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[シリーズ]イノベーションの拠点をつくる〈6〉広島大学COI拠点 精神的価値が成長する「感性イノベーション拠点」(農沢隆秀 氏 / 感性イノベーション推進機構 機構長)

2015.07.31

農沢隆秀 氏 / 感性イノベーション推進機構 機構長

 文部科学省と科学技術振興機構(JST)は、平成25年度から「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM※)」を始めた。このプログラムは、現代社会に潜在するニーズから、将来に求められる社会の姿や暮らしのあり方(=ビジョン)を設定し、10年後を見通してその実現を目指す、ハイリスクだが実用化の期待が大きい革新的な研究開発を集中的に支援する。そうした研究開発において、鍵となるのが異分野融合・産学連携の体制による拠点の創出である。本シリーズでは、COI STREAMのビジョンのもと、イノベーションの拠点形成に率先して取り組むリーダーたちに、研究の目的や実践的な方法を述べていただく。第6回は、こころのときめきといった感性をBEI(Brain Emotion Interface)技術で可視化し、定量化することで、モノとこころが調和する「こころ豊かな社会」の実現を目指す、広島大学COI拠点のプロジェクトリーダー農沢隆秀氏にご意見をいただいた。

※COI STREAM/Center of Innovation Science and Technology based Radical Innovation and Entrepreneurship Program。JSTは、「センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム」として大規模産学官連携拠点(COI拠点)を形成し研究開発を支援している。詳しくは、JST センター・オブ・イノベーション(COI)プログラムのページを参照。

感性イノベーション推進機構 機構長 農沢隆秀 氏
農沢隆秀 氏

 10年後のあるべき社会の姿を描き、そこからバックキャスティングすることで、新たな研究と産学連携を創出し、そして実際に社会実装するという文部科学省と科学技術振興機構の「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」が、2013年より始まりました。

 あるべき社会には、少子高齢化先進国としての持続性確保(ビジョン1)、豊かな生活環境の構築(ビジョン2)、活気ある持続可能な社会の構築(ビジョン3)が想定され、そのビジョン2において、豊かな生活環境の構築に向けた、広島大学の精神的価値が成長する「感性イノベーション拠点」の取り組みが採択されました。ここでは、この取り組みを紹介いたします。

 これまでの「モノづくり」は、効率的で安価な大量生産、そして便利を追求することがコンセプトであり、数多くのすぐれた「モノ」が創り出されました。しかし、「モノ」があふれた現代の社会において、果たして、人は幸せになったでしょうか。この素朴な疑問に対して、私たちは「YES」とは言い難い状況にあると思っています。それは、市場優先による競争激化やグローバル化などに起因した、うつ病の急増、あるいは毎年3万人に及ぶ自殺者からも明白にうかがうことができます。

 産業革命以後の物質的なイノベーションは、限界に来ているのではないでしょうか。そこで、広島大学COI「精神的価値が成長する感性イノベーション拠点(以下、感性COI拠点)」では、従来型の「モノの豊かさ」の追求から、精神的価値が成長する「こころの豊かさ」へとパラダイムシフトをすることで、「モノ」と「こころ」が調和する「こころ豊かな社会」を目指すことを考えました。

 では、この「こころ豊かな社会」の実現のためには、どのようにすればよいのでしょうか。心豊かな・・、と言われても、人のこころは、なかなか推し量ることはできません。そこで、感性COI拠点では、最新の脳科学を用いて、人と人、人とモノを、感性(こころ)でつなぐBrain Emotion Interface(BEI)の開発を目指すことを考えました。

 これまでは客観的に評価することが困難とされていた「ワクワク」「イキイキ」「きれい」などの感性を、BEIによって可視化(見える化)し、定量化することができれば、個人の感性やニーズにマッチした製品、サービスが提供できるようになります。このBEIが実現できれば、衣・食・住、移動体(クルマなど)、教育、医療といった多様な分野において、大きな社会変革が起こるのではないでしょうか。

BEIで感性を可視化することで、人と人、人とモノの新たな関係を創出し、心豊かな社会を実現する
BEIで感性を可視化することで、人と人、人とモノの新たな関係を創出し、心豊かな社会を実現する

 例えば、衣料では、お客様の感性を見ることで、その人にフィットする最適な衣服をデザインすることができます。また、レストランでは、言葉で表すことができない一人ひとりの味の好みにマッチした料理を提供することが可能になります。人の感性に応じた居心地の良い住宅や店舗を提供することもできるでしょう。一方、クルマでは、ドライバーの感性に対応した、内装の色合いや視界や操作性を実現できるようになり、本当にワクワクした運転を楽しむことが可能になります。そして、使えば使うほどユーザにとっての価値が成長し、まるで人生の相棒のような愛着が持てるクルマになってゆくでしょう。

