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表紙の絵は謎解き、ミステリーの雰囲気をもつ。階段に脱ぎ捨てられた片方だけの靴はシンデレラをイメージさせる。しかし時計の針は12時を過ぎており、ごみの山は「間に合わなかった」不幸な結末を暗示するかのようだ。
著者の研究室ホームページでは、同じモチーフが整然とした光景で描かれている。まだ間に合う!急げ、何をどうなすべきかという私たちへの問いかけに見える。そして靴の持ち主を見つけることで新たな人間関係が生まれるなら、片方というのは役に立たない不要なものではなくなる。発想の転換とコミュニケーションの重要性を象徴していると思える。
さて、ロマンテイックワールドの扉を開けると、36のテーマは環境工学を土台にしているが非常に多様であることに気づく。各々2頁ほどの「物語」で始まり、教師と生徒、親子、外国人と日本人などの会話を柱に、日常の場面が繰り広げられる。対になっている専門的な解説は、要点が分類図やフロー図、化学式と共にコンパクトにまとめられ、海外のコミック風な手書きのイラストに若者受けしそうなセンスが薫る。
この本がタイトルに掲げる「廃棄物」は環境分野に通じる。著者は、「環境境問題は地球温暖化のほかに、内戦や貧困、もっとベーシックな環境問題があるのではないか」と、海外の経済事情や社会システムにも目を向けさせる話題を取り上げている。例えば、エビ養殖、資源を巡る紛争ほか多岐に及ぶ。
なぜ暮らしの中でサイエンスリテラシーが大切か、悪徳商法やインターネット情報の判別などの「物語」によって解き明かされる。自然科学のみならず社会科学の視点の必要性を認識させる。今日科学技術の発展により、製品すなわち廃棄物予備軍の性状が複雑化している。科学技術の負の側面、リスクにどのように対処していくべきか、本書は生活者も共に考えるべき時代だと示唆する。
著者は廃棄物取り扱い業務の現場を知っている科学者であり、学術界と産業界との乖離や廃棄物処理業の社会的位置を注視してきた。ある章は、女の子が廃棄物に関わる父親の職業をからかわれるということを発端に、やがては誇りと使命感を理解する話になっている。その中で、看護界と廃棄物界が比喩的に表現されているのが興味深い。要約すると医者は病気になってから処置する役目、病気を未然に防ぐ仕事が廃棄物処理というわけだ。生産、消費活動のあとを担い、安全を安心に変えるのだから。
富、国力、資源の豊かさなど経済的な格差によって、有害物質による環境汚染や人体への影響など廃棄物の不適正な処理に伴うリスクは弱者に集中しやすい。政策からごみの出し方に到るまで、倫理・哲学言い換えればモラル・人間性のバロメータにもなる。廃棄物に関する専門知識の間にさり気なく織り込まれた、人間の営みの奥の問題点を見つめることこそ、著者が最も訴えたいことではないだろうか。
科学技術に依存し、夢を可能にしていく社会で、私たちはどんな価値観で何を選び、残そうとするのだろう。私たちが棄てているのは物質だけだろうか。眼に入らない、耳を傾けない、認めようとしない、「Mottai-Nai」ものの存在を、著者は廃棄物を通して語っている。特に、「勉強ってなんでするの?」という最終章は若者へのメッセージになっている。「自分が自由になるために、勉強をする」という著者の言葉のほか、引用されている箴言をぜひ若い方々に読んでほしい。人生には見えない学びの階段が続いていることに気づくはずだ。