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官から公への医療改革実践 福島原発事故被災者とともに5年間(上 昌広 氏 / 東京大学医科学研究所 特任教授)

2016.03.07

上 昌広 氏 / 東京大学医科学研究所 特任教授

上 昌広 氏
上 昌広 氏

東日本大震災から5年がたとうとしている。私たちの研究室は、福島県浜通りでの医療・放射線対策支援を続けている。

 「福島の復興は政府と福島県が一体となって進めている。大学の1研究室に何ができるのだろう」とお考えの読者もいらっしゃるだろう。確かに、福島の復興には膨大な税金が投入され、大勢の人々が関与している。その実行力は、大学の研究室とは比較にならない。

 ところが、福島の復興は政府や県だけではできない。いや、両者に依存している限り進まないことも少なくない。その一つが医療や放射線対策だ。その理由は、政府や県は住民に間接的にしか接しないからだ。行政がすることと、住民の希望にはどうしても齟齬(そご)が生じてしまう。

 例えば、震災直後から福島県が進めている県民健康調査の「基礎調査」だ。福島県によれば、「空間線量が最も高かった時期における放射線による外部被ばく線量の推計を行うため」にアンケート調査を行っている。ところが、その回収率は27.4%(2015年末現在)にすぎない。

 11年5月、福島県南相馬市在住の50代の女性と話すと、「震災直後の行動など詳細に覚えていない。いまさらアンケートして何が分かるのか」と憤った。

 福島県は「基礎調査」を通じて、公衆衛生学的に基本となるデータを集めようとした。ところが、当時、住民が知りたがったのは、自らが幾ら被ばくしたかという客観的な情報だった。行動記録からの推定値ではない。

 当時、自らの被ばく量を知るには、ホール・ボディー・カウンターを用いた内部被ばく検査をするしかなかった。ところが、住民向けの内部被ばく検査を立ち上げたのは南相馬市立総合病院だった。その後、ひらた中央病院(平田村)、ときわ会常磐病院(いわき市)などの民間病院が続いた。

 現在も、この状況は変わらない。福島県も独自に内部被ばく検査を実施しているが、「大部分は市町村や病院に丸投げ」(相馬市関係者)しているのが実情だ。ただ、福島県民の視点から考えれば、むしろこちらの方が好都合だ。なぜなら、市町村や地元の医療機関は、地域住民と接する機会が多く、状況を把握しているからだ。小回りが効くため、検査結果のフィードバックも迅速だ。

 例えば、2月26日、相馬市は15年度に内部被ばく検査を受診した小中学生2,562人全員が検出限界値を下回ったと発表した。このことは、相馬市内の小中学生では、放射性セシウムによる内部被ばくが問題となり得ないことを示している。この記事を地元紙は大きく報じ、住民は安堵(あんど)した。

 また、同日、相馬市は、市内在住の子どもおよび妊婦を対象に、15年9〜11月まで個人線量計(ガラスバッジ)を装着し、外部被ばくを推計した結果を発表した。検査を受けた1,949人のうち、年間の推定追加外部被ばく線量が1.0ミリシーベルトを超えた人はいなかった。内部被ばく同様、外部被ばくも問題にならなかった。

 東日本大震災後、相馬市は独自に内部被ばく、外部被ばく検査を進めており、こまめに結果を公表している。私どもの研究室は、この調査に協力しいてる。

住民の健康診断をする上昌広氏(2013年7月、相馬市の仮設住宅で)=上氏提供
写真.住民の健康診断をする上昌広氏(2013年7月、相馬市の仮設住宅で)=上氏提供

 南相馬市やいわき市でも、地域主導で同様の動きがあり、今や浜通りでは「内部被ばく、外部被ばくともに問題のないレベル」であることがコンセンサスとなりつつある。ただ、だからといって被ばく検査をやめていいわけではない。内科医でもある立谷秀清(たちや ひできよ)相馬市長は「これからも被ばく検査を続ける」という。その理由は二つだ。まず、内部被ばく、外部被ばくがないからといって、「福島が安全」とは言い切れないからだ。

