovo社を設立した。
  • 傷痕用治療薬の市場は大きく、数千億円と推定されている。当治療薬は当初、皮膚の傷痕用に開発されたが、現在はで腱や神経の傷への応用も研究されている。
  • Renovo社は、この治療薬のライセンスを英国の大手製薬メーカーShire Pharmaceuticals Group plcに供与し、そのライセンス契約の一部として、同治療薬の欧州連合におけるすべての知的所有権を獲得した。
  • 2003年には、数社のベンチャー・キャピタリストから第2回目の資金募集として2,300万ポンド(約37億円)を調達した。
  • 同社は2006年にロンドン株式市場に上場し、新規投資家から5,800万ポンド(93億円)、また既存のベンチャー・キャピタリストから1,000万ポンド(16億円)の資金調達に成功した。現在では、約200人の従業員を雇用している。

【4. UMIP Premier Fundの設立 】

A.ファンドの概要

  • 2008年4月、マンチェスター大学は英国の投資会社MTI Partners*3 と共同で、単一の大学への投資に特化した投資ファンドとしては欧州最大規模の3,200万ポンド(51億円)の資金を集めることに成功した、と発表した。
  • ファンド名は、同大学の知的財産管理会社のUniversity of Manchester Intellectual Properties 社に因み、「UMIP Premier Fund」と命名された。今回の投資募集は第1次であり、今後も継続的な募集を計画しており、最終的なファンド総額は5,000万ポンド(80億円)を予定している。
  • マンチェスター大学は、UMIP Premier Fundに同大学発のスピンアウト企業への優先的な投資の権利を与え、同ファンドはスピンアウト企業1社あたり50万ポンド(8,000万円)から200万ポンド(3億2,000万円)の後期シード資金(late seed capital)を提供する。最終的には1社当たり平均200万ポンド(3億2,000万円)から300万ポンド(4億8,000万円)の投資を計画しており、合計約20社への投資を予定している。
  • 同ファンドの10%は、約5万ポンド(800万円)規模のシード・コーン投資として、商業化の実証(proof of principle)のために投資される予定である。なお、同ファンドは、ファンド総額の最大20%までをマンチェスター大学発スピンアウト企業以外にも投資できる権利も持つ。

B.投資パートナー 当ファンドへの投資家はEIF、 NESTAおよび保険会社などの機関投資家である。

  • EIF(European Investment Fund)
  • 「欧州投資ファンド:EIF」は、欧州連合が設立した欧州投資銀行(European Investment Bank)によるベンチャー・キャピタルへの投資を主体にしたファンドである。起業後、早期段階にあるベンチャー企業や技術に特化した中小企業に対して、ベンチャー・ファンドへの投資を通じた間接投資を行っている。現在、266のベンチャー・キャピタル・ファンドに投資しており、その投資ポートフォリオは総額44億ユーロ(5,720億円*4)以上になっている。
  • 全英科学・技術・芸術基金(NESTA)
    全英科学・技術・芸術基金(National Endowment for Science, Technology & Arts:NESTA)は国営宝くじの収益金を基本財産として設立され、科学・技術および芸術に関するイノベーションと創造性の向上を目的とする機関である。その設立経緯から、NESTAの所管省庁は、国営宝くじ事業を担当する文化・メディア・スポーツ省が所管省庁となっている。

 NESTAは約3億ポンド(480億円)の基金を持ち、資産運用、投資事業収入とその他の助成金によって運営され、起業後初期段階企業への支援投資も行っている。

【5. 筆者コメント 】

 マンチェスター大学は、英国Times紙世界大学ランキングにおいて、2006年度40位、2007年度30位、2008年度29位とランキングを上げてきている、有力な研究大学である。

 2004年に、マンチェスター・ビクトリア大学とマンチェスター科学技術大学の合併によって誕生したマンチェスター大学の初代学長には、オーストラリアのメルボルン大学学長が就任している。

 マンチェスター大学の知的所有権管理会社(UMIP)は学内の研究者向けに、以下のような各30ページ近い詳細なガイドブックをウェブ上にて掲載しており、非常にきめ細かな対応をしているのには感心する。

  • IP & Confidentiality
  • Spin Out Companies
  • Licensing
  • Research Contacts
  • Consulting
  • Academic Materials and Publishing
  • Intellectual Property
  • A Guide to UMIP
  • Case studies of Licensing
  • Case studies of Spin-outs

 最後に、学内研究者向けの、スピンアウト企業のケース・スタディーのパンフレット から、成功したスピンアウト企業を創立した経験者のアドバイスの一部を紹介する。

  • Transitive Corporationの創業者で同社CTOのアドバイス
    「英国のベンチャー・キャピタリストは、主にファイナンス・マネージャーの出身であり、技術市場の経験がほとんどないのに比べ、米国のベンチャー・キャピタリストは技術畑の経験者が多く、業界のシニアな地位の人々のネットワークを持っているという大きな違いがあった。これらのネットワークによるコンタクトはわれわれにとっては非常に有益であった」と述べている。また、同氏は「run and don't walk」とも言っている。
    これは1990年後半の同社設立当時の状況であり、現在の英国のベンチャーキャピタリストは当時とは異なってきているとは思われるが、資金調達とともに業界内の有力なコンタクトがいかに重要であることを示唆している。
  • Renovo社創業者で同社R&Dディレクターのアドバイス
    「ベンチャーキャピタリストは、投資のリターンと投資出口(Exit)を最重要視する。そのため、ベンチャーキャピタリストなどの投資家から資金調達するためには、何をするのかを明確にし、それらのマイルストーンを一歩一歩、確実にクリアしていく必要がある。これによって信用を得ることができ、さらなる資金調達の可能性が増える。また、調達した資金を厳格にコントロールすることにより、ベンチャーキャピタリストの信用が増す」とコメントしている。

注釈)

  • *1 ポンド:最近、ポンド為替相場が210円近辺から約25%急落したが、当レポートではすべて、現在の相場の1ポンド=160円で換算した。
  • *2 1ドル:1ドルを100円で換算した。
  • *3 MTI Partners:MTIは英国の技術ベンチャー・キャピタル業界で主導的な立場にあり、25年以上にわたり欧州と米国にての投資経験を持つ技術投資顧問会社である。特に、材料技術、情報技術、エレクトロニクス、通信技術、医療技術に強みを持つ。
  • *4 1ユーロ:1ユーロを130円にて換算。

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