オピニオン

地球・人類・社会のための工学を-世界工学会議に向けて 第1回「科学、技術を利用して社会の課題解決に貢献する工学」(佐藤順一 氏 / 世界工学会議で会長を務める日本工学会会長)

2015.11.25

佐藤順一 氏 / 世界工学会議で会長を務める日本工学会会長

佐藤順一 氏
佐藤順一 氏

1.はじめに

 第5回世界工学会議が11月29日から12月2日までの日程で、京都国際会議場で開催される。主催は世界工学団体連盟(WFEO)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)、日本学術会議、日本工学会で、会議のメーンテーマは「工学(Engineering): Innovation and Society」 。会議は、七つの特別基調講演、全工学分野を網羅したテクニカルプログラム、テクニカルプログラムの総括講演で構成されている。特別基調講演は、国連やユネスコの代表や、昨年のノーベル物理学賞受賞者の天野浩名古屋大学教授らの登壇が予定されている。テクニカルプログラムでは、社会の持続的発展に重要な役割を果たす各工学分野の現状がどうであるか、10年後、将来はどのような方向に進んでいくかについて、各分野の著名な約200人の専門家がそれぞれのセッションで議論、討論する。これらの議論や討論を通じて工学が向かうべき将来像を分野ごとに明らかにし、最終日にはそれらを総括した「京都宣言」にまとめたい。

 会議は5回目だが、日本で初の開催となる。日本では2011年3月に東日本大震災が起き、現在復興を進めている。福島第一原発の事故もあり、工学とは何かということを考えさせられた。今回の世界会議の場、議論を生かして工学を今後どのように発展させていくべきか、という極めて重要な問題を世界に発信したいと考えている。京都宣言(案)を策定するにあたり、工学とは何か、また「イノベーションと社会」 について考察するとともに、今後の工学の在り方を決定付ける社会の問題について検討してみたいと思う。

工学、科学、技術、と社会

 工学(engineering)は、「社会の課題を解決するために『科学』『技術』を利用し、それらに創意工夫を施し、計画・設計し社会適用する行為」と定義できる。社会に必要なものを製作するとき、その製作に関する全ての科学的原理が明らかになっているわけではない。また、使用する技術も必要な水準に達しているとは言い難い場合が多い。従って、工学は、「それらの科学的に不明な点や技術的に不完全な点を、これまでの経験や創意工夫により乗り越え、社会や人類に必要とされるものを創造し設計・製作することに関する行為」とも定義することができる。この工学が、科学や技術を刺激し、新たな科学や技術の領域を広げ発展を支えていく。これらの3者は、互いに影響し合い、時代とともに発展していく。

 工学の活動は、人々の要求、社会の要求によるものを「創る」わけで、経済、法律、社会規範、社会安全、社会心理、人間の特性などの理工学分野以外の事柄をも考慮して行われる。それらの社会からの要求は、工学が社会に必要なものを創るときの要求条件や制約条件などの境界条件として働く。このため、工学は社会に対して相対的なもので、社会に必要なものを創造していくものである。さらに科学は自然に対して絶対的なもので、自然の姿を明らかにしていくものと言える。

工学の創造工夫(innovation)と社会

 工学は、社会・人類の要請により科学と技術を用い、社会からの要求条件・境界条件を考慮し、それらすべてが満足するように創意工夫する行為である。従って、科学の発見や新たな技術の開発が、社会に対して工学の新しい創造工夫を生み、その社会への適用を社会に提案することがある。また、社会が、社会・人類の問題を解決するため、またよりよい社会を築くため、工学に新たな創造工夫を要求することもある。新たな創造工夫の社会への適用においては、その適用が社会や人類の生活に直接影響するため、工学を司る人々と社会との間で、種々の条件を考慮した、忌憚(きたん)のない意見交換と、相互の了解が必要である。

 近年の工学は、社会一般の人から見ると工学の勉強なしには理解しがたいほど複雑に発展し、ブラックボックス化している。また、工学者は専門領域が細分化され、複雑で難しくなってきているため、狭い専門領域に閉じこもりがちであり、工学を一緒に構成する他の分野への理解が不足し、ひどい場合は無関心になってきている。一方、社会一般の人たちは、発展した工学の果実を享受することに熱心で、それらの負の側面を理解すること、またそれらに関する工学的素養の涵養(かんよう)にはあまり熱心ではない。2011年3月11日の東日本大震災は、福島原子力発電所の事故もあり、工学innovation と社会の問題点を色々な面で浮き彫りにさせた。こうしたことを受けて、今回の世界工学会議では、議論する主題を「工学(Engineering):Innovation and Society」とした。