 確かに、福島第一原発周辺の空間線量は着実に低下している。日本原子力研究開発機構によれば、15年9月の原発80キロメートル圏内の地表から1メートルの空間線量は、11年11月と比較して65%程度減っている。

 農作物や漁獲物の汚染も改善した。15年度、玄米、原乳、野菜およびコウナゴ、マアジからは基準値以上(1キログラム当たり100ベクレル)の放射性物質は検出されていない。

 ただ、依然としてイノシシや露地物のキノコ、山菜、あるいはスズキやヒラメなどの一部の魚からは放射性物質が検出されることが多い。15年度、イノシシの65%からは基準値以上の放射性物質が検出されている。

 当然だが、汚染されたものを定期的に食べれば内部被ばくする。南相馬市では、1キログラム当たり約400ベクレルの放射性セシウムが検出された70代の男性がいたが、この人は露地物の干しシイタケを定期的に食べていた。この干しシイタケからは1キログラム当たり14万2,134ベクレルの放射性セシウムが検出された。

 以上の事実は、浜通りには依然として汚染されている地域があり、完全に安全というわけではないことを意味している。ただ、これまでの研究により、危険な食材が同定されている。これらの食材を避ければ、内部被ばくすることはない。現在、福島県内で流通する食材は放射性物質の検査を受けており、市販の食材だけを食べている人からは誰も内部被ばくは検出されていない。福島の人々は、放射線とうまく付き合うノウハウを確立しつつある。

 問題は油断だ。実はチェルノブイリ原発事故で住民の内部被ばくが最大になったのは、原発事故から12年目だ。旧ソ連崩壊による経済危機もあったが、住民が汚染された食材を摂取するようになった。油断したのだろう。検査体制を維持し、教育活動を継続する必要がある。

 被ばく検査を継続すべきもう一つの理由は、差別対策だ。原発事故直後、福島県から避難した子どもが、放射性物資による汚染を理由に保育園への入園を拒否されたり、学校でいじめに遭うなどしたことが報じられた。最近、このような報道はなくなったが、単に報道されなくなっただけだろう。実態は大きく変わらないはずだ。

 なぜなら、差別は、そんなに簡単になくならないからだ。被ばくが差別を生むのは、わが国だけの問題ではない。原発事故から30年以上が経過したベラルーシでは、いまだに「放射線汚染地域出身者とは結婚させたくない」と言う人がいる。(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45451 参照)

 この問題を研究している相馬中央病院の森田知宏(もりた ともひろ)医師は、「穢(けが)れ思想に通じる部分がある」と指摘する。森田医師の文章の中で、福島市内で除染活動に従事する曹洞宗常円寺住職の阿部光裕(あべ こうゆう)氏は「穢れ思想は、平穏な日常を送りたいと思う人が、非日常を忌み嫌うという中から生まれてきた」と述べている。多くの国民にとって、福島は非日常であり、できれば関わりあいたくない。

 福島の子どもたちも、このことをひしひしと感じている。13年に相馬市が中学生1,012人を対象としたアンケートでは、約4割が「結婚の際、不利益な扱いと受ける」と回答した。

 では、何をすればいいのだろう。森田医師は、「この問題の構造は、被差別部落問題やハンセン病差別問題と似ており、解決するためには医療・教育・宗教・メディア界が連携する必要がある」と言う。私も全く同感だ。

 この中で、私たちができることは被ばく検査を続けることだ。放射性ヨウ素による甲状腺がんを除けば、不妊やがんなどの問題を起こすのは主として放射性セシウムだ。現在の検査体制を維持すれば、放射性セシウムによる被ばく量は正確に評価できる。

 幸い、相馬市や南相馬市は学校健診の中に被ばく検査を盛り込み、問題がないことを確認している。このことは後々効いてくるだろう。なぜなら、成長した子どもたちが、流産やがんを経験しても「被ばくが原因でない」と明言できるからだ。