 また、学校では、子供の様子をBEIで可視化することで、いじめのない教育にも反映できるようになります。さらに、教育、医療分野においても、うつ病患者の脳機能の可視化による客観的な診断法、自分の脳の状態をモニターするBEIを組み込んだニューロフィードバックなどの新たな治療法、あるいはストレスを自己制御する予防法など、革新的なソリューションの創出に貢献できるのではないかと考えています。

 これらを実現する感性COI拠点は、広島大学とマツダを中核とし、生理学研究所とNTTデータ経営研究所を中心としたグループ(生理研COI-S拠点)、静岡大学と浜松ホトニクスを中心としたグループ(光創起COI-S拠点)が一緒になった、総勢20を超える大学、研究機関、企業が参画するユニークな拠点です。広島大学の脳・感性研究を核に、生理学研究所の優れた知覚研究と、光創起COI-S拠点の独創的な光技術を融合することで、革新的なBEIの開発を目指しています。

 これらの基礎研究に加え、広島地域の企業ネットワーク「KANSEIコンソーシアム」(アンデルセン・パン生活文化研究所、コベルコ建機、シャープ、中国電力、広島ガス、マツダ、三菱レイヨンなどで構成)や、NTTデータ経営研究所の有する応用脳科学コンソーシアムの企業ネットワークを活用したBEIの応用開発により、BEIの社会実装化を目指しています。もちろん、BEIそのもののビジネス化も視野に入れて研究開発に取り組んでいます。参画する全機関が一丸となって、モノとこころが調和する「こころ豊かな社会」の実現に向けた、革新的な感性イノベーションの創出(BEIの開発と社会実装)に全力で取り組んでいます。

 人と人、人とモノが感性情報を介してつながるためのツールであるBEIを開発するには、脳情報を解析する感性の可視化技術だけでは、実際の製品までには行きつきません。人の五感をはじめとする知覚の可視化技術、生理計測等の代用特性計測技術、それらをエンジニアリングするための感性モデルや感性制御システム、コミュニケーションシステム(Human Machine Interface)、ユーザの想いをフィードバックするユーザモデル等を有機的に融合させることが必要です。感性COI拠点では、それらの要素技術を分担して研究開発を進めています。

 第1 フェーズでは、特に、BEI の技術基盤となる、下記の感性の可視化技術、知覚の可視化技術、および、代用特性計測技術の開発に注力しています。

1.感性の可視化技術の開発
MRI(核磁気共鳴)や EEG(脳波)を用いて感性の脳メカニズムを明らかにし、感性の可視化技術を開発。一方、実装の場面で使える生理計測による感性の可視化技術にも着手。そして、脳情報と生理情報を同時計測することにより、脳科学に基づいた、かつ、社会実装可能な感性の可視化技術の開発を目指しています。

2.知覚の可視化技術の開発
五感をはじめとする知覚についても、感性との関係を明らかにするとともに、知覚の可視化そのものによる社会実装の有効性をも実証しています。

3.感性情報のリアルタイムセンシング技術の開発
光技術を駆使して、昼から夜と明るさが変化する社会の実装環境下においても、顔表情による感性を正確に計測することを可能にする高感度高ダイナミックレンジのカメラなど、五感に関わるセンシングデバイス、代用特性技術を開発しています。

 そして、第2フェーズ、第3フェーズでは、これらの技術を用いて、衣食住の幅広い社会実装の研究開発に展開し、感性の可視化技術、知覚の可視化技術、および、代用特性計測技術をさらに進化させていきます。そして最終的には、社会実装のプロトタイプを開発してゆく思いです。

 最後に思うことがあります。日本の「モノづくり」による製品は、世界の中でも、技術的にかなり優秀なものです。しかしながら、最近は、欧米のブランド化、そして新興国のコストに押されながら苦戦し、伸び悩んでいる現状にあるようにと思われます。この状況の中で、感性イノベーションの取り組みは、感性豊かな社会の実現だけでなく、日本の「モノづくり」をも、大きく革新すると考えます。

 人と共に価値が成長する日本らしい感性を織り込んだ製品ができれば、世界の中でも有り難いモノになってゆくのではないでしょうか。日本社会の要となる、この「感性イノベーション」を拠点の皆様と共に実現してゆきたいと思います。

感性イノベーション推進機構 機構長 農沢隆秀 氏
農沢隆秀 氏(のうざわ たかひで)

農沢隆秀(のうざわ たかひで)氏のプロフィール
1955年生まれ、広島大学大学院工学研究科移動現象工学専攻(博・前)修了後、80年東洋工業株式会社(現マツダ株式会社)入社。自動車の空気力学、車室内外装の質感、操作性、視界視認性等の人間工学・感性工学、車両構造及び耐久信頼性等の車両の研究開発に従事。96年博士(工学)。05年車両実験研究部部長、10年技術研究所所長、近畿大学次世代基盤技術研究所の客員教授を歴任し、15年から技術研究所技監に就任。文科省「HPCI戦略プログラム・分野4次世代ものづくり」推進委員、広島大学大学院医歯薬保健研究院客員教授「感性イノベーション推進機構」機構長、広島県「感性イノベーション推進協議会」会長を務めている。

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