2.工学が関与すべき社会問題

世界の人口問題

 世界の人口は、2015年時点で72億人であり、2050年には96億人になると予想されている。この中で、10歳から24歳の若者は世界で18億人で、この若年人口は貧しい国で急激に増大している。貧しい国での急激な若年人口の増加は、職を得られない若者が増えていることを示しており、それらの国・地域の社会的不安定、政治的不安定を引き起こしている。一方、高齢化の問題は、現在の先進国だけの問題ではなく、発展途上国でも2050年には顕著になると予想される。すなわち、現在急激に増加している発展途上国の若年者が、2050年には60歳に達するため、世界の人口の年齢別割合で、60歳以上の人口が15歳以下の人口を上回ると予想される。しかも、その時点では、世界の高齢者の80%が発展途上国で暮らすと予想される。工学は、若年人口の増大に対して、工業を発展させ社会を安定させることに貢献するばかりでなく、将来の高齢化社会での人々の活動を支援していく工学を発展させなければならない。

貧困の問題

 世界の貧困による栄養不足人口の率は、1990?92年の18.6%から2014?16年には10.9%まで低下する見込みだ。これは、世界の貧困による栄養不足人口が、現在、7億9,500万人にまで減少したことを示している。このことを途上国に限定すると、変化がさらに著しく、23.3%から12.9%まで低下している。この減少傾向には、途上国の農業の発展、経済的繁栄が寄与している。工学は、途上国の農業の発展および経済的発展にさらに寄与していかなければならない。

経済、農業、工業の発展

 世界経済は、この数十年間に大きく発展してきたが、近年は成長ペースが遅くなっている。特に、新興市場国・地域の弱さが、世界経済の成長見通しを低下させている。この新興市場国・地域の経済的脆弱(ぜいじゃく)さが、地域の社会的不安定、政治的不安定、貧困、失業、環境悪化を引き起こしており、それらの改善が求められている。それらの新興市場国・地域では、金融市場の脆弱性が顕著で、当該地域の経済成長に必要なインフラの整備などを困難にしている。先進国は、こうした国・地域に対して経済的な支援だけでなく、当該地域の経済成長を促す、インフラ整備への工学的な関与を強めるべきである。

 農業の発展は、農村地帯の貧困、多くの地域での飢餓の問題を解決する上で重要である。世界の人々の多くは、農村地帯に住み、農業により生計を立てている。この数十年間に、農業が発展し飢餓の危険が後退した地域もあるが、多くの地域で農村の貧困が拡大している。工学は、持続可能な農業開発のために必要な水資源の開発、農産物と畜産物の生産、生産された食品の保存と安全、漁業資源の保全と開発、林業資源の保全と開発、さらにこうした活動により生産された商品の市場とのリンクや輸送などに大いに貢献できる。地域の特性を考慮した改善策を計画・実施するための活動を工学は強めるべきである。

 工業の発展は、国・地域の経済状況の改善に重要である。特に、途上国の貧困の改善に対しては、工業の発展が大きな役割を果たす。ITや輸送技術の発達で、世界の工業はグローバルに結び付けられ、多くの地域の人達が工業経済的な挑戦と成功の機会に直面している。このような状況の中で、持続的な工業的発展を追求するためには、地域の特性とグローバルな観点を考慮した工学と、それを利用する工業を発展させていくことが求められる。そのためには、それぞれの地域での工学活動や人材育成を強化していく必要がある。

佐藤順一 氏
佐藤順一 氏(さとう じゅんいち)

佐藤順一(さとう じゅんいち)氏プロフィール
1948年生まれ。1976年東京大学大学院航空学専門課程博士課程修了後、石川島播磨重工業〔現 IHI〕に入社し技術研究所研究員。2006年同社取締役常務執行役員技術開発本部長、2008年IHI検査計測代表取締役社長、2012年IHI顧問。ブレーメン大学(ドイツ)、清華大学(中国)、東北大学で客員教授を務める。日本燃焼学会会長、日本機械学会会長などを歴任。現在は日本工学会会長。

関連記事

ページトップへ