 現在、わが国では2人に1人はがんになり、20代で10%、30代で25%程度の女性が流産する。ベラルーシで30年以上差別が続いていることを考慮すれば、福島出身者が、将来、がんになったり、流産した場合に、配偶者やその家族が「福島で被ばくしたせいだ」と考えても不思議はない。「なぜ、避難しなかったのか」と批判される人も出るだろう。

 その際、内部被ばくしていないという自分自身の検査結果を提示することは、何にも増して説得力がある。福島で育った子どもを言われなき差別から守る一助になるはずだ。

 以上は、東日本大震災以降、私どもの研究室が地元の自治体や医療機関をお手伝いしてきた活動の一部だ。

 では、私たちの研究室が浜通りで活動するインセンティブ(動機)は何だろうか。それは、現地での活動を通じ、若者が成長することだ。私たちの研究室のモットーは「現場からの医療改革」。何事も現場に入って、当事者として行動することにしている。(http://plaza.umin.ac.jp/expres/genba/index.html 参照)

 「現場での活動」を強調すると、一部の研究者からは「理論が弱い」、「大学がすべきことではない」と批判されることがある。実際、東大医科学研究所の教授メンバーの中には、福島での活動を快く思っていない人も少なくない。研究室の活動報告をする際に「福島での活動は除外してください」と言われたこともある。

 昨今、社会の科学に対する信頼が損なわれているが、国民意識と乖離(かいり)したこのような連中に、責任の一端があるのは言うまでもない。私は現地で活動することは、臨床医学や公衆衛生を研究する上で有用だと考えている。それは、現地に入って、住民と共に考えれば、何らかの決断をせざるを得ないからだ。不十分な情報の中、住民と一緒になって決断することで、住民との信頼関係が構築される。さらに、このような決断の積み重ねが貴重なエビデンス(証拠)となる。

 例えば、被ばく調査のケースだ。福島県は「県民健康調査」というスタイルで実施した。あくまで、「調査」が目的で、「調査結果」は長らく住民の元に返されなかった。このことが、「私たちはモルモットではない」という批判を生み、福島県と県民の間に拭いがたい不信感を生じさせた。

 一方、私たちがやったのは、「個別相談」の積み重ねだ。相馬市、南相馬市立総合病院、ときわ会(いわき市)、ひらた中央病院(平田村)と協力し、被ばく検査の結果説明を希望する人に対し、個別に相談に応じた。11年4月から現地での活動を続けている、当研究室の坪倉正治(つぼくら まさはる)医師は、10万人以上の検査を担当し、多くの相談に乗った。このような活動を通じ、住民と信頼関係を構築した。

 当初、被ばく医療の専門家の関心は「低線量被ばくは安全か危険か」だった。ところが、坪倉医師たちの方法では、この点は問題にならなかった。大部分の住民から放射性セシウムは検出されなかったからだ。放射性セシウムが検出された一部の住民には、食事内容を指導するなどして個別に対応した。今や内部被ばくが検出される人はほとんどいない。この結果、福島で研究しても「低線量被ばくは安全か危険か」という問題に答えを出すことはできなくなった。

 東日本大震災から5年。坪倉医師の活動に刺激を受け、大勢の医師が浜通りの医療機関に勤務するようになった。例えば、震災後4人まで減った南相馬市立総合病院の常勤医師数は今や30人だ。その中の1人、尾崎章彦(おざき あきひこ)医師は、乳がんの診療に従事する傍ら、南相馬市で多発するヘビ咬(こう)傷やスズメバチ刺傷を調査している。ともに世界的に関心が高まっているテーマであり、地球温暖化と農地の荒廃が背景にある。前者は言うまでもないが、後者は環太平洋パートナーシップ(TPP)が発効すれば、多くの参加国で深刻な問題となるだろう。原発事故に襲われた南相馬市は「世界的な課題先進地域」になってしまった。

