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脳科学がいま、脚光を浴びている。昨年10月には、脳科学研究のナショナルセンターである理化学研究所脳科学総合研究センター(BSI)が創立10周年を迎え、「脳科学ひろば」と題するイベントが都内で盛大に開催されたことをご記憶の方も多いのではないだろうか。同月、渡海文部科学相(当時)から諮問「長期的展望に立つ脳科学研究の基本的構想及び推進方策」が出され、翌11月に文部科学省に脳科学委員会および同調査研究作業部会が設置された。この流れを受けて、文部科学省の来年度概算要求においても脳科学研究推進プログラムが拡充課題として掲げられている。
いっぽうで、脳科学研究にはエンハンスメント問題とよばれる、病気の治療を超えた心の能力の増強(ドーピングと言ってもよいかも知れない)を許容してもよいのかといったことや、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)とよばれる、脳内情報から心の動きを読み取る(マインドリーディング)技術に対し、心のプライバシーをどう保護していくのがよいかといったことなど、さまざまな社会的な影響が懸念され始めている。
ここで取り上げられている脳神経倫理学は、脳科学の健全な発展を促進し、脳科学研究に関する懸念に対するソリューションを与えようとするものである。脳科学を市民に正しく伝える「知の品質保証」、いわば脳科学コミュニケーターの役割も担っているという。
本書は、共著者のそれぞれの研究分野に特化した内容で構成されている。必ずしも脳神経倫理学全体を俯瞰(ふかん)して編まれたものではないが、研究動向の一端を知るには有用だと思われる。特に第二章「脳神経倫理学の展開」では、諸外国における脳神経倫理学の展開と日本における推移の比較があり、現在進行形の脳科学委員会の動向も含め、私たちがどのように脳科学と向き合っていけばよいのか、話の導入として読むことができる。
この中で国内の脳科学研究に対する重要な指摘として、脳神経倫理学の中でも特に「心の哲学」「脳哲学」に対するボトムアップ的な需要への気づきの不足と、実働的な脳神経倫理学を取り上げる研究者・指導者数の不足を問題点として挙げていた。これらを解決するには、脳神経倫理、あるいはニューロエシックスという言葉が一般に認知され、その社会的価値が知られるようになることが必須条件だろう。本書が、脳科学と同様、脳神経倫理についてもひろく他分野からも注目されるきっかけとなることを期待したい。
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「脳神経倫理学の展望」に関連した本として、「脳科学と倫理と法」が昨年出版されている。これは2004年に、雑誌Scienceを発行している米国科学振興協会(AAAS)と、ワシントンDCにある非政府研究助成機関であるデイナ財団が共同主催した招待研究会の成果をまとめたものの訳書である。ちょうど大統領生命倫理評議会において脳神経倫理学がホットイシューとして取り上げられていた時期の議論が詳しく述べられており、問題の所在を概観するのに役立つ好著といえる。