 被災地が抱える問題は、これだけではない。現在、注目を集めているのは、生活習慣病患者の増加や、高齢者の社会的孤立などだ。この状況は多くの研究者にとって魅力的だ。英国ロンドンのインペリアル・カレッジ公衆衛生学の博士課程に在籍する野村周平(のむら しゅうへい)氏は、福島を研究フィールドにしている。

 現在、浜通りには、国内外から若き研修者が集い、着実に実績も上がっている。優秀な若手が集まれば、自然と研究実績も増える。坪倉医師を中心としたチームは、震災後約50報の英文論文を発表した。私は、彼らの活動は臨床や公衆衛生の研究のあり方を変えると考えている。注目すべきは、前出の約50の英文論文には、公的研究費が一円も使われていないことだ。

 臨床研究や公衆衛生研究では、新薬や特別な検査を使わない限り、大半の費用は診療報酬や市町村の事業費で賄うことも可能だ。基礎研究のように、全ての費用を研究費として調達する必要がない。事実、浜通りの被ばく検査は、市町村および病院の事業として行った。

 このような特性を活かせば、研究者でなく、当事者として被災地の医療機関などに勤務することで、科研費に依存しなくても、研究を遂行することができる。当事者になれば、住民と直接触れあい、信頼関係を構築できる。部外者である研究者ではアプローチできない一次情報に触れることができるようになる。

 昨年末には英国エジンバラ大学の修士課程を卒業した研究者であるレポード・クレアさんが南相馬市立総合病院の「英語教師」として就職した。クレアさんは、「本務」の傍ら、高齢化と生活習慣病の関係を研究している。もちろん仮設住宅をはじめ現場に出向き、住民と交流している。

 医師であれば、選択肢はさらに増える。地方に行くほど、医師の収入は高いからだ。経営難にあえぐ都内の私大病院では、40代の准教授でも月給は額面40万円程度だ。一方、南相馬市立総合病院では初期研修医ですら、月給は月額約68万円である。

 臨床研修を終えた医師なら、アルバイトもできる。雑所得の形で収入を得れば、経費が計上できる。自らの収入で研究を遂行しやすくなる。坪倉医師は、昨年、東大医科研の大学院を修了し、現在、4カ所の医療機関、および2カ所の研究機関と契約している。さらに執筆や講演からも収入を得ている。

 彼は、自ら稼いだ収入から年間数百万円を研究に投資している。大学生や統計家などに業務を発注し、彼らを「支援」している。身銭を切ることで、効率的な研究投資のあり方を学び、一生涯にわたる「仲間」をつくることができる。

 言い古されたことだが、学問の自立には、経済的自立が欠かせない。経済的自立は、精神の自立を促し、自由な議論を可能にする。巨額な財政赤字を抱えるわが国で、「研究費の増額を」と政治家や役人に陳情しても詮(せん)ないことだ。わが国で、これ以上、税金の大盤振る舞いはできないし、すべきでない。「税金ください」と陳情する暇があれば、現地で活動して、稼ぎ、そして議論を積み重ねればいい。少なくとも医師であれば、そのような研究の進め方ができる。福島は絶好の場所だ。

 これこそが、私が医師・研究者として、浜通りでの医療・放射線対策支援活動を続ける理由の一つである。私は、福島から「官でない公」を体現する新しい研究者が育つと考えている。われわれの活動にご興味のある方がおられれば、ぜひ、ご連絡いただきたい。大歓迎である。

上 昌広 氏
上昌広 氏(かみ まさひろ)

上昌広(かみ まさひろ)氏プロフィール
兵庫県出身。灘高校卒。1993年東京大学医学部医学科卒、99年東京大学大学院医学系研究科修了、虎の門病院血液科医員。2001年国立がんセンター中央病院薬物療法部医員、05年に東京医科学研究所に異動。現在、先端医療社会コミュニケーションシステム 社会連携研究部門特任教授として、医療ガバナンス研究を主宰